男はつらいよ-ハ地区の進撃(13)
衝撃の科学的年代測定結果
今夏の第5次ブータン調査で採取したサンプルの放射性炭素年代測定結果が届きました。今年もまた衝撃的な結果を含んでいます。以下に測定結果を2σ暦年代範囲で記します。
試料No.1 ツァルイ寺本堂脇建物跡(廃墟)中間室 壁土内の有機物サンプル
1670-1707 cal AD (15.9%)、1719-1779 cal AD (28.1%)、
1799-1820 cal AD (10.8%)、1821-1826 cal AD (0.8%)、
1832-1887 cal AD (22.5%)、1914-1943 cal AD (17.0%)、
1952-1953 cal AD (0.3%)
→17世紀後半~20世紀中頃
試料No.2 ツァルイ寺本堂脇建物跡(廃墟)後室 壁土内の有機物サンプル
1958-1958 cal AD (9.2%)、1989-1991 cal AD (77.5%)、
1991-1991 cal AD (8.8%)
→20世紀中頃~後半
試料No.3 シャヴァ村建物跡(廃墟) 壁土内の有機物サンプルA
1420-1460 cal AD (95.4%)
→15世紀前半~中頃
試料No.4 シャヴァ村建物跡(廃墟) 壁土内の有機物サンプルB
1490-1603 cal AD (75.3%)、1612-1644 cal AD (20.1%)
→15世紀末~17世紀中頃
試料No.5 ③ツァルイ寺本堂柱材最外年輪サンプル
1494-1602 cal AD (74.2%)、1616-1645 cal AD (21.2%)
→15世紀末~17世紀中頃
今夏の第5次ブータン調査で採取したサンプルの放射性炭素年代測定結果が届きました。今年もまた衝撃的な結果を含んでいます。以下に測定結果を2σ暦年代範囲で記します。
試料No.1 ツァルイ寺本堂脇建物跡(廃墟)中間室 壁土内の有機物サンプル
1670-1707 cal AD (15.9%)、1719-1779 cal AD (28.1%)、
1799-1820 cal AD (10.8%)、1821-1826 cal AD (0.8%)、
1832-1887 cal AD (22.5%)、1914-1943 cal AD (17.0%)、
1952-1953 cal AD (0.3%)
→17世紀後半~20世紀中頃
試料No.2 ツァルイ寺本堂脇建物跡(廃墟)後室 壁土内の有機物サンプル
1958-1958 cal AD (9.2%)、1989-1991 cal AD (77.5%)、
1991-1991 cal AD (8.8%)
→20世紀中頃~後半
試料No.3 シャヴァ村建物跡(廃墟) 壁土内の有機物サンプルA
1420-1460 cal AD (95.4%)
→15世紀前半~中頃
試料No.4 シャヴァ村建物跡(廃墟) 壁土内の有機物サンプルB
1490-1603 cal AD (75.3%)、1612-1644 cal AD (20.1%)
→15世紀末~17世紀中頃
試料No.5 ③ツァルイ寺本堂柱材最外年輪サンプル
1494-1602 cal AD (74.2%)、1616-1645 cal AD (21.2%)
→15世紀末~17世紀中頃
今回、新たな試みとして版築壁に含まれる有機物の年代測定に取り組んだ。試料の状態について述べておく。試料№1および№2については、試料(壁土)の中から塊を手で割り、現代の根っこ等の植物片以外の草本類(スサ)をピンセットで抽出した。そのため、測定試料は版築製作後に混入した植物片ではなく、版築製作中に混ぜられた植物片であると考えられる。なお、これらの試料中に炭化材はみられなかった。
試料№3と№4については、試料(壁土)の中から塊を手で割ったところ、植物片はないが、炭化材が含まれていた。しかも、炭化材は樹皮直下の年輪を残しており、最外年輪の年代を測定した。
壁土については、現場での予想と真反対の結果がでた。ツァルイ寺本堂脇版築壁(№1と№2)は3室に分かれており、いちばん下(川)側の前室灰褐色土が新しく、上側の中間室・後室の赤褐色土が古いと予想して、中間室(№1)と後室(№2)の壁土を採取したが、これらはおそらく近代に増設された部分と思われる。前室の硬い灰褐色土はシャバ村建物跡版築土(№3と№4)と同系統であり、こちらが古い当初の壁であった可能性が高いであろう。というのも、№3と№4は15世紀に遡りうる年代を示しており、「15世紀に遡る」というツァルイ寺での聞き取り情報と一致している。
試料No.3は15世紀前半~中頃、試料No.4は15世紀末~17世紀中頃を示している。同一壁の別部位から得られた年代であり、両者は共存していたわけだから、壁の年代は後者(№4)を採用せざるをえない。ブータンという国家を誕生させた初代シャブドゥン(政教両面の支配者)、ガワン・ナムゲル(1594-1651)の生存年代を含むが、№3で示された古い年代を考慮するならば、国家形成期以前に遡る可能性が高いと思われる。調査時点では、シャバ村の遺構を「民家(農家)跡」と予測しており、18世紀以降に下るだろうと思っていたのだが、15~16世紀まで遡るとすれば、民家ではなく、むしろ僧院本堂の可能性も想定される。版築壁を有する僧院の本堂が国家形成期(17世紀)より早くから出現した可能性を示唆する点、大変重要な年代情報が得られたと言っていい。
試料№5は現在のツァルイ寺本堂の柱材。タタキ土間に立つ柱は大変珍しく、当初は平屋建物であったかもしれない。採取した年輪が心材か辺材かは不明だが、№4とほぼ同じ年代を示している点は興味深い。№4と№5の年代は、国家形成期以前の可能性が高いものの、国家形成期前後とみることもできる。
試料№3と№4については、試料(壁土)の中から塊を手で割ったところ、植物片はないが、炭化材が含まれていた。しかも、炭化材は樹皮直下の年輪を残しており、最外年輪の年代を測定した。
壁土については、現場での予想と真反対の結果がでた。ツァルイ寺本堂脇版築壁(№1と№2)は3室に分かれており、いちばん下(川)側の前室灰褐色土が新しく、上側の中間室・後室の赤褐色土が古いと予想して、中間室(№1)と後室(№2)の壁土を採取したが、これらはおそらく近代に増設された部分と思われる。前室の硬い灰褐色土はシャバ村建物跡版築土(№3と№4)と同系統であり、こちらが古い当初の壁であった可能性が高いであろう。というのも、№3と№4は15世紀に遡りうる年代を示しており、「15世紀に遡る」というツァルイ寺での聞き取り情報と一致している。
試料No.3は15世紀前半~中頃、試料No.4は15世紀末~17世紀中頃を示している。同一壁の別部位から得られた年代であり、両者は共存していたわけだから、壁の年代は後者(№4)を採用せざるをえない。ブータンという国家を誕生させた初代シャブドゥン(政教両面の支配者)、ガワン・ナムゲル(1594-1651)の生存年代を含むが、№3で示された古い年代を考慮するならば、国家形成期以前に遡る可能性が高いと思われる。調査時点では、シャバ村の遺構を「民家(農家)跡」と予測しており、18世紀以降に下るだろうと思っていたのだが、15~16世紀まで遡るとすれば、民家ではなく、むしろ僧院本堂の可能性も想定される。版築壁を有する僧院の本堂が国家形成期(17世紀)より早くから出現した可能性を示唆する点、大変重要な年代情報が得られたと言っていい。
試料№5は現在のツァルイ寺本堂の柱材。タタキ土間に立つ柱は大変珍しく、当初は平屋建物であったかもしれない。採取した年輪が心材か辺材かは不明だが、№4とほぼ同じ年代を示している点は興味深い。№4と№5の年代は、国家形成期以前の可能性が高いものの、国家形成期前後とみることもできる。