東照宮紀行(三) 紀州篇


鳥取東照宮の面影
最終日となる9日(木)、紀州東照宮を訪れた。その面影が鳥取東照宮と重なってみえた瞬間を今でも覚えている。日光・久能山と比べて、控えめな荘厳ではあるけれどもっj、随所に葵御紋を飾り、風景に溶け込むのように佇む姿は、鳥取東照宮と通じるところがある。拝殿への立ち入りは禁止され、境内に深く踏み入ることはできなかったものの、どこか懐かしさを覚える素朴な東照宮であった。

楼門の邪鬼
急な階段を登ると、日光・久能山と同じく見事な楼門が参拝者を迎える。一つだけ異なる点を挙げるとすれば、狛犬・獅子を伴っていなかったことである。その痕跡はないものだろうかと楼門の細部や周辺をつぶさに観察する。
門を入ったり出たりを繰り返してるうちに、楼門屋根の隅木の下に力士のような小人像を発見した。ひょっとすると、これが狛犬の代替品かもしれないなと現地では思ったのだが、帰宅して調べてみたところ、「邪鬼」であることを知った。
邪鬼とは、文字通り、人に災いをもたらす悪童鬼だが、仏教寺院においてしばしば四天王像に頭を踏まれて懲らしめられ、苦悶の表情をみせる。四天王像の代わりに隅木で邪鬼の頭を押さえつけているのは、隅木が最も屋根の重みを受ける材であるからだろう。狛犬・獅子が境内を守護する正義の霊獣であるとすれば、邪鬼は仏法を犯して境内を攪乱するヒール霊の象徴だと言える。ちなみに邪鬼の代表格は、世界最古の木造建築「法隆寺金堂・五重塔」だという。

↑↓図4・5・6・7 楼門の邪鬼



最高の四日間
3月初旬の4日間、三つの東照宮を弾丸ツアーした。巡礼した一つひとつの東照宮の思い出は、私の中で強烈なものとなった。恥ずかしながら告白すると、わたしは自分の卒論を好んでいる。愛着がある。今回の紀行で、東照宮に絡んだ卒論に取り組めたことを一層誇りに思えるようになった。 【完/武田】
*図1 東照宮拝殿 図2 石鳥居 図3~7 (本文参照)