男はつらいよ-ハ地区の進撃(8)

男はつらいよ -ジュムテン寺
石風呂を浴びて、ビールを飲み、最後の晩餐を終えた。調査の進捗を考えると、もう1泊してハ地区でのフィールドワークを深めたい、という気持ちが強くなっていた。キンレイをはじめ宿のスタッフともずいぶん親しくなっている。去りがたい気持ちが強くなっていた。ブータンはどこにいてもそうなんだが、日本の山間部の風景と似た趣きがある。とくにハ地区は、佐治に似ている、と先生はよく口にされた。それから何度も、寅さんだ、寅さん・・・・男はつらいよ。黙って、消えるんだ・・・
ガイドに感傷はない。テインプーとパロのホテルはオーバーブッキングだから、もう変更できない、と延泊の希望をつっぱねる。翌9月2日(金)の朝食時、キンレイは旅の記録ノートをもってきた。先生は日頃みないほど真面目な顔をして、長い英文を書かれていた。出発前に記念撮影し、いざミニバンに乗り込む。キンレイがガイドに向かって言う。「あなたが私の仕事をすればいいの。わたしはあなたの仕事をするから」。客席から拍手の嵐である。


午前はジュムテン寺を訪れた。標高3100mの境内からソナム・ジンカ・ファームハウスが遠くに見下ろせる。このたびの第5次調査で訪れた僧院の中ではいちばん高いところにあるのだ。駐車場から登り歩いてみると、酸素が薄いと感じた。じつはジュムテン寺には前日に一度訪れている。その際、政府の役人(文化遺産局?)らしき方が仏像か何かの調査をしており、ガイドはどうしたことか警戒感を深め、山を下りて「黒い僧院」に調査地を切り替えたのだった。
日が改まっても、なおガイドは警戒している。高性能の双眼鏡で村道からジュムテン寺を遠望する。ケント先輩も赤の一眼レフで覗き、ズームを最大限アップした。車が一台だけ停まっている。だれの車なのかは分からない。先生は、なぜそこまで警戒するのか、という顔している。これまでの僧院と同じように振る舞えばよいだけではないか・・・


山に登ってみると、外来者はなく、ロブカン(講義棟)で読経の声が聞こえる。住職は不在なのか、それとも講義中なのか分からないけど不在であり、少年僧が本堂の鍵をあけてくれた。以下は15歳の修学僧からのヒアリングになります。ジュムテンはドゥク派の僧院だが、国家形成期の17世紀の開山ではなく、グル・リンポチェがニンマ派を布教し始めた8世紀ごろに遡ると伝承されている。本堂は11世紀に再建?されたそうです。繰り返しますが、この歴史はあくまで「縁起」にすぎない。ところで、8世紀開山伝承がある僧院の本堂は必ず弥勒菩薩を本尊としている。グルや釈迦ではなく、弥勒を本尊とする点については精査しなければならないだろう。このほか内陣にはグルやサブドゥル、十一面観音が弥勒の脇を固めるように併祀されている。それらの上部には小仏を祀る棚があり、ドゥク派のジュケンポ(座主)やツェリンやミラレパなどの高僧の像を祀っている。そして、内陣の壁には釈迦のタンカが数多く見られた点も印象的だった。
なお、この寺にドラフはない。今回調査した僧院でドラフを伴うのは2寺のみであった。所属する僧院と瞑想する僧院は必ずしも一致しない。どこで瞑想修行するのかは、タシツォ城から指示があるという。

↑ロブカン(講義棟) 震災後、本堂の講義室が使えなくなったので、ロブカンを新築した。


↑測量地点(左)とそこからの眺望(右)