銀髪のキャンディ

山の手通りでわたしは疲弊していた。腹具合がおかしくて、近くのファミマに二度駆け込んでいる。睡眠時間の減少が体を蝕んでいるように思った。
午後の日差しのなかで、町並みは暖かだった。つるべ落としがない。夕闇まで遠くない時間になっても長閑な温(ぬる)い空気に街は包まれていた。街に住む人びとも思い切り暖かい。こういう野外演習は、一歩間違えば、プライバシー侵害や騒音で苦情を頂戴しかねない。だから、人をみかけると、すぐに挨拶に行って頭を下げることにしている。
「いえいえ、とんでもない。若い人が来てくれて、元気になります。」
銀髪のご婦人がそう励ましてくださった。矍鑠としている。
「うちの家も古い大黒柱があるんですよ。ちょっとはいってきんさらんか。」
願ってもないことである。厚かましくも、玄関からフロアにあがりこんだ。元は土間(トオリニワ)だったところで、天井を張っているが、「以前は梁がみえたのよ」とおっしゃる。内装全体に改修は進んでいるが、たしかに大黒柱は古めかしい。1尺四方のケヤキ材だ。黒く磨かれた欅の板目に一瞬、幻が写る。


マダムによると、120年前の建物だそうである。その年代観は正しい。表側の外観も新装してはいるが、中2階の形式が変わっているわけではない。このスタイルは明治中期に特有のものだ。
2016-120=1896年。年号に換算すると、明治29年。そんなものだろう。
失礼ながら御年を訊ねた。米寿だとお答えになった。92歳で亡くなった母の4年前を思い起こした。こんなに元気ではなかったな。車椅子でなければ移動できなかったもの。それでも、みんなで「笑点」を視て大笑いしたり、好物のお好み焼きや鯛焼きを食べたりしていた。
いったん外にでて時間を潰していると、またすぐに声がかかった。
「わざわざ入ってもらったお礼だから、この飴もって帰って。美味しいから。」
ありがたく頂戴した。帰りのバスで学生や他の教員、運転手にキャンディを1個ずつ配った。食べなかったのはわたしだけである。糖質カットの真っ最中だから。

