中国観音霊場開創35周年記念合同大法要@摩尼寺

階段行道
11月3日(木)の文化の日、喜見山(摩尼山)摩尼寺の善光寺如来堂で中国観音霊場開創35周年記念合同大法要が執り行われました。中国観音霊場37ヶ所 (33ヶ所+特別霊場4ヵ所)では、この季節になると年次で会場を持ちまわり合同法要を営みます。今年は35年目の節目で、特別霊場摩尼寺の善光寺如来堂での85年ぶりの御本尊御開帳に合わせる形で順番がまわってきました。これだけでも大変めでたい事ですが、さらに今年は摩尼山が国の登録記念物 (名勝地関係)に定められた年でもあり、ちょっとした運命を感じますね。
さて私は、密教系密壇を卒論の主題としている関係上、法会・仏像・法具の写真と動画を撮影するため駅からの8時始発便の送迎バスに乗って摩尼山に向かいました。摩尼寺門前に到着後、ただちに石階を駆け上りました。まだ早い時間だというのに多くの参拝客の参集しており、この日の重要さをうかがえました。境内に到着後、まずは住職より撮影許可をいただいている旨を伝え、本堂と如来堂で撮影しました。このとき如来堂の御本尊を撮ってもいいのかどうか悩み、結局取らずじまいで境内の様子の撮影に向かったのですが、これが杞憂だったことを後に知ります。撮影を終えたころには境内の方にも多くの人が集まっており、賑やかになっていました。しばらく境内をうろうろしていると、階段行道が始まり、中国地方各地から集まった僧侶・尼僧が列をなして階段を上ってきました。



慰霊法要
階段行道が過ぎるのを見届けた後、しばらくすると、どこからともなくお経の声が・・・開始時間を失念しており、「お砂踏み」法要が始まってしまいました。急いでの如来堂に入ると、圧巻の一言。手前にはところ狭しと参列者が並び、奥には中国観音霊場から集結した僧侶・尼僧がズラリ。お経も大人数によるハーモニーが大迫力の一言です。お経自体は般若心経をスラスラ読める程度(暗記しているわけではない)なのですが、慰霊法要に入る前置は聞き取ることができました。そこでは今年4月の熊本地震、及び10月の鳥取地震の鎮魂を願うと述べており、冒頭に記したとおり、めでたいことがあった年である同時に、苦難の続くと年でもあることを思いおこしました。
経読が一通り済んで、先達表彰を挟み、一度休憩に入った途端、85年ぶりの御開帳とあって、「待ってました」とばかりに参列者が写真を撮り始め、とくに制限はなかったのかと安堵しました。ここで法要終了後の密檀の写真も撮っていたのですが、ふと覗きみると、僧侶たちもスマホ片手に御本尊を撮影しており、少し心が和みました。



左から本尊、先達表彰、本尊参拝
-休憩-




護摩祈祷
場所を本堂に移して護摩祈祷が行われました。8月に大雲院での護摩行を体験したのですが、その際は住職を含めて3人の僧侶によるものでした。今回は総勢37人による護摩祈祷です。護摩行を執り行うのが大雲院の田尻住職(摩尼寺兼任)でした。圧巻の読経の中、護摩木を焚いてゆく姿は威厳があって勇ましかったです。護摩行のあとは住職からの挨拶と来年の合同法要開催地である山口県の観音院の代表者からの挨拶がありました。この日、住職が着ていた法衣が8月のものと異なっていて、疑問に思っていたのですが、これは摩尼寺前住職の法衣であり、御開帳・合同法要を行うことなく逝去された前住職の意思を継ぐ思いが込められているとのことです。また、山口観音院からは若い方が来ており、意気込みを語っていたのですが、そのなかで出てきた「皆様の観音パワーを分けていただきたく」というフレーズがユーモアと若々しさを感じさせました。そして最後に、会場に設置してあった鳥取地震義捐金募金箱を日本海新聞社さんに渡して (赤十字に寄付するとのこと)本日の全日程が終了しました。

今年は大地震が2度も日本列島を襲う災厄の年でした。身近なところでも長雨の影響で野菜が高騰したりと気分が沈んでしまいがちです。こういうときは暇をつくってでも社寺に参拝して神仏にお祈りすることで気分が軽くなるかもしれません。ぜひ摩尼寺に足を運んでください。門前茶屋2軒の精進弁当も美味しいですよ! (キム3号)

