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男はつらいよ-寅さんの風景(8)

背戸川さん 0608背戸川01sam


「寅次郎の告白」ロケ地を訪ねて(1)

 6月8日(木)、曇後晴。先週、第44作『男はつらいよ 寅次郎の告白』(1991)の鑑賞に加わり、今回は大学に近いロケ撮影地の一部を1・2年生とともにまわりました。4年生の参加者は4名です。大学からバスに乗り込み、まず国道53号線の「河原」で停車。

 背戸川の風景  国道から小路を東に進み、まずは映画で鮎の選別と野菜洗いをしていた背戸川を見学しました。2年前、おなじ上方往来に沿う用瀬でスケッチしましたが、用瀬の背戸川は幅広の急流でした。河原の背戸川は溝と川の中間ほどの幅ですが、かつては千代川の鮎が遡上してきていたそうです。映画の舞台になった洗い場でさっそく人物2名をいれて仮撮影しました。 
 背戸川沿いを南行しました(↑)。ここは上方往来の裏通りで、屋敷の蔵が建ち並んでいます。2014年に昨年度の卒業生がスケッチした連続立面図が残っています。


0608背戸川02 


 旧森下医院  背戸川の南端を東に折れると上方往来に出ます。そのあたりは「東洋美人」と「陽気正宗」という大きな蔵元が相対して軒を連ねていたそうですが、いまは介護施設などに変わっています。その近くに旧森下医院が建物を残しています。女将に迫られた寅さんがどぎまぎしているところ覗き見していた満男が2階から池に転がり落ち、頭から血を出す怪我をした。その治療をした医院です。先生も子どものころなんどか通院したことがあるそうです。 映画では、通院後、満男と泉が自転車にのって川のほうに向かいます。その場面も仮撮影しました。


0608森下01
↑↓森下医院周辺の撮影には自転車が必要ですね。
0608森下02



0608岸医院01


 上方往来の町並み激変  わたしたちは、そこから反転して上方往来を北行し新茶屋をめざしました。この上方往来も昨年度の卒業生がスケッチし、連続立面図を残しています。
 新茶家に向かう途中、旧山陰合同銀行や医院などの洋風建築がありました。医院の看板の文字が逆向きの読みで時代を感じました(↑)。ただ、町並みの歯こぼれは想像以上で、多くの町家の敷地が空地か駐車場になっています。2014年の連続立面図と比較すると、ここでも「劇的ビフォーアフター」がおきていることがわかります。とくに残念だったのは新茶屋の南隣に建つ大きな屋敷T家の主屋が取り壊され、プレハブ系の住宅に建て替えられていたことです。新茶屋につながり映画の映像にもなっている塀だけが残っていたのが救いでした。


0608新茶屋01 0608新茶屋02sam


 新茶屋と霊石山  新茶家(↑)の隣には郵便局があったのですが、やはり空き地になり霊石山が遠望できました(↓)。寅さんも新茶家の二階の窓辺からこの山を眺めていましたね。時間があまったので、先生が18歳まで暮らしていた旧勉強部屋を外からみて、千代川の土手に上がりました。そして八東川と智頭川の合流する河川敷の風景のパノラマを堪能しました。葛飾柴又の江戸川が映画のなかで重要な役割を果たすわけですが、「寅次郎の告白」でその役を担うのは千代川であり、二つの川が重なってみえてきます。


0608新茶屋03郵便局01


 出会橋  八東川と智頭川が合流する部分にかかる橋が出会橋です。映画ではここに「出会橋前」のバス停留所がおかれていました。新茶家の女将でヒロインの聖子さんが寅さん一行を見送るシーンで使われた現場です。じつは、土手にバスは走りません。バス停もベンチもすべて大道具だったのです。ここでも仮撮影し、集合写真も撮りました。出会橋から、下側の上方往来からなど様々なアングルで撮影しました。【続】


0608出会橋01 0608出会橋02sam

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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