fc2ブログ

修士研究中間報告-大雲院の建築と建築厨子(1)

修士2次中間「大雲院の建築と建築厨子」(160925) [自動保存済み]_01


 9月27日(火)、大学院修士課程2年次の中間発表がおこなわれました。いつものことですが、発表への取りかかりが遅れてしまい、先生やゼミ生に頼るところが多く反省しています。夜遅くまでご指導いただいた先生、並びにサポートしてくれた内蔵助15、キム3号、麻原鬢鬢20の3君にはこの場をお借りて厚く御礼を申し上げます。私の発表題目は「大雲院の建築と建築厨子」であり、以下に概要を記します。


M2中間[吉田]02 1-1大雲院から霊光院へ


1.前回までの成果概要
1-1 霊光院から大雲院へ

 大雲院は、慶安3 年(1650 )に鳥取藩主、池田光仲が勧請した鳥取東照宮の別当寺として樗谿に創建された。光仲は徳川家康の外曾孫にあたる人物であり、家康の供養のため東照宮を建立した。その管理施設としての大雲院は、藩内の寺院として最高の格式を誇り、徳川将軍家及び池田家の位牌を安置し、鳥取藩領内天台宗の触頭(ふれがしら)として諸寺を管轄した。しかし、明治元年(1868)の神仏分離令により別当寺が廃止され、大雲院は樗谿から境内を引き払う。そして、明治3 年(1870)に立川の末寺霊光院を吸収合併する形で仏具等一式を移した。本堂は霊光院のものを受け継いでいる。四天柱内に霊光院本尊の阿弥陀三尊を祀り、裳階には西国三十三観音霊場の観音像を配置し、旧大雲院本尊の千手観音を裳階の西南隅に祀る。


M2中間[吉田]03 立川本堂平面図


M2中間[吉田]06 元三大師堂の所蔵厨子 


1-2 大師堂の建築と建築厨子
 大師堂は住宅風の平屋・畳敷き建物で、内部を元三大師堂と御霊屋(ごれいや)の2室に分ける。東側の元三大師堂は元三大師良源を本尊とし、その御影を厨子に納める。良源(912- 985)は第18 代天台座主であり、比叡山延暦寺中興の祖として知られる。慈恵大師は良源の諱であり、一般には元三大師として呼ばれる。正面奥の仏壇上に鎮座する4 棟の建築厨子はとりわけ見事なものである。東照大権現厨子は徳川家康の御神体(御幣)を本尊とし、正面の桟唐戸に徳川家の三つ葉葵の御紋をあしらう。慶安3 年(1650)の東照宮勧請の際、上野寛永寺で家康の御神体を厨子に納めたと伝える。西側の御霊屋は仏壇中央に本尊の多宝塔を安置し、その左右に徳川家歴代将軍の位牌を配す。さらに、右脇の仏壇には歴代藩主・歴代住職の位牌を並べる。


M2中間[吉田]04 1-2大師堂の建築と建築厨子


1-3 研究史と予備的調査
 大雲院には藩政期の古文書、指図、絵図、仏像、仏具などが大量に保管されている。大雲院および霊光院は鳥取の近世・近代史を理解するに避けて通れない大寺院であるにも拘わらず、神仏分離/廃仏毀釈の影響は大きく「忘れられた寺院」と化しており、その学術研究はほとんど進展をみていない。例外的に古文書類については、曽根原理(東北大学)らが2009 年度以降、科研費基盤(B)「東照宮祭祀の確立と展開」により整理を始めたが、膨大な量の文書があり、未だ目録すら完成していない。一方、仏像・曼荼羅・厨子等の仏教美術品については、写真集『大雲院』(池本喜巳撮影・1996)が輝かしい嚆矢ではあるけれども、美術史・建築史に基づく専門的な考察はなされていない。ASALABは昨年度、仏像・厨子を中心にデータベースを作成し、短い考察と併せて『大雲院仏教美術品目録』(2016)としてまとめたばかりである。ただし、この成果もあくまで予備調査の成果をまとめた内部資料でしかなく、大雲院の歴史と文化財の理解を網羅的に深めていく必要がある。【続】


M2中間[吉田]09 1-3大雲院の研究史と予備的調査

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カレンダー
01 | 2024/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 - -
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR