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修士研究中間報告-大雲院の建築と建築厨子(2)

M2中間[吉田]10 2_鳥取東照宮と大雲院の景観


2.鳥取東照宮と樗谿大雲院の景観
2-1 『稲葉民談記』等に描かれた樗谿

 絵図、指図などの画像資料から樗谿と大雲院の景観を探っていきたい。元禄年間(1688-1704)の大雲院の状況を示す絵図として「鳥取城下町大絵図」と小泉友賢『稲葉民談記』(1688)がある。中御門から東照宮に至る建物群の多くは名称の比定が可能である。大雲院については、境内に3~4棟の建物が描かれるが、その名称・機能については不詳である(後述)。


M2中間[吉田]11 2-1『稲葉民談記』に見える東照宮と大雲院


2-2 樗谿大雲院(淳光院)本坊指図の考証と分析
 18 世紀の作と推定される本坊指図の平面復元は、昨年度卒業した高後敬太が主に担当しており、今年度から私が分析を引き継いでいる。指図には樗谿大雲院の本坊平面と周辺地形や地泉回遊式庭園などが詳細に描かれている。本坊とは庫裡・仏間・客殿・寺務所などの機能を複合的に包括した大建築のことである。通常の寺院建築では、機能別に建物を分散配置するのだが、大雲院はそれらを本坊一棟が担っていた。他に、門・米蔵・塩噌蔵や、本坊から渡り橋を挟んで推定「御霊屋」なども描かれている。
 覚書の概要を記す。この指図は「新寺」の改修計画である。新寺の面積は272 坪であり、「前々之寺」より9.7 坪狭い、とある。ここにいう「前々之寺」とは、創建当初の樗谿大雲院(淳光院)の可能性が高い。ほかに「前々之寺」から存続した焼け残りの付属建物を列挙している。最後の部分は、新設される塩噌蔵について記す。


M2中間[吉田]12 2-2樗谿大雲院本坊指図の考証と復元


M2中間[吉田]13 指図覚書の翻刻


 ここで、覚書にいう「前々之寺」と「新寺」の関係について考えてみたい。18 世紀、大雲院は2度の大火に見舞われて焼失し、再建→再々建がなされた。以下、田尻光照住職作成の年表より抜粋する。

   享保5年(1720)  石黒火事によりほぼ全焼
   享保10 年(1725) 再建
   享保20 年(1735) 長田火事によりほぼ全焼
   寛保元年(1741)  本堂(護摩堂)・大師堂を除き、再々建
   宝暦元年(1751)  大師堂を再々建

 すなわち、再々建の寺が「新寺」、石黒火事以前の寺が「前々之寺」と推定される。そして、この指図は現状図ではなく、長田火事以降、幕府に提出した計画図と考えられるので、指図の作成年代は享保20 年(1735)から寛保元年(1741)の間と思われる。


M2中間[吉田]17 樗谿大雲院の復元平面と画像資料の比較 M2中間[吉田]15 指図ハレとケの空間領域


 平面の詳細については高後卒論(2016)に従って述べる。本坊の空間は非日常のハレ、日常のケの2領域に分けられる。東照宮に近い北側の3分の1がハレ、残りがケの領域である。推定「御霊屋」はハレの領域と渡り橋でつながれる。上の図は復元平面を航空写真と照合したものである。さらにこの復元図を「鳥取城下町大絵図」(1688-1704)及び『因幡民談記』(1688)と比較してみよう。まず「鳥取城下町大絵図」の大雲院には2棟の平屋建入母屋造の建物が廊下で結ばれている。18 世紀以降の状況と対比するならば、左側の1棟が本坊、右側の1棟が大師堂とも思われるが、田尻住職によると、この時期、護摩堂(本堂)が大師堂の位置にあった可能性があるという。他にも四角形が2つ表現されている。蔵などの雑舎かもしれない。一方、『稲葉民談記』には大雲院境内に3 棟の建物が配置されている。機能は不詳であるが、「鳥取城下町絵図」の立体化としてみるべきであろうか。いずれにしても、「覚」の内容からして、18世紀の「新寺」の構成は17 世紀の「前々之寺」を継承した可能性が高いと思われる。


M2中間[吉田]19 2-3未指定の実測(手水舎)  


2-3 鳥取東照宮未指定建造物の調査
 「鳥取城下町大絵図」に描かれている建物のうち現存しているのは、国重要文化財の本殿・唐門・幣拝殿のほか、未指定の中御門・随神門・手水舎である。今年度前期にこれら未指定建造物の調査をおこなった。年代については、手水舎の石製手水鉢の正面に以下の銘文が刻まれている。

   慶安三年四月十七日 荒尾但馬守成利
   天保三年九月十七日 荒尾内匠守成緒 修造

 東照宮を勧請した慶安3年(1650)に手水鉢を制作し、天保3年(1832)に作り直したことがわかる。いずれも鳥取藩家老荒尾氏の寄進である。手水舎の建物もこれと同年代とみるべきであろう。さらに建造物の絵様彫刻を比較すると、慶安3年の唐門(重文)の渦は細いところに特徴がある。一方、手水屋・随神門・中御門の渦は彫りが太くて楕円形になっており、相互によく似ている。随神門・中御門は手水舎とほぼ同年代の再建か、あるいは、中御門がやや古いかもしれない。【続】


M2中間[吉田]21 絵様拓本から見る年代

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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