八上中学校校歌
大正12年生まれの母は小中学校の音楽の教師をしていました。昭和30年代後半のことですが、男性教員は平日の宿直、女性教員は日直(日曜日の出勤)にあたることが多かった。小学校低学年のころ、日曜日に母親がいないことが淋しくて、母のいる船岡小学校を訪ねたことがあります。河原からバスを乗り継いで船岡まで行くのは7~8歳の児童にとって結構な冒険でした。学校に着くと、母はとても驚き、喜んで迎え入れ、体育館でピアノを聞かせてくれました。これがショパンだ、こちらはモーツァルトだというふうに次から次へ弾いてくれるんです。家にピアノがあるわけでもなく、師範学校で2~3年学んだだけのはずなんですが、こんな難しい曲を弾きこなせるんだ。ぽかんとして聴いていました。
母は作曲家でもあったことを、最近姉に教えられました。八上中学校校歌を作曲していて、姉はそれを口ずさんでくれたので、いつか録音して採譜しようと決めていたのですが、驚いたことに、初七日の席に校歌のコピーを姉がもってきたのです。友人がファックスしてくださったそうです。驚きました。とりあえずコードを割り振ってみますかね。

母は作曲家でもあったことを、最近姉に教えられました。八上中学校校歌を作曲していて、姉はそれを口ずさんでくれたので、いつか録音して採譜しようと決めていたのですが、驚いたことに、初七日の席に校歌のコピーを姉がもってきたのです。友人がファックスしてくださったそうです。驚きました。とりあえずコードを割り振ってみますかね。
