登録記念物-摩尼山の歴史性と景観の回復(3)


登録記念物摩尼山活用整備検討委員会
昨年、摩尼山南半の約37万㎡が国の登録記念物(名勝地)に登録されましたが、今年度から3年計画で活用整備事業が始動しています。去る9月28日(木)、第1回活用整備検討委員会が大雲院で開催されました。主催者は摩尼寺、事務局は鳥取市教育委員会で、委員は教授・会長のほか、覚寺集落の区長が地域住民代表として参加されています。28日の委員会では、今年度の事業である案内板3枚の設置と2年度め以降の活動について議論されたそうです。
初年度は門前に総合案内板と石の標識、奥の院と立岩エリアに各1枚ずつ案内板が設置されることになっています。鳥取有数の豪雪地帯である摩尼山では、12月10日前後から積雪が多くなり、山上での積雪はときに2mにも及びます。したがって、案内板の設置は12月初旬に終わらせなければなりません。この工程管理が最も難しいところです。
翌29日(金)には国・県・市の担当者とともに現地視察がおこなわれました。27日の初ゼミの際、こうした専門家のみなさんの視察にあわせてゼミ生も山に登り、立岩周辺の測量をおこなうことが急遽決まりました。
29日は快晴でした。ASALABの4年5名は推定「旧閻魔堂跡地」を調査するため、先に東照宮を視察される先生たちとはべつに境内から山頂立岩をめざしました。これまで先輩たちが幾度となく活動した遺跡地ですが、現ゼミ生でこの地を訪れた者は一人もおらず、道に迷いやすい「奥の院」経由の旧道は回避し、境内から直接立岩に向かったのです。

明治45年絵図にみる地蔵堂と閻魔堂
私は「摩尼寺閻魔堂」について卒論で取り組むことに決めています。摩尼寺閻魔堂は、以前ブログで示した通り、現在は山麓境内にありますが、古写真やヒアリングにより、昭和40年ころまで立岩横に存在していたと思われていました。因幡の民の霊魂は摩尼山を経由して往生すると古くから信じられており、その後閻魔の裁きを受けて、あの世に旅立つと考えられてきたのです。さらには市教委の調査(↑)により、立岩横の基壇規模と山腹境内の閻魔堂の規模はほぼ同寸であるが、平入が妻入に変化し、繋虹梁の形式も変わっていることなどが判明してきています。
ところが、28日の委員会において、新たに発見された「喜見山摩尼寺之図」(明治45年)が紹介され、私たちが旧閻魔堂と認識していた山頂の建物が「地蔵堂」であった可能性が浮上してきています。この閻魔堂もしくは地蔵堂と推定される建物は、昭和18年(1943)の大地震で倒壊した後も山上で修復され、昭和40年(1965)ごろまで立岩の横に姿をとどめていたとされています。一方、山麓境内の閻魔堂は昭和45年(1970)の新築ながら、向拝などに幕末ごろの部材を残しており、それらの部材は山頂閻魔堂の転用材と推定されてきたのですが、明治45年(1912:山陰線全通により善光寺如来堂が建立された年)の境内図には、山麓境内に閻魔堂が描かれており、閻魔堂は昭和40年以前から、山上ではなく山腹境内に所在した可能性が高まったのです。
一方、立岩周辺は「賽の河原」の別称があり、「賽の河原地蔵和讃」という一種の歌から知られるように、地蔵菩薩との係わりが深いと考えられるため、これまで「閻魔堂」と推定されてきた建物は「地蔵堂」の可能性を検討せざるをえなくなっています。

↑↓明治45年絵図 上:立岩周辺(地蔵堂?と賽河原) 下:山腹境内の閻魔堂


現場では、地蔵堂?と鐘楼の基壇跡を中心にして立岩の周辺にひろがる平場全体の測量に取り組みました。まず方眼紙に配置図をスケッチした後、インパルスで座標を取っていきます。インパルスとは、先月のブータン調査でも大活躍だった測量機器です。倉田八幡宮でのエクササイズがじつに役だっています。座標をある程度取り終えたお昼すぎ、先生と活用検討委員会のみなさんが奥の院経由で合流されました。

旧地蔵堂と思われる建物跡地の範囲や礎石痕跡を確認するため、簡易ボーリング調査もしました。基壇上から鉄の棒を地面直下にむけてさし込んでみたのです。すると、あきらかに硬い土層(ひょっとしたらコンクリート)部分が密集しているところと比較的柔らかい土層に区分されることが分かりました。現在の芝生の植え土である黒土(表土)をめくるだけで、そこそこの情報を得られるかもしれません。この日の失敗はドローンの充電ができていなかったことです。折角、山上までもってあがったのに、ドローンはごく一瞬をのぞいて飛行せず、立岩周辺の空撮ができませんでした。先生に呆れられてしまいました。好天の日を見計らって、再度山頂に向かい、ドローンによる航空写真を撮影する予定です


今後は、1)山上立岩周辺基壇の測量、に加え、2)山腹境内閻魔堂と古建築部材の実測・拓本採取、3)絵図・古写真の精査、4)文献史料の解読などを通して、山上立岩周辺基壇上の建物の機能比定と復元について考察する。復元図については手描きとCADの両方で表現したい。立岩周辺全体の復元パースを描ければ最善であろう。(きびたろう)

立岩周辺配置スケッチ