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思い出の摩尼(3)-たくみ21 十一月例会

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位牌堂の再興にむけて

 秋田から鳥取に戻った翌日(11月15日)の夕方、つまり「写仏」演習の終了直後に「たくみ21」の11月例会が始まった。自分でもいつパワポを準備したのか、よく覚えていない。ただし、講演のベースは6月14日の中国観音霊場先達合同研修会講演のパワポであり、それにしこしこ手を加えた。
 当日の講演は再び「鳥取中部地震の支援」要請から始めた。聴衆はほとんどが民芸に興味を抱く方々ばかりなので、文化財についても関心が深く、講演会終了後、多額の寄付を頂戴しました。この場を借りて深く御礼申し上げます。


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 講話の内容はいつもと同じだが、聴講側が因幡に在住する有識者ばかりであり、今後の摩尼寺の方向性を考える上で有益なコメントをいくつか頂戴した。ここに紹介しておく。

 ①位牌堂の復活/庫裡の活用: ほんの何十年か前まで、因幡の民は宗派を問わず、死者の位牌を3体つくったものだ。一つは檀家の寺、もう一つは家の仏壇におき、さらにもう一つは摩尼寺に納めて祀ってもらった。ああいう風習が復活すれば摩尼寺はおおいに復活するのではないか(Yさん)。たしかに、幕末の 『稲葉佳景 無駄安留記 影印篇 上巻』 (1858) に描かれた「喜見山摩尼寺」の絵をみると、本堂に並列するように「位牌堂」を設けている(↑)。かなり大振りの建物であり、多くの位牌を納めていたものと推定される。こうした建物を復元建設するのは非常に難しいであろうが、いま劣化が問題となっている庫裡の一部を位牌堂として活用できるのではないか、という意見もでた。庫裡の表側は客殿として維持するが、裏側を位牌堂として、さらに大雲院本堂に接続する米村家霊堂(位牌堂)のような小堂を新設できれば言うことはない。


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 ②閻魔堂を立岩の脇に戻そう: 昭和45年(1970)年、現在の境内に建設された閻魔堂は、もともと山頂立岩の脇に設置されていた。立岩は神仏の降臨する磐坐であり、その場所はこの世とあの世の境であった。その境で因幡の民は閻魔さまの裁きをうけたのである。その建物が昭和40年代に現在の境内に移されたわけだが、その際、向拝の虹梁・木鼻などは山上建物の古材を再利用している。とはいうものの、いまでは境内の脇役としてひっそりとしたたたずまいをみせるのみであり、おまけに石垣側の地盤が傾いて危険な状態になっている。早晩、どこかに移設せざるをえないのだが、だとすれば、思い切って、本来あるべき立岩の脇に閻魔堂を戻すべきではないのか(複数の意見)。


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 ③砂丘と摩尼山をつなぐ重要文化的景観:  「山湯山の梨畑と浜湯山のラッキョウ畑」を重要文化的景観に選定するという構想は素晴らしい。ぜひ実現してほしい。砂丘から摩尼山・摩尼寺へ多くの観光客が流れるだろう(複数の意見)。

 11月12日の摩尼寺イベントについては、地震の影響もあり、成功なのか失敗なのか、よく分からないところもあったが、「たくみ21」はそれをフォローするポスト行事として、わたしにとっては非常に意義深いものになりました。とても勇気づけられ、感謝しています。ともかく、ここでとまるわけにはいかない。もうひとがんばりしますので。


161115 たくみ21② 161115 たくみ21③
恥ずかしながら、6年ぶりのたくみ割烹でした。
161115 たくみ21④ 161115 たくみ21①

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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