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今年も、奇跡の発見

1013大館02シラス01竪穴02奥のはりだし01 竪穴全景


めざせ、大館市比内町!

 摩尼寺イベントの後始末を終えてから14時間後、つまり13日の早朝7時のフライトで秋田に向かった。奇遇なことに、昨年と同日である。羽田経由で秋田空港に11時着。県埋蔵文化財センターの職員とともに、研究所の後輩ボックス君の出迎えを受けた。ボックス君は伊丹から直接秋田に飛んで、一時間早く空港に着いていた。前日とは打って変わった雨雲の空、車での道中、吹き降りがひどくなっていったが、午後1時に大館市比内町の片貝家ノ下遺跡に到着するころにはいったん雨はやんでいた(その後、小振りになった)。


1013大館02シラス01竪穴01左壁01 竪穴屋根の傾斜


昨年の成果

 ひとまず復習しておきたい。大館市の片貝家ノ下遺跡は、米代川支流の旧引欠川岸に形成された自然堤防上に立地する(標高58m)。昨年発見された10棟のうち3棟は、915年に噴火した十和田火山の火山灰(To-a)が火山泥流となって押し寄せた洪水の堆積物で2m以上埋もれており、住居跡SI03は屋根の形状をとどめていた。黒色化して斜めに傾く屋根痕跡の上下をシラス(川に流れ込んで冷温化した火山灰・噴火物)がパックしたものである。
 この埋没家屋の1棟(SI03)が屋根をほぼ原位置に残した状態で検出された。焼失竪穴住居跡で屋根の構造材が床面に崩落してみつかる例は多々知られているけれども、屋根が当初の勾配を維持しつつ、3次元的に姿をとどめる例は知られていない。全国初の発見である。


1013大館03竪穴+平屋の全景
↑竪穴に付属する平地式建物 ↓平地式建物に残る煙道の痕跡
1013大館02シラス02平屋01煙道01 


 まさに「奇跡の発見」であり、以下のシリーズをLABLOGに連載している。

  ①奇跡の発見 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1132.html
  ②続・奇跡の発見 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1133.html
  ③続々・奇跡の発見 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1180.html
  ④そしてまた、奇跡の発見 http://asaxlablog.blog.fc2.com/blog-entry-1209.html


1013大館02シラス02平屋02全景
↑竪穴(右)と平地式建物(左) ↓平地式建物の壁の立ち上がり
1013大館02シラス02平屋03壁のたちあがり


1013大館03竪穴+平屋のパネル 展示室パネル(1)


竪穴と平地式建物の複合住居

 今年の調査は10月18日から開始されたが、一般公開ののちこの週末に埋め戻されたはずである。昨年試掘したSI03などの本調査ではなく、遺跡の範囲確認を目的とした未掘地の継続的試掘がおこなわれた。その結果、昨年に勝るとも劣らぬ成果がもたらされている。最も重要な建物跡は、竪穴と掘立柱建物(平地式建物)が複合した遺構であり、竪穴には昨年よりもきつい屋根の傾斜痕跡、平地式建物には壁の立ち上がり痕跡が残り、昨年の試掘トレンチの断面にカマドの煙道が検出されている。


1013大館03竪穴+平屋のパース 復元パース(高島成侑)


 こうした竪穴+平地式建物が複合する遺構は北東北各地でみつかっており、故高島成侑氏の復元パースがよく知られている(↑)。また菅江真澄の「つがるのろと」や平田篤胤『皇国度制考』にその種の遺構に対応しうるスケッチを確認できる。このように機能分化した複合系住居の使い方を復元するにあたって、今回みつかった煙道の存在はきわめて示唆的である。屋内の煙道は炕(カン)や温突(オンドル)の起源というべき暖房器具の一種とみなしうるからである。『旧唐書』高麗伝に云う。

   其所、居(すまい)は山谷に依り、みな茅草で舎(いえ)を葺く。(略)
   其俗、貧窶(ろう)の者多く、冬はみな長炕を作り、下で(*1)を燃やし暖をとる。 
                            【注1】 「温」の原文は「火+温」
 
 『旧唐書』は、いうまでもなく唐王朝(618-907)の正史だが、編纂年代は五代十国後晋(936 - 946)まで下る。遠くはなれた高麗の民俗であるとはいえ、『旧唐書』の年代は片貝家ノ下遺跡の埋没年代を包含しており、なおかつ環日本海エリアとして文化交流がありえた地域とみなせなくもなかろう。
 片貝家ノ下では、竪穴で炉、平地式建物では長炕(煙道)で暖をとっていたわけだが、はたしてその意味するところは何なのであろうか。

 
1013大館03竪穴+平屋の菅江 1013大館03竪穴+平屋の菅江001up
↑↓菅江と平田の残した家屋図
1013大館03竪穴+平屋の菅江002up 1013大館03竪穴+平屋の平田


 この種の複合系住居の遺構に接し、わたしは千島列島色丹のアイヌ住居を思い起こした。毎年「地域生活文化論」講義で図と写真を使っているのだが、今となっては出典がはっきりしない(↓下の2枚)。いま調べてみたところ、鷹部屋福平『アイヌの住居』(1943)に千島の記載はないので、鳥居龍蔵『千島アイヌ』(1903)からの引用だと思われるが、図版・写真の原典はR.B.ヒッチコック(Hitchcock, Romyn, b.)が1851年に撮影したもののようである。色丹では、道路にそって切妻造の草屋チセが軒を連ね、その背面に接するようにして土饅頭の家トイチセが縦列する。チセは「夏の家」、トイチセは「冬の家」だという。ただし、煙道の有無は不明である。満州族系の住居に特有な、コ字形を呈する「万字炕」については、アムール河口からサハリン(樺太)のニブヒ(ギリヤーク)までは浸透しているので、千島アイヌに影響を与えなかったとは断言できまい。
 こうした複合住居を中門造や曲屋の起源として捉える考え方、つまり竪穴が住まいで平地式は門道・作業場・厩とみることも可能であり、と同時に、千島アイヌ住居のように、夏と冬の住み替えとして理解することも今の段階では可能であろう。ただし、機能比定に関しては、すでに述べたとおり、平屋建物における煙道(おそらく曲突系)の存在を重視せざるをえないと思われる。【続】


色丹アイヌの家-1_01
↑↓色丹アイヌのチセとトイチセ
色丹アイヌの家-1_02

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