鳥取中央ロータリークラブ卓話(記録)


摩尼山-日本最大の登録記念物
先般お知らせしたように、5月15日(月)、先生が鳥取中央ロータリークラブの卓話をされました。会場はホテル・ニューオータニ2階です。録音・撮影・募金活動のため、ゼミ生数名も会場にかけつけ、スピーチを拝聴したので、その概要をお知らせします。構成は以下のとおりです。
0.未指定・未登録文化財に支援を-中部地震の課題
1.世界遺産登録運動の挫折(2006-07)
2.摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査(2010)
3.摩尼寺の建造物-国登録有形文化財(2014)
4.摩尼山-日本最大の登録記念物(2016)
5.パリンカの夢
以下、わたしのメモを箇条書きで示します。
1)2006年から2007年にかけて「三徳山」が世界文化遺産の暫定リスト入りを目指して国内予選を戦ったが、「顕著な普遍的な価値が証明できていない」という評価を受け、結果は惨敗であった。そこから展開して、国内外の調査研究と摩尼寺・摩尼山の保全活動を進めている。
2)懸造(かけづくり)とは前方が高床で、後方が地面に接地している半高床の建築形式である。京都の清水寺本堂や奈良の室生寺金堂は野外に懸造仏堂が開放的に建っている。しかし、三徳山三仏寺投入堂や若桜の不動院岩屋堂は岩陰・岩窟に懸造の仏堂を収めるところに特徴がある。岩窟と複合しているという点において、「日本の石窟寺院」という表現が可能であろう。
3)摩尼山鷲ヶ峰の立岩に帝釈天が降臨したという伝承が残っている。摩尼山は仏教の山号で「喜見山」といい、須弥山の頂にある「喜見城」に帝釈天が住むという仏教の世界観を山全体に投影している。立岩の脇にはかつて閻魔堂が位置していたことも重要な意味がある。。マニはチベット仏教でよく使われる概念で、「宝石」「宝珠」を意味し、秩序、慈悲、思いやりなど悟りを開くための要素を表している。
4)「立岩」から60mほど下に「奥の院」遺跡が位置しており、2010年に発掘調査をおこなった。発掘した遺跡は上層と下層に分かれており、上層は室町時代後期~江戸時代初期、下層は平安時代中頃の土器が出土した。おそらく室町後期から江戸時代には懸造の大型仏堂が2棟存在した。岩陰には仏が祀ってあり、その中の木彫仏の年輪年代は15~17世紀であり、上層に対応し、本尊帝釈天像の可能性がある。
5)2014年に「摩尼寺本堂・鐘楼・山門」が国登録文化財となった。その後、遺跡・巨岩・生態系・眺望景観などが評価され、2016年10月3日に「摩尼山」が国登録記念物(名勝地)となった。総面積約367,000㎡に及ぶ「日本最大の登録記念物(名勝地」である。大山・長谷寺・三徳山・摩尼寺などの霊山が連携して保全・振興に取り組むことを望む。
6)摩尼山・摩尼寺に係わる新規目標
・門前の新規店舗を誘致(強くアピールされていました)
・閻魔堂の地盤沈下→立岩脇の原位置に移設し、摩尼山巡回トレイルを充実させる。
・重要文化的景観「山湯山の梨園と浜湯山のラッキョウ畑」の実現をめざす。


7)山湯山には棚田から転換した梨園があり、浜湯山のラッキョウ畑からは摩尼山頂(北側)を遠望できる。「山湯山の梨園と浜湯山のラッキョウ畑」を重要文化的景観にすることで、砂丘(山陰海岸)と摩尼山の一体化を成し遂げられる。最終的には、摩尼山の山陰海岸国立公園編入をめざす。ちなみに、(重要)文化的景観とは、文化財保護法において「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」と定義されている。水田や畑などが選定の対照になるわけだが、現在選定されている多くは棚田である。湯山は梨園とラッキョウ畑という鳥取の生業の代表的な畑地が複合されているエリアであり、重要文化的景観の対象地に十分なりうると考える。

ご来場の多くのみなさまには中部地震支援、摩尼山保全活動支援の義捐金をいただきました。この場を借りて深く御礼申し上げます。
会場を離れ、ニューオリンズというジャズ喫茶に腰を落ち着けました。最近、ジャズ喫茶熱が復活している先生ですが、どうやらこのお店はお気に召さないようす。そうこうしていると電話が何度かかかってきて、旧知の方が鳥取東照宮の修理下見に来られているということで、急遽鳥取駅までお見送りに行かれました。ニューオリンズのアイスコーヒーを頼んだまま、駅のドトールでラッテを飲みながら雑談されたそうです。【続】


