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上方往来-峠をこえて(1)

171109智頭1 


智頭宿-石谷家と上町の町並み

 11月10日(木)。上方往来を南行し、智頭・大原・平福を訪れてまいりました。上方往来の中でも町並みの保全に力を入れている県内外3つの宿場の見学です。この街道は、鳥取から姫路に上る場合は「上方往来」、逆に姫路から鳥取に下る場合は「因幡街道」と呼ばれています。大原(岡山)と平福(兵庫)は県外ではありますが、鳥取自動車道の無料区間内に位置しているので、平福まででも鳥取から車で40分ほどあれば着きます。
 気温が市内で13度ほどになるらしいので、山間の集落となればもっと寒くなるだろうと予測し、結構着込んでいったのですが、予想以上に冷えました。


171109智頭本陣


 午後一でぱでぃさんと2人、智頭宿に向かいました。智頭宿は池田侯が参勤交代で鳥取を出発し一番初めに泊をとる宿場町です。鳥取から智頭に至るまでに河原宿や用瀬宿もありますが、いずれも宿場というよりは御茶屋=休憩所でした。智頭宿は2年前に居住環境実習・演習(Ⅰ)でいちど訪れており、本陣の石谷家住宅(重文)と上町の町並みを見学しています。石谷家住宅はいつみても圧倒的な存在感を放っています。今回、智頭宿では石谷家住宅周辺の町並みのフォトスキャンを作成するための多重撮影をしました。石谷家の向かいには重厚な趣の米原邸があり、その奥には一度焼失し明治期に建てられた塩屋出店がありました。塩屋出店の庭とその一角に建つ西村克己映画記念館は見学無料だったので、少しだけ中に入りました。庭園と和風の建造物、その中にたたずむ洋風建築は和洋折衷の不思議な空間です。11月になり道端にも紅葉が見られ、秋を感じます。


171109塩屋出店2 171109塩屋出店1



171109大原1 171109大原2


大原-岡山県町並み保存地区

 智頭宿の見学を終え、駒帰から峠をこえて、大原宿に向かいました。
 本陣があるのは古町と呼ばれる地区で岡山県の「町並み保存地区」になっています。本陣の有元家住宅は、鳥取藩主池田侯が宿泊するために建てられたものです。天明三年(1783)に類焼しており、現在の建物は寛政年間(1789~1801)に再建されたものです。また、本陣のほかに脇本陣もあります。本陣に大名や幕府の要人が泊まるとき、脇本陣は重臣の宿舎に当てられていました。脇本陣は長屋門を備えており、従者の詰めの間や寝間として使われていました。
 大原宿には、明治18年に建てられた造酒屋や築100年の難波邸など古い建造物もあれば、ふれあい広場や消防器具庫など新しい施設もありましたが、新しいものでも町並みに調和するように設計されていました。袖壁や海鼠壁が多くみられます。古町では江戸年間に4回の大火に見舞われ、防火対策のために造られた防火壁ということです。郵便ポストも町並みにあわせて黒塗りになっていました。以前ぱでぃさんと上方往来の略地図をネット上で探したときにみつけたイラストの本物が大原宿にあり、とても驚きました。

 智頭宿と大原宿の共通点は、一部区画ではあるけれども、電線が地下埋設されて電柱がないことです。大原には、本陣の向かいには消防団の施設が設けられており、防火対策も万全です。水路や川が近くにあって造酒屋が目立ちます。昭和61年に「町並み保存地区」になって以来、景観の整備が順調に進んでいるという印象を受けました。【続】


171109大原本陣 171109大原脇本陣

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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