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十月桜(4)

1021佐治06


FCセクストン東西対抗血戦

 佐治小に着いたのは午後2時ころ。他のメンバーはすでに青(東軍)と白(西軍)のユニフォームに着替えアップしていた。わたしたちを待つ必要などなく、先にはじめておいてくれれば良かったのに・・・律儀な人たちです。わたしは東西対抗血戦のユニフォームが青・白ということさえ知らなかった。平城サイトスの赤・緑のイメージをひきづっていて、バルサのバッグの中には赤・緑・青のシャツやジャージをしのばせておいたが、白の着物はない。なんとか代用になりそうなのは、葛飾柴又で買った寅さんTシャツ(うす水色)しかなく、それを着ることでなんとか西軍のアイデンティティを確保した。それにしても、秋のイベントで寅さんTシャツは毎年活躍しますね(翌週はステージ衣装にまでのぼりつめる)。


1021佐治07


 東西対抗血戦のため7月に買ったアンブロのサッカーシューズと4号球はついに穿くことも蹴ることもなくこの日を迎えていた。ティンプーでのパジョディン登山以来、まともな運動はしていない。週末夕刻のブラブラブ散歩と週1度未満のボクシングジムでの軽いトレーニングだけで、サッカー狂いの爺どもに適うはずもなく、動きは後手後手にまわった。ボールをもっては失い、しばしば失点の源になる。戦術を馬鹿蹴りに変更した。よく言えば、ダイレクトパスさ。しかし、それにしても、他の爺どもはよく動くぞ。なるほど芝生のグラウンドでやりたがるわけだ・・・などと感心しているところで、東軍の左サイド1名がコートに倒れ動かなくなってしまった。靭帯損傷(後に断裂→手術と判明)。車から湿布薬をとってきて貼ってもらった。だから言ったでしょ、無理しちゃいけないって。気持ちだけは若いが、みんな歳を重ねているんだからね。
 友人の怪我をみて、わたしはますますのんびりサッカーしようと思うにいたった。リラクシンが奏功したのか、右のアウトフロントでひっかけたダイレクト・シュートがゴールを割った。1点取ったんだ。みたか、ざまぁみろ! と調子にのって、左サイドを駆け上がろうとしたところで、あっさり前倒れ。危ない転び方だったが、九死に一生をえた(大袈裟)。もう駄目だと自覚し、以後は疑惑のレフェリーに徹しました。


1021佐治08
↑還暦記念品贈呈(私じゃないよ) 


 
1021鹿野05


 そんなこんなで戦いは終わりました。たしか8-10でわが西軍は敗れ、2次会のビール代をすべて負担することに・・・はならなかった。東軍の温情に感謝します。そういえば、タクオが3時ころやってきて、西軍に加わってもらったんだ。みんな上手い上手いと絶賛してくれたが、師匠から言わせてもらうとですね、若いんだから、もっとぶっちぎりの力みせんかい!
 夜は鹿野の国民宿舎「山紫苑」でどんちゃん騒ぎ。有難いことに、還暦のプレゼントまでいただきました。ほんとうにありがとうございます。各種授賞式があるのには少々驚きました。来年はおれがとってやる、なんて微塵も考えておりません。怪我したくない。風邪もひきたくない。これが本音であります。


1021鹿野03


全日空欠航

 10月22日(日)。朝からひどい雨で、みな帰途を案じている。先行して宿を離れていったり、昼の精進弁当をキャンセルしたりする人もいた。仕方のないことです。こんなひどい雨ではどこにも行けない。が、賀露のかにっこ館へ行きました。わたしだって処女地なんですから、案内できるはずもない。それでも、敷地を歩きまわり、スナバ珈琲を探し当てた。ここで十名ばかりが雨宿り。そして、摩尼寺門前へ。送迎車組が門脇茶屋、マイカー組が源平茶屋で精進弁当をいただきました。
 食事も終わろうとするころ、全日空欠航の急報あり。一同JR駅への移動を即決した。わたしは御茶屋さんと少しだけ話があったので、やや遅れて茶屋を発ったんですが、駅に着いたときには全員スーパーはくとに乗り込んだ後でした(以降の便は運休)。国民宿舎門前の朝市で買った渋抜きの渋柿を、みんなに食べてもらおうと思っていたのですが、間に合わなかった。ごめん。


1021鹿野02 1021鹿野01


 その後、いったん下宿に戻り、横になったんだけど、神経が高ぶっていたのか昼寝できなかったので、体を奮い立たせてジムに行ったの。渋抜きの渋柿もジム仲間に分けました。そのあとはだらだらと選挙速報をみた。ありゃ、時間の無駄だわ。奈良1区で馬渕が落選したのには驚いたけどね。地元の感覚ではありえない出来事です。

 わざわざこんな田舎まで大勢のみなさんに来ていただいたのに、 芝生のグラウンドは使えず、ラッキョウ畑の花園は歩けず、 摩尼寺は参拝できず、親ガニどんぶりには間に合わず、まことに情けない限り、、、不徳の致すところです。深謝申し上げます。
翌23日(月)、家内が難波からバスで鳥取に来る予定だったのですが、高速バスもスーパーはくとも運行中止で来鳥叶いませんでした。難波まで送った息子によると、大阪では晴れ間がみえるという。鳥取では曇り空で、わたしは新聞社をまわって広報活動していたのですが、雨粒はまったく落ちてきていませんでした。親子二人は理解に苦しみ、ポカンとするばかり。
 同窓諸君の痛みを少しだけ共有できたかもしれません。 【完】


1021鹿野04
↑スタバはないけどスナバはある(いまは大きなスタバができてます)。

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Many Thanks!

お、浅川、いろいろと世話になった。
俺の目の前で浅川がつんのめって倒れる時には
レスキューしようにもレスキューできんかったな。
病院送り、第2号にならなくて何より。

芝生から体育館に変更になった時、
床でのサッカーで誰が不幸なケガに見舞われるか?
と言ってたら、まさかの東軍選手となりました。

芝生でやってたら、誰か別の方が犠牲になっていた
のでしょうね。(俺だったかも、、)

とにかく、久しぶりに浅川に会えて何より。
みんなその日のうちに帰れてハッピー。
鳥取ツアーみんな満喫して帰りました。
(俺は東京に帰宅後、カミさんとカニとノドクロ三昧
だった、旨かった)

NHKテレビで見た用瀬の景色も堪能できてラッキー
(大学生が古家を借りてアイデア商売をしていた)。

後は、篠田の回復を待つばかり。

-阿形







阿形さんへ

鳥取の二日間、本当にお疲れ様でした。もっと鳥取らしいところにみんなを連れていきたかったんです。たとえば、「限界集落」のなかでおじいちゃんとおばあちゃんが山菜料理やっている民家レストランとか、ラベンダーもどきのラッキョウ花畑の絨毯とか・・・すべて台風にやられてしまって、結果はかにっこ館なんだから呆れてシャレにもなりません。その後の週末も雨が多くて、故郷での凱旋講演「寅さんの風景」も、大家を招いた「ブッダが説いたこと」講演会も雨でした。篠田さんの講演日(8日)の予報は曇りですが、まぁ怪しい限りです。しかし、鳥取ではいつも思うのね。
  
  雨の日には雨の日の良さがある。

そう思って暮らしています。田舎暮らしは楽しいよ。65歳になったら、わたしは鄙びた集落にジャズ喫茶を開きます。そのときには、またみんなで遊びに来てください。

プロフィール

魯班13世

Author:魯班13世
--
魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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