修士研究中間報告-大雲院の建築と建築厨子(3)
![M2中間[吉田]23 建築厨子のフォトスキャン](https://blog-imgs-93-origin.fc2.com/a/s/a/asaxlablog/20160927194619e5a.jpg)
3.大師堂建築厨子研究の新展開
3-1 フォトスキャンによる3D モデルの制作
今年度から、新たな試みとして「フォトスキャン」というソフトを用いた、多重撮影による3D モデルの制作に取り組んでいる。一つの対象物に対してデジタル写真を数十枚~百枚以上撮影し、そのデータを「フォトスキャン」で自動的につなぎ合わせてCG を完成させる。対象は仏具などの美術品と一部の建築厨子である。本研究にとってもっと重要な対象は元三大師堂の東照大権現厨子(1650 頃)である。大権現厨子を前方に引き出して背面を撮影するためには、左隣の不動明王厨子を仏壇から下ろす必要があった。結果として、この2件の厨子を多重撮影し、3次元モデルを作成したが、120時間以上かけてスキャンした結果のデータはこの粗さにとどまっている。今後は、3Dのはみだして無駄な部分をトリミング作業によって修復し、画面の質を向上させたい。
![M2中間[吉田]24 3-2不動明王厨子背面墨書の発見](https://blog-imgs-93-origin.fc2.com/a/s/a/asaxlablog/2016092719462053c.jpg)
3-2 不動明王厨子背面壁板墨書の発見
CG 作成のための多重撮影の際、不動明王厨子の背面壁板に長文の墨書を発見した。翻刻は9割方完成している(↓)。墨書の内容を要約する。
①天保9年(1838)の大火で、仏像・厨子・経典(及び建物)が焼けた。
②豪栄上人が京都まで赴き古い仏像を探した。
仏師がいうには数百年前の「古代」のもので珍重すべき。
その古仏を新しい本尊にした。
③天保12 年(1841)、豪栄逝去。後継の金剛が仏師に頼んで、
厨子を新調させ、仏像(古仏)を新しい厨子に納めた。
つまり、不動明王厨子は天保12 年の作であり、仏像はそれ以前のものである。
![M2中間[吉田]25 墨書の翻刻(不動明王厨子背面壁板)](https://blog-imgs-93-origin.fc2.com/a/s/a/asaxlablog/2016092719462219b.jpg)
![M2中間[吉田]26 3-3天保際債権大師堂指図の発見](https://blog-imgs-93-origin.fc2.com/a/s/a/asaxlablog/20160927194628c1c.jpg)
3-3 天保再建大師堂指図の発見
上にみたように、天保9年(1838)の火災で大師堂は焼失している。大師堂の再々建は厨子完成の天保12年ころと推定される。田尻住職は天保年間に再々建された大師堂が立川の霊光院に移築された可能性を口にされており、検討の対象に加えることとした。ほぼ時を同じくして、ごく最近、天保再々建大師堂の指図が発見され、取り急ぎ仮撮影した。かなり大きな仏堂であり、左にのびる前側の廊下は御霊屋へと続く。
![M2中間[吉田]28 大師堂の配置関係推定(復元平面より)](https://blog-imgs-93-origin.fc2.com/a/s/a/asaxlablog/20160927194630f50.jpg)
4.おわりに
時代は異なるが、大師堂指図(19 世紀前期)を本坊指図(18 世紀中期)と接合してみた。本坊指図の右端に描かれる小さな建物は本坊と渡廊下でつながっており、名称の記載はないけれども、「御霊屋」の可能性が高い。この建物のさらに東側に大師堂が存在したはずである。
ここで平面を比較すると、現在の立川大雲院の大師堂と指図の大師堂はまったく平面を異にしている。一方、本坊指図に描かれる推定「御霊屋」と現在の大師堂は横長平面の二間取りという点で共通している。ただし、左右の部屋の大きさが入れ替わっている。以上から、以下の可能性を想定しうるであろう。
(1)樗谿大雲院から立川霊光院に移築したとすれば、それは、樗谿の大師堂ではなく、
御霊屋であった可能性がある。
(2)移築などの際に、左右の建物を入れ替えて再建した可能性がある。
この問題については、さらに諸資料を精査して結論を導きだしたい。本研究では、明治の神仏分離以降における樗谿大雲院跡地の問題についても考察しつつあるが、時間の都合上このあたりで、私の発表を締めさせていただく。(蓬ちゃん)
![M2中間[吉田]29 4_おわりに](https://blog-imgs-93-origin.fc2.com/a/s/a/asaxlablog/20160927194631a1b.jpg)
【参考文献】
坂本敬司(1996)「江戸時代の大雲院」『大雲院』大雲院奉賛会:pp.124-134
鳥取市歴史博物館(2003)「東照宮の誕生」『江戸開府400年東照宮展前期 東照宮の誕生-神になる徳川家康-』pp.13-24
鳥取市歴史博物館(2003)「樗谿の移り変わり」『江戸開府400 年東照宮展後期 東照宮の名宝-諸大名と東照宮-』:pp.46-53
伊藤康晴(2008)『樗谿を歩く 歴史と自然とフィールドワーク』鳥取市歴史博物館
浅川滋男編(2016)『大雲院仏教美術品目録』公立鳥取環境大学保存修復スタジオ