後記-グルリンポチェがやってくる
年末に還暦を迎えた2016年もまたブータンを堪能した。夏休みに5回目の調査をしたから、というわけではない。出国から帰国まで9日間の短い調査である。2名の学生を同行したフィールド演習の延長だと言われても仕方ない。それでも、ブータンを満喫した感覚に充たされるのは、1・2年生の演習(プロジェクト研究1~4)で前後期ともブータン民話(絵本)の翻訳に取り組んだからだ。以下の民話絵本を翻訳した。
【前期】
ペマ・ギャルツェン『天の鳥』
(Pema Gyaltshen, The Heavenly Birds, 2014)
クンサン・チョデン『ツェゴ-命の着物』
(Kunzang Choden, Tshego -The Garment of Life-, 2013)
【後期】
リンジン・リンジン『ヤクと野牛の物語』
(Rinzin Rinzin, The Story of the Yak and the Buffalo, 2014)
クンサン・チョデン『グルリンポチェがやってくる』
(Kunzang Choden, Guru Rinpoche is Coming, 2015)
例年、半期2作を1冊の和訳本(内部資料)として印刷・製本してきたが、2016年度は研究費が少なく、前期2作分の原稿・データ一式を印刷会社に送付した後、考えを改め、いったん印刷を保留した。そして後期の2作を翻訳後、懐具合をみなおした結果、年度予算では2作の印刷が限界であることが明らかになり、迷わずクンサン・チョデンの作品2本を選択した。いずれも2年生の担当作になってしまったが、クンサン・チョデンの作品はそれだけ他を圧している。

↑学内WEB表紙-「天の鳥」と「命の着物」色糸の複合イメージ(中前作画)
【前期】
ペマ・ギャルツェン『天の鳥』
(Pema Gyaltshen, The Heavenly Birds, 2014)
クンサン・チョデン『ツェゴ-命の着物』
(Kunzang Choden, Tshego -The Garment of Life-, 2013)
【後期】
リンジン・リンジン『ヤクと野牛の物語』
(Rinzin Rinzin, The Story of the Yak and the Buffalo, 2014)
クンサン・チョデン『グルリンポチェがやってくる』
(Kunzang Choden, Guru Rinpoche is Coming, 2015)
例年、半期2作を1冊の和訳本(内部資料)として印刷・製本してきたが、2016年度は研究費が少なく、前期2作分の原稿・データ一式を印刷会社に送付した後、考えを改め、いったん印刷を保留した。そして後期の2作を翻訳後、懐具合をみなおした結果、年度予算では2作の印刷が限界であることが明らかになり、迷わずクンサン・チョデンの作品2本を選択した。いずれも2年生の担当作になってしまったが、クンサン・チョデンの作品はそれだけ他を圧している。

↑学内WEB表紙-「天の鳥」と「命の着物」色糸の複合イメージ(中前作画)
2015年夏、中央ブータンのウゲンチョリン博物館で初めてクンサンご夫妻にお目にかかり、和訳本『メンバツォ -炎たつ湖』(2015)をお渡ししたところ大変喜ばれ、日本語版の正式な出版を希望された。そのとき博物館の書店で多くの本を購入した。『ツェゴ-命の着物』の原本もその一つである。クンサンさんの絵本といえば、当たり前のように、高名な仏画家ペマ・ツェリンがイラストを担当してきたが、この絵本に限っては、石上陽子さんという日本人がイラストを描いている。石上さんは国立ゾーリンチュスム伝統技芸院で仏画を専攻する留学生で、絵本出版(2014)当時は5年生であったという。
2016年夏、クンサンさんは国際シンポジウム「山の木霊」でパネリストを務めるため首都ティンプーに滞在中という情報を得ており、同じくティンプー滞在中の今枝由朗先生とともにクンサンさんを囲む晩餐の席を設ける予定にしていた。ところが、ブンタンからティンプーに至る車道が夏の豪雨でぐだぐだになり、クンサンさんは13時間に及ぶ乗車を強いられた後、体調が急変し高熱の病のため床に伏しておられた。結果、再会は叶わなかった。新しい和訳本『心の余白』(2016)はガイドに預け、クンサンさんへの寄贈をお願いした。余談ながら、和訳本2冊はティンプーの有名な珈琲店「アンビエントカフェ」の本棚に並べてもらった。その珈琲店からほど近い書店で『グルリンポチェがやってくる』の原本をみつけ、後期の教材とした。『グルリンポチェがやってくる』のイラストはペマ・ツェリンに戻っていた。以前の気品ある漫画的表現ではなく、写実的な水彩画に変わっている点、若干の違和感を覚えたが、本文を読んでみると、内容とよくあったイラストだと思い直した。
翻訳にあたって、学生たちに何度も指示したことがある。それは①「筆者に対するレスぺクト」である。もう一つの目標は②「小学生でも分かる読みやすい日本語への翻訳」だったが、②を優先するあまりに①を軽視してはいけない。クンサンさんの文章はきわめて韻文的である。俳句やポエムが連続していると考えればいい。俳句の意味が多面的であり、隠された裏のメッセージを伴うように、詩的なクンサンさんの文章はリズミカルで美しい反面、意味の通りにくい部分もある。しかしながら、だからこそ、読者の想像力を強く刺激する。訳者は一方的にテキストの意味を解釈して意訳するのではなく、原著者の文体と作風を維持するよう務めるべきである。多義的な文章は敢えてそのまま訳し、その解釈については読者に委ねるのが正しい。そう思っているから、そのように指導した。
『グルリンポチェがやってくる』はブータンの仏教民俗に興味をもつ者にとって堪らない作品である。 太陰暦の4月10日、グルリンポチェが朝焼けの光に乗ってやってくる。その前後の日々は物理的に4月10日と変わることがないはずなのに、4月10日の朝焼けの光だけは山野や建物を照らすだけでなく、すべての人びとの心の中に差しこんでくるのである。絵本のどのページをみてもグルリンポチェの姿は描かれていない。どこにいるのか分からない。否、人びとの心のなかにグルは入りこんでいるのだ。
文化というほかない。
2016年夏、クンサンさんは国際シンポジウム「山の木霊」でパネリストを務めるため首都ティンプーに滞在中という情報を得ており、同じくティンプー滞在中の今枝由朗先生とともにクンサンさんを囲む晩餐の席を設ける予定にしていた。ところが、ブンタンからティンプーに至る車道が夏の豪雨でぐだぐだになり、クンサンさんは13時間に及ぶ乗車を強いられた後、体調が急変し高熱の病のため床に伏しておられた。結果、再会は叶わなかった。新しい和訳本『心の余白』(2016)はガイドに預け、クンサンさんへの寄贈をお願いした。余談ながら、和訳本2冊はティンプーの有名な珈琲店「アンビエントカフェ」の本棚に並べてもらった。その珈琲店からほど近い書店で『グルリンポチェがやってくる』の原本をみつけ、後期の教材とした。『グルリンポチェがやってくる』のイラストはペマ・ツェリンに戻っていた。以前の気品ある漫画的表現ではなく、写実的な水彩画に変わっている点、若干の違和感を覚えたが、本文を読んでみると、内容とよくあったイラストだと思い直した。
翻訳にあたって、学生たちに何度も指示したことがある。それは①「筆者に対するレスぺクト」である。もう一つの目標は②「小学生でも分かる読みやすい日本語への翻訳」だったが、②を優先するあまりに①を軽視してはいけない。クンサンさんの文章はきわめて韻文的である。俳句やポエムが連続していると考えればいい。俳句の意味が多面的であり、隠された裏のメッセージを伴うように、詩的なクンサンさんの文章はリズミカルで美しい反面、意味の通りにくい部分もある。しかしながら、だからこそ、読者の想像力を強く刺激する。訳者は一方的にテキストの意味を解釈して意訳するのではなく、原著者の文体と作風を維持するよう務めるべきである。多義的な文章は敢えてそのまま訳し、その解釈については読者に委ねるのが正しい。そう思っているから、そのように指導した。
『グルリンポチェがやってくる』はブータンの仏教民俗に興味をもつ者にとって堪らない作品である。 太陰暦の4月10日、グルリンポチェが朝焼けの光に乗ってやってくる。その前後の日々は物理的に4月10日と変わることがないはずなのに、4月10日の朝焼けの光だけは山野や建物を照らすだけでなく、すべての人びとの心の中に差しこんでくるのである。絵本のどのページをみてもグルリンポチェの姿は描かれていない。どこにいるのか分からない。否、人びとの心のなかにグルは入りこんでいるのだ。
文化というほかない。