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マンダリン・マカオ(2)

1225鄭家1025二階01 2階通路


鄭観応と鄭家大屋

 鄭観応は清末~民国初の思想家・実業家である。広東省香山に生まれる(現在の中山市)。幼少期、童試(科挙の受験資格である国立学校の学生になるための試験)に失敗した後、父親の薦めもあり上海で商売と英語を学ぶ。1880年、洋務運動を推進した李鴻章より上海機器職布局と上海電報局の総裁に任命され、1883年には輪船招商局の総裁に昇進したが、翌年辞任。いったんマカオに隠棲するも、1891年に開平煤砿局総裁に抜擢され、翌年には輪船招商局総裁に返り咲いた。


1225鄭家1026小路02 1225鄭家1026小路01


 鄭家大屋はマカオ隠棲期(1884-)の住まいであり、建立年代を上の論文では1881年ころとするが、屋内展示パネルによると、様式上1869年以前に遡るとのこと。マカオに残る最古最大の中国式住宅で、総面積は4000㎡、奥行120m、部屋数60以上に及ぶ。最盛期には居住者300人を超えたという。トオリニワが極端に大きくなったような幅広の通路が敷地の片側を貫く。これを「轎道」という。轎道の片側に接して2階建の居住ブロックが縦に何列も並ぶ。ブロックとブロックの間に小路(巷)を通すところもあり(↑)、住宅が都市の圧縮のような趣きがある。あるいは、住まいに都市を埋め込んでいるという言い方のほうがよいかもしれない。


1225鄭家1024階段02yokei 1225鄭家1021小屋sam


 各ブロックには必ず中庭を伴う。廬家のように天井(てんせい)式の場合もあるが、むしろ北方四合院の院子(ユアンヅ)、すなわち大型の中庭を多用している。ステンドグラスは目立たないが、壁を白亜に塗って一部の窓にはアーチを設け、2階に石柱を並べる。あきらかにコロニアル・スタイルであり、異国情緒が溢れている。西洋もしくはインドの影響とみることができるだろう。小屋組は南方的な穿斗式ではなく、北方的な擡梁式とする(↑右)。


1225鄭家1025二階03マド02 
↓↑アーチ式の窓
1225鄭家1025二階03マド01



1225鄭家1025二階02椅子01


インテリア・コレクション

 各室に配された卓、椅子のバリエーションがじつに豊富でセンスがよい。世界遺産登録前の2001年から修復工事に着手し、2010年に竣工、一般公開されている。マカオといえばポルトガルの植民地で、教会などの様式建築が軒を連ねる風景に目を奪われるが、実際に訪問した感想を述べるならば、世界遺産のなかでもっとも印象深いのは、西洋と東洋の融合している二つの中国住宅である。とりわけ鄭家は規模が大きく、年代も古いので必見の価値がある。短時間ながら澳門を訪れた甲斐があった。


1225鄭家1025二階02椅子02

1225鄭家1025二階02椅子03

1225鄭家1025二階02椅子04


1225鄭家1025二階04後庁02 1225鄭家1025二階04後庁01パネル
2階のメインホールが「余慶堂」で、その後室を「余慶後庁」と呼ぶ。湾曲した壁面の前に画卓をおく。

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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