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続・ハ地区の進撃(11)-第6次ブータン調査

170914 パジョディン 風景 170914 パジョディン 崖


パジョディン 奥の院

 標高3650mを超え、ようやく「奥の院」の岩壁に建つパジョディン僧院を確認することができました。到達まであと少しです。首都ティンプーの町並みも、これだけ高い山上から望むとすっかり小さく見えます。 
 標高3800m。ようやく目標地点であるパジョディン僧院に到着しました。朝8時半から登山を始め、時刻は午後2時になっていました。そのころ先生はジャンパラカン(弥勒僧院)の本堂にいて、なんどもトランシーバーで発信されるようになっていたのですが、如何せん、電波の授受がいい加減であり、音声が小さくて聞き取り難い状態が続きました。


170914 パジョディン3800m パジョディン僧院


 先述したとおり、「奥の院」はドゥク派信仰の始まりの地です。ドゥク派の伝道者パジョ・ドゥゴム・シクポが瞑想していた修行場だと伝承されており、本堂クラスの周辺にいくつか瞑想洞穴を確認することができました。これらが開山の場所にたつ建築群です。しかし、今に残る建物は14世紀まで遡らないようで、再建年代はむしろジャンパラカンのほうが古いことを後で先生に教えられ、驚きました。開山は山頂周辺であり、元の建物は古かったわけですが、その後、山全体の本堂格の建物は標高の低いジャンパラカンに移り、山頂周辺の建物はなんどか再建されたものと思われます。しかしながら、瞑想場としての価値は「奥の院」が最も高く、14世紀以降も続々と多くの僧達が訪れて修行を行いました。こうして宗派を学ぶための僧院が各地に増設され、西ブータンを中心にドゥク派が浸透し始めるのです。
 「奥の院」周辺は、残念ながら、僧の方々が不在で内部を確認することは叶わなかったので、外側からの写真を撮影するにとどまりました。


 170914 パジョディン3800m②  
↑本堂
170914 パジョディン瞑想洞窟
↑(上)瞑想洞穴  ↓(下)廃墟
170914 パジョディン 瞑想洞窟



170914 パジョディン 新本堂全体  170914 パジョディン17世紀本堂 外観


ジャンパラカン本堂内部

 しばらくして霧がまとわりついてきました。天候は悪く、時間もなくなってきた折り、トランシーバーが鳴る音も散発的に聞こえるので、撮影を中断し急いで下山することになりました。トランシーバーは鳴り続けますが、先生の所在地は不詳で、迷いに迷った末、なんとかジャンパラカンで先生と合流することができました。「奥の院」へ進む際になんの連絡しなかったことを厳しく叱られました。
本来はジャンパラカンの前庭で昼休憩し、他の登山者とともに昼食をとるべきだったのです。なにより建築年代の最も古いジャンパラカンをスルーしたのは大きな失敗でした。
 私たちが「奥の院」に到着したころ、先生は若い僧侶にジャンパラカン内部の説明を受けておられたそうです。ここは青少年僧を教育する学校でもあり、子どもの僧侶はみなとても親切で、学生も本堂内部を見学させていただけることになりました。内部の撮影は禁じられていましたが、貴重な壁画や仏像を拝見させていただきました。本尊の弥勒菩薩は中央の奥室に配し、前側に釈迦とグルリンポチェを祭っています。こうした配置は、キチュラカンを始め、西ブータン各地の僧院で確認できます。壁画には歓喜仏が描かれていました。疲弊しながらも登山をした甲斐あって、貴重な仏像・仏画を拝見させていただくことができました。御礼に、ポラロイドで顔写真を撮影し、若い僧侶のみなさんにさしあげました。


170914 パジョディン17世紀本堂 正面
↑↓ 青少年僧と記念撮影
170914 パジョディン記念撮影①   170914 パジョディン記念撮影②   170914 パジョディン記念撮影③   


 雨が降っていました。結構大粒の雨です。私たちは雲の中にいたのです。ジャンパラカンを離れたのは午後3時半ころでした。下山は登山にくらべればはるかに楽なものですが、縦走路は長く、登山口までたどり着いたら午後6時になっていました。まる一日かけたパジョの縦走登山がようやく終わったのです。
 ティンプーのホテルではバイキング形式の夕食が用意されていました。席に着き、まずはみんなとビールで乾杯。登山でお腹が空いていた私は、かなりの量の料理をいただきました。人一倍多く食べる様子を見られてしまい、あまりの食欲に先生や男子一同に目を丸くされ、「高橋尚子のようだ」と何度も言われました。登山をした4人の中で一番多く食べていたかもしれません。何はともあれ、無事下山し調査を終えることができて良かったと感じたブータン最後の夜になりました。(きびたろう)


170914 パジョディン下山途中
↑下山途中、展望地点のチョルテンからジャンパラカンを望む

0914弥勒01 0914弥勒02

【教師追記】
 学生たちにはるか引き離され、それでもなんとかジャンパラカンにたどり着くと、すぐに子どもの僧が寄ってきてミルクティをマグカップに注いでくれた。大半の登山者は、こうして軽いもてなしをうける。テーブルにはポン菓子がおいてある。隣のテーブルでは、登山時にわたしを楽々と追い抜いていったマウテンバイクの3人組が休んでいた。学生3名のことを訊ねると、「上にあがったよ」と教えてくれた。しかし、わたしにはなんのメッセージも残されていない。トランシーバーのスイッチをいれたが、電池は切れていた。とっさに判断し、懐中電灯の電池をぬいてトランシーバーの電池3本のうち2本を交換すると、通話可能な状態になった。学生たちにむけて発信。たまに小さな音声が聞こえる。自分の居る場所を繰り返し伝えようとするが、なにぶん雑音が多く、相手に伝わったかどうか分からない
 子どもたちに日本からもってきたキャンディやチョコレートを配った。続々むらがってくる。なんどもミルクティをお代わりし、それにポン菓子をばらまいて啜りながら、会話を楽しんだ。少し遠くの席には、ラマと美しい女性が長話をしている。女性はガイドだが、客はいないと教えられた。その後、本堂内部を見学し、青年僧の英語解説を聞いているところに、近くまで下山してきた学生の声をトランシーバーで受信した。「青いビニールが被さった修復中の本堂にいる」という。「それは新しい本堂だ」と教えて、「隣の古い本堂に来てほしい」と伝えた。まもなく、ガイドと学生3名がジャンパラカンの前庭にあらわれた。

   「えっ、これが古い本堂なんですか?」

 その後、ガイドと3名の学生がどのいう扱いを受けたかは、想像にお任せします。
 下山時に分かったことだが、マウンテンバイク隊3名のうち日本語を少しだけ話した1名はアンビエント・カフェのマスターで、ウタムさんの知人なのだという。アンビエント・マスター(か美しいガイドさん)に一言メッセージを残しておいてくれれば、安心に行動できたのにね。ブータンは6回めだが、パジョディンの山上はわたしにとっても処女地である。少々不安な時間を過ごした次第です。そういえば、下山時に2匹のクマを発見したんだ・・・


0914弥勒03

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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