鯉に願いを-ネコノミクスの街(9)

小倉家住宅主屋・土蔵の補測調査
10月12日(水)。ASALAB3年生5名と、大学院生1名と先生の計7名で、倉吉市河原町の小倉家住宅と鍛冶町の大鳥屋の補測調査に行ってきました。前回(6月)に実施した実測調査をおこなった後、居住環境実習・演習(Ⅱ)の期末発表会にむけてCADで実測図を清書しましたが、測り漏れの箇所がいくつかみつかり、今回その補測をおこなうことがいちばんの目的です。補測は小倉家主屋(2名)と土蔵(1名)、大鳥屋(2名)に分かれて行いました。このほか大学院生のケントさんはもっぱら屋根裏の調査に従事されました。


私は、ぱでぃさんと二人で小倉家主屋の補測を担当しました。まずは1階と2階の柱の位置と太さの確認、1階はキッチン部分や風呂場の採寸、建具の確認、2階では主に前回未採寸だった箇所の採寸や、引違建具の枚数・長押の配置の確認等を行いました。ベースとした図面はCADの清書図であり、そこで不詳の部分を再び実測・採寸していきます。
わたしは「長押(なげし)」という部材をまったく理解していませんでした。そこで、休憩後、全員を対象にして先生がレッスンされました。おかげで、敷居・鴨居・長押の関係がよくわかりました。今回の調査で、2階の続き間3室のうち、奥の2室に長押がめぐらされ、いちばん手前の1室にはそれがないことが分かりました。最奥の部屋にも最前の部屋にも座敷飾りがあるのですが、前者に長押はあり、後者に長押がないことが判明しました。前者は書院造風であるのは確かですが、後者は数寄屋の一種かもしれないと先生は仰います。(きびたろう)


大鳥屋の補測調査
先週の水曜日に台風が日本海沿岸を通過してから一気に気温が下がり秋の陽気になったような気がします。上に述べたように、今回は前期に行った倉吉市の旧小倉家住宅と大鳥家の補足調査を行いました。倉吉に向かうまでに、それぞれの持ち場の補足調査の目的を明確化して、今回で平面図の作図が完了できるように準備してました。
大鳥家では前回に採寸仕切れなかった箇所を中心に板間・廊下などの板幅の確認と方位の書き込みを行いました。1階は私が、2階はだっしょがそれぞれ採寸しました。だっしょは前回の調査時には旧小倉家の土蔵を担当しており、大鳥家には今回初めて入ったため、実際に見ないと分からないところがあったと言っていました。
大鳥屋には土蔵もあります。先生は初めての撮影だったのですが、小屋組の構造を見極め、ベニヤに隠された小倉家土蔵の小屋組をイメージされていました。ひょっとすると、3年生で大鳥屋土蔵の断面を実測することになるかもしれません。

屋根裏調査を終えたケント先輩は真っ黒になっていたのですが、3年生は拓本を取るのが初挑戦だったので、まずは手本を見せていただきました。今回挑戦したのは「乾拓」です。拓本を取りたい腕木に和紙をテープで固定して乾拓用の墨で外側の縁を擦ってから内側の模様を擦り、あとは木目に沿って墨でなでます。大鳥家の腕木はガラス戸で外側と内側に分断されているので(↓)6人で3本の腕木の拓本を取りました。同じ作業をしているはずなのに個性が出るものですね。
次は摩尼山の石仏で「湿拓」もやろうと先生がおっしゃっていたので楽しみです。
大鳥家も採寸が完了したので、これから平面図の完成に向けてCADで作図をしていきます。期末発表で東京芸大の平面図より良いものを作ると宣言したので頑張ります。作業終了後、大鳥家の奥さまが紅茶を出してくださって、心身共に温まりました。(みひろ)

↑↓小倉家主屋の小屋組と棟札



↑↓(大鳥屋)昭和の改修時に腕木がガラス戸で2分割された

棟札と腕木拓本
ケントは最初からずっと屋根裏にあがってくれた。大鳥屋・小倉家とも平凡な和小屋であり、今回、断面図作成は免除としました(修士論文が忙しすぎて倉吉まで手がまわらない)。あとは、もっぱら棟札などの墨書を探索していたのですが、いきなり小倉家主屋の屋根裏で棟札を発見した。やや特殊なタイプでした。棟木に棟札が打ち付けられてるのですが、棟札を支える添木が2本たちあがっていて、その添木の表面に「昭和十一年一月二十八日」、裏面に「小倉勇太郎」と記してあります。前回のヒアリングでは、主屋の建立年代を昭和七年と聞いていましたが、実際には昭和十一年(1936)であることが分かりました。ちなみに、屋根の野地板には商標が印刷されています(一瞬、祈祷札かとも思いました)。

一方、大鳥屋の屋根裏で「棟札はみつからなかった」との報せをうけたのですが、撮影された写真を確認すると、二重梁の側面に墨書を確認できます(↑)。これから先は赤外線カメラの出番かもしれません。
この墨書になにが書いてあるのか、いまの段階では分かりません。現段階で建築年代を推定させるのは、2階高(つし2階)と腕木の様式です。腕木の様式は小川酒造主屋と近接しており、おそらく明治30年ころの作と思われますが、大鳥屋のほうがやや繊細な彫りであり、小川家よりも古い可能性があるでしょう。

↑↑6名で仕上げた腕木拓本
