東照宮紀行(一) 日光篇


石鳥居と階段の遠近法
先生たちが東欧を旅しているころ、わたしは3月6~9日の4日間、日光・久能山・紀州三ヶ所の東照宮を巡礼してきました。初日は日光東照宮を目指して、新幹線等を乗り換え、栃木県の日光駅に到着したのは午後3時です。
日光駅から大谷川に沿って歩くこと半時間、東照宮境内の参道に到着。参道手前の石鳥居の圧倒的な大きさを前にして、思わず感嘆の息が漏れる。江戸時代に作られた鳥居の中では最大級で、九州の大名・黒田長政が寄進したものという。伝承では、九州からわざわざ日光まで運ばれたものであり、巨大な石塊が運ばれる様に人びとは大層驚いたそうな。
鳥居に続く石段も見どころの一つである。石段はあわせて10段あるが、最初の段から最後の段にかけて、階段幅が徐々に狭まっている。最上段に構える石鳥居を大きく見せるための遠近法が意図的に施されているのだ。何気なく敷かれている階段にも、職人たちの徹底した技術と知恵が垣間見える。参拝時間の関係上、この日は石鳥居周辺までにとどまったが、翌日への期待が膨らんだ。

↑図3 日光東照宮仁王門の狛犬と獅子 ↓図4 (左)狛犬 (右)獅子


仁王門の狛犬と獅子
翌朝8時に宿舎を出て、再び日光東照宮の境内へ。いちばん外側の仁王門をくぐると、私の卒論に深く関与した狛犬・獅子が門脇に安置されていた。何回も画像を見てきたが、いざ実物を目にすると、感無量だ。しみじみと魅入るばかり。狛犬・獅子は思いのほか大きく、群青・緑青が鮮やかに鬣を彩る。表情は柔らかで、愛くるしさすら感じさせる。三間一戸脇室正面側は阿吽の仁王像が険しい表情で参拝者を迎える。一方、後室の狛犬・獅子は、参拝から帰る人達を優しく見送っているように思えた。仁王門だけでなく、その先の境内の荘厳も立派なものであったので、特に印象的なものを以下に紹介する・

南蛮鉄灯籠
境内にある灯籠の全ては、全国の諸大名が奉納したという由緒がある。石造の灯籠が並ぶなか一際目につくのが、陽明門石段の下に並ぶ南蛮鉄灯籠である。伊達正宗が寄進したものである。当時としては珍しく鉄で造られた燈籠で、わざわざポルトガルから鉄を取り寄せて作らせたものである。一説によると、正宗が西洋列強との繋がりを誇示することを目的としたものではないかと言われている。奉納後わずか数年で錆びてしまったらしいが、正宗由来と相まって、大きくそびえる異質な鉄灯籠の存在感は強烈である。
陽明門は日光東照宮の代名詞とも言うべき豪華絢爛な門である。白(胡粉)を基調に金箔や黒漆で彩り、唐獅子・龍馬・麒麟などの多くの神獣を飾る。残念ながら、この日はまだ門は修復中であり(現在は修復済み)、全貌を写真に収めることはできなかったが、まばゆいばかりの内部の装飾もまた、十分に一見の価値がある。

↑図6 修復中の陽明門 ↓図7 陽明門の組物(左)と龍の天井(右)


*図1 石鳥居と石段 図2 石鳥居の銘文 図3・4・5(本文参照)
図5 伊達正宗寄進の南蛮鉄灯籠 図6・7(本文参照)

唐門-舜帝朝見の儀
陽明門を過ぎると、唐門が見えてくる。陽明門と同様に白を基調にした装飾で所々を黒漆で彩る。この門には「舜帝朝見の儀」と呼ばれる彫刻を含む。徳川政権の本質を描いたものである。 中央に座るのは舜帝という伝承上の古代中国皇帝で、次の皇帝に政権を譲る様子を描いている。舜帝は「徳」を重んじた皇帝であり、徳の高い政治を代々受け継ぐことで、天下泰平の世は築ける、という儒学的思想がこの彫刻で強調されている。「儒教を国学とした家康にとって、麒麟は家康を象徴する仁獣である」と、私は卒論に書いたが、あながちその表現は大げさではなかったのではないか、と「舜帝朝見の儀」から感じ取れた。


仁王門から東照宮奥社まで一通りまわり、気づけば300枚以上の写真を撮っていた。境内各所にあふれる見所が、シャッターボタンを押す指をとまらせなかった。社殿・門は、群青・緑青・弁柄に加え、黒漆・白(胡粉)・金箔で華やかで煌びやかに彩られ、見るものを圧倒する。蟇股などの中備、回廊の透塀・欄間には「眠り猫」をはじめ、多種多様で色とりどりの霊獣と動植物が隙間なく彫刻・彩色される。こうした境内の荘厳一つひとつに目が離せなかった。
日光東照宮は、日本各地に130ばかり残る東照宮の総本山である。境内に入った瞬間、総本山たる厳格かつ華麗な雰囲気を感じたが、見るものを飽きさせることのない荘厳のバラエティに魅了された。2日目は、日光東照宮の奥深さを知る一日となった。【続】

↑図11 境内の風景 ↓図12 中備や欄間の彫刻・彩色


*図8 唐門 図9・10 唐門に彫られた「舜帝朝見の儀」 図11・12(本文参照)