第2回仏ほっとけ会を終えて(2)


一角一根
会場で麒麟獅子はなぜ「麒麟」なのか、という質問がありました。武田くんは「家康が国学として尊重した儒学の瑞獣としての麒麟を東照宮拝殿の前で舞わせ、家康の霊に奉祀した」という常識的な理解とともに、以下のような解釈を示しました。卒論概要から抜粋します。
中国最古の地誌『山海経』(戦国時代)には多くの霊獣(妖怪)が描かれており、一角をもつものも
少なくない。この場合の一角は怪奇性(霊異性)のシンボルのように思われる。普通の動物に一角
をつければ霊獣になるということだ。『山海経』に麒麟は含まれていないが、『詩経』『礼記』などの
儒教古典では、君主が仁ある政治を行うときに現れる神聖な「瑞獣」とされる。形状としては、一角
だけでなく、角なし、二角、三角の例が確認されている。日本の場合、狛犬(雄)と獅子(雌)の性差
を表現する媒体として一角が重要な指標となる。獅子は角をもつことで、霊異性だけでなく、男性性
を誇示している。狛犬の観点からみた場合、獅子舞の獅子は「女」である。ところが、麒麟獅子舞の
麒麟は一角を有する。狛犬と同じように、一角を有することで、麒麟は男性性をアピールしていると
みることができるだろう。光仲が東照宮勧請にあたり、拝殿前で麒麟を舞わせたのは、家康の尊重
した儒教のシンボルとしての「仁獣」「瑞獣」の表現ではあろうけれども、一角をもつ点において獅子
(雌)とは異なる「雄」としての男性性を強調したかったことを一因としていた可能性があるという
仮説を呈示して本稿の結びとしたい。


要するに、少なくとも日本において一角は男性器の代替物もしくは象徴物ではないか、というのがかれの結論なのだが、これはほかならぬ私の入智恵である。麒麟が一角をもつ雄の霊獣であることは儒教の「仁獣」としての性格と相関している。儒教的「礼」の世界では男女の区別は厳然としているからだ。封建的「男尊女卑」の思想も儒教に由来する。儒学を尊重した家康の霊の前で踊る瑞獣は雄でなければならない。雌の獅子では不敬にあたる。一角を有する雄の麒麟が家康にふさわしい霊獣だったのである。さて、神社で仁獣の舞は不釣り合いではないかという意見もあるかもしれないが、そもそも東照宮は神社ではなく、霊廟である。儒学的思想を背景とした廟であるならば、仁獣としての麒麟以上に似合う動物はいないであろう。
こうして獅子・狛犬・麒麟の性差を一角と絡めて思案している際、ふと思い浮かんだのがブータンの仮面であった。この仮面の果たす役割を私はよく知らない(土産物店に必ずおいている)。しかし、頭部に一根を有する点、これ以上男性性を誇示するものはない。一角は一根だという想いを強くした所以である。


N橋 N島