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大雲院と鳥取東照宮(ⅩⅩⅧ)

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浄土変と宝塔

 5月2日(火)、GWの真っ最中ですが、先生は3限に講義があったので、就職活動をしていない4年生は4限の卒論ゼミに集結しました(4年の就職活動学生は仕方ないとして、3年ゼミ生に講義欠席多く・・・嘆きの声あり)。
 天候が素晴らしく、年度初めの挨拶を兼ねて大雲院へ出発。今年度は未確定のところもありますが、きびたろうが浄土変、わたしが宝塔(多宝塔?)を担当することになりそな気配です。
 就職活動のため欠席したきびたろうの代わりにまずは浄土変(↑)について住職にうかがいました。大雲院所蔵の浄土変は名高い当麻曼荼羅をモデルとして制作されたものだそうです。霊光院ではなく、藩政期の大雲院にて模造されたものですが、年代はあきらかではありません。霊光院の巨大な阿弥陀三尊はこの浄土変が影響している可能性もあるようです。


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 御霊屋の本尊「多宝塔厨子」については、建築形式からみると、裳階(もこし)がついていないので「宝塔」に分類されます。宝塔に裳階をめぐらせた上円下方のストゥーパが多宝塔なのです。ところが、住職は御霊屋の本尊こそが正真正銘の多宝塔だとおっしゃるので、先生との間で会話がかみあいません。そこで、建築史ではなく、仏教史における「多宝如来」について少し学んでみました。以下、wikipedia の解説を要約してみましょう。

 多宝如来(プラブータ・ラトナ)は釈迦以前に悟りを開いた無数の過去仏の一人であり、東方無限のかなたにある宝浄国の教主で、名を阿僧祇(あそうぎ)という。日本に限らず中国・朝鮮半島に多宝如来単独の造像例はほとんどなく、法華経信仰に基づいて釈迦如来とともに2体1組で表される(一塔両尊)。一塔両尊の伝統は『法華経』見宝塔品(けんほうとうほん)説話に基づく。すなわち、釈尊が説法をしていたところ、地中から七宝で飾られた巨大な「宝塔」が出現し、空中に浮かびあがって、釈尊の説法を称える多宝如来の大音声が聞こえてきた。多宝如来は自らの座を半分釈尊に譲り、隣へ坐るよう促した。釈尊は宝塔内に入り、多宝如来とともに坐し説法を続けた。


0502大雲院0005 方行造一軒


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 この解説に従うならば、多宝如来は「宝塔」の内部あるいは近隣にあって釈迦とともに祀られる仏ということが分かります。「宝塔に多宝如来を祀る」という表現で問題ないわけです。ただし、ここにいう宝塔がどのような建築物であるのかは、じつのところよく分かりません。建築史学でいうところの宝塔は「円筒形の塔身を有する一重塔」をさしますが、元の意味は「仏塔全般の美称」だからです。
 写真集『大雲院』(1998)によれば、大雲院宝塔の内部には釈迦如来・多宝如来の二仏を並座しており、上にいう「一塔両尊」をみごとに表現しています。内部はまだ見ていませんが、写真集によれば、塔の中央に仏舎利一粒を入れた舎利容器が置かれ、その上側に釈迦如来像と多宝如来像が並座しています。卒論の対象として素晴らしい素材であり、昨年の懸仏研究に負けないような出来に仕上げたいと思います。

 先生によると、大雲院御霊屋の宝塔は、組物の色使い(↓)が東照大権現厨子などと似ているので、東照宮勧請時にまで遡る可能性があるとのことです。しかし住職曰く、宝塔の年代は不明で内部の調査もまだ詳しくされていないそうなので、今後の活動でしっかり調査し、制作年代を特定させていきたいです。(OK牧場)


0502大雲院0006
↑二手先の隅は複雑ですね~

0502大雲院0009藤棚
↑大雲院の藤棚は満開です。

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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