禹

邪馬台国の所在地に諸説あるように、中国においても伝説の夏王朝の存否及び所在地は百家争鳴の状態にあった。しかし、河南省偃師の二里頭遺跡が殷(商)代初期にあたる二里岡文化(河南省鄭州市)に先行することが確定した結果、前世紀末までには、二里頭こそが夏の中心域であるとみなされるようになった。建築的には、『周礼』考工記に記載された「殷人重屋、四阿重屋」を彷彿とさせる裳階(もこし)付の正殿を広大な回廊で囲い込む宮殿跡が注目される。
夏王朝の創始者を禹(う)と云う。あくまで伝承の域をでないが、禹は黄帝の玄孫にあたり、前二十世紀ころの中原(黄河中流域)を支配した。禹は人望篤く、黄河の治水に尽力した人物として史書に特筆されている。これと関係して、白川静は「禹」なる文字を「魚(の一種)」、藤堂明保は「蜥蜴(とかげ)」の象形とみる。禹(と黄帝)には『山海経』の霊獣に似るところがあり、洪水を制御する水神としての意味を担うという説が有力である。後代における龍のような神格、あるいは龍の起源とみなせるだろう。

二つの睡蓮鉢で冬を越えたメダカは数えるばかり。今年も加西パークで色とりどりのメダカを仕入れ、鉢に放り込んだ。4月28日(金)、その様子を確かめようと鉢を覗きこむと、別の小動物が水草上に浮遊している。両生類か爬虫類のようにみえたので、まずは柄杓で掬おうと試みたところ、いっさい抵抗を示さない。おそるおそる手で触れてみた。蜥蜴だ。溺愛しているペットのように物怖じすることなく、浮輪に揺られてゆらゆらするばかり。
睡蓮鉢を治める禹にちがいない。このまま水に浮かんで極楽をきわめてほしい。数時間後、鉢を覗くと禹は消えていた。

時は流れて5月6日(土)、愛猫が庭で蜥蜴を掴まえたと家人がいう。「食べたのか」と私は訊ねた。いやちがう、玩具のようにいじりたいだけ、先代のデブ猫も雀を掴まえては戯れていた、あれとおなじだろうと皆云う。家内が丁重に葬ったらしい。
かの水神がただちに頭に浮かぶ。サツキが殺してしまった蜥蜴が睡蓮鉢の禹なのか。あの動きの鈍さからして、その可能性は高いと思われる。日を改め、遺体を確認した。蜥蜴の個体差を見分けるだけの鑑識眼をもちえないが、この個体はおそらく禹であろう。合掌。
睡蓮鉢は守護神を失ってしまったのか・・・であるとすれば、水害に見舞われるかもしれない。梅雨になると、しばしば睡蓮鉢の水が溢れ、メダカの数が少なくなる。
