パリンカの夢(11)

どんどろけの会
もう一週間ちかく前の出来事で、記憶が朦朧としてきているのだが、19日(月)は午前中に奈良で歯医者に行き、今月に入って2回も外れた親知らずの詰物を半ば割り込みで詰めてもらった。いまのところ安定感はある。
それから家内を乗せて車を西に走らせた。ばあちゃんたちと三朝温泉で遊ぶことが急に決まったためである。用瀬で車から降ろした。そこからは介護タクシーを予約してあったからだ。
わたしは大学をめざした。翌日の講義資料を揃えなければならない。大急ぎで100部コピーした。そうこうしているうちにあっというまに時間はすぎる。会場のジャパンズには開演15分前になんとか滑り込んだ。なにぶん奈良からの旅なので、すでにしてばててている。


開演前に講演時間を聞かれた。半時間、と答えると安堵されたようだ。七時半から八時のあいだに東京在住の議員さんとのWEB会話が始まるそうで、わたしのミニ講演はその前座にすぎないのであろう。講演の構成は以下のとおり。
摩尼山ー日本最大の登録記念物
0.世界文化遺産登録運動の挫折(2006-07)
1.摩尼寺「奥の院」遺跡の発掘調査(2010)
2.摩尼寺の建造物-国登録有形文化財(2014)
3.摩尼山-日本最大の登録記念物(2016)
4.余論 パリンカの夢~寅さんの風景
これまで何度も講演した内容だが、パワポの作成(修正)に時間をかけた。講演者本人としても、すでに摩尼山の話は飽きてきている。むしろ、最近の成果として「パリンカの夢~寅さんの風景」を話したかったので、0~3はかなり圧縮した。新しいスライドをつくるにも時間を要するが、既存スライドの圧縮にも時間がかかる。さいわい「パリンカの夢~寅さんの風景」の内容は歓迎いただいたようで、一気に笑いの渦がひろがった。

講演終了後しばらくして、テレビ電話みたいなWEB会話が始まった。東京事務所にいる議員さんの姿はよくみえるのだが、言語がドシャメシャで、宇宙語か前衛音楽のように聞こえる。これを修正するのに時間がかかった。「だれか話しますか」というお声がけがあり、某県議会議員が手をあげた(あとで知ったがこの議員さんは初参加だったらしい)。その後、だれも話そうとしないので、わたしにご指名がまわってきた。東京の議員さんと面識はないが、
「わたしと議員さんは同い年だと思います」
という挨拶から始めた。わたしがピンポン球の抽選で附中を落ちたとき、議員は附小から附中に進学され、わたしが河原中から西高に進学した際、議員は東京のKO高校に進学された。同い年ではあったが、ニアミスだったのである。


時間がないので、さっそくパリンカ(↑)の話題を切り出した。議員もブタペストでパリンカを飲んだ経験があるということで、当方の意図するところの理解は比較的早かった。そして、「販路さえある程度確保できれば小規模の果実酒特区をつくるのはそう難しいことではない。やれます」という言質を頂戴し、会場から割れんばかりの拍手があって盛り上がった。もう少し話したかったが、東京事務所の秘書らしき方(? 画面には映っていない)から時間超過のサインがあったみたいで、会話は切り上げになった。わたしとの会話が切り上げになったというよりも、鳥取会場との通信が時間切れになったのだと思う。
結構なアドバイスをいただいて喜んだ。こういう場合、過剰な期待は禁物だが、それでも今後の活動を勇気づけられた点、感謝申し上げます。

講演会場には洋梨パリンカとグラッパをもちこんだ。申し訳ないが、パリンカは舐める程度の提供、グラッパはいくら飲んでいただいても構わないのだが、みなさん遠慮気味でしたね。あるいは葡萄焼酎と日本食があわなかったのかもしれない。一次会場をでて二次会は主催者側の店だが、三次会場は男女2名をキアラに招待した。4ヶ月ぶりで、もうボトルすらなくなっていたが、奈良ファミリーで買いおいたチェリーウィスキーを鞄に持ち歩いており、ここでキープしたものの、残念ながら、チェリーの味も香りもしない安物でありました・・・
さらにわたしは一人で蹴球酒場へ。主人にパリンカとグラッパを両方飲んでもらった。「美味いです」という感想。1本おいてもよいとのことで、グラス一杯いくらで売りますか、と問うたところ、思案ののち「800円」とのお答え。納得至極。その後、またしても女子バイトを紹介してほしいと頼まれたので、翌日、ただちに寅さんマドンナ群にメールしてみたのだが、あえなく沈没。後悔と反省の日々を過ごしております。
