上方往来-峠をこえて(2)


川面に映る平福の町屋群-兵庫県景観形成重要建物
午後4時頃に大原宿を出発し平福へ。道の駅で先生、かっきーさん、のんちゃん(別名きびたろう)と合流しました。平福まで大原から車で10分ほどの距離ですが、今でこそ高速が整備され近く感じるだけで、少し前までは山の裾野をぐるぐる巡る道のりだったと聞いています。平福は戦国時代の山城、利神城(りかんじょう・国史跡)の外濠にあたる佐用川の外側に形成された宿場町です。

上方往来に沿う町並み(町家群)だけでなく、佐用川に沿う土蔵群の川並みが見事です。河原宿や用瀬宿の背戸川に沿う土蔵群とはまた全然異なる風情を楽しめるのです。川に流れを堰とめる岩などのがないため、波の立たない穏やかな水面をしています。それはまるで大きな鏡のようでした。土蔵のファサードが対称に映し出されるのです。天神橋のたもとに「川面に映る平福の町屋群-兵庫県景観形成重要建物」の案内板がありました。3棟の土蔵を含む町屋が景観形成に貢献する県指定の文化財建造物になっているのです。夕暮れの川面に映る土蔵は幻想的なほど綺麗でした。土蔵下側の歩道と石垣がコンクリートになっていたのは残念ですが、景観全体をコントロールしようという努力は感じられました。


↑↓兵庫県景観形成重要建物の景観


佐用町街並み保存地区
大原が岡山県の「町並み保存地区」であるのに対して、平福は佐用町の「街並み保存地区」(1982)になっています。川面に映る土蔵の景観だけでなく、上方往来に沿う町並みの整備も進んでいます。平福に本陣そのものは残っていませんが、本陣跡があります。車で前を通るだけになってしまいましたが、その内側は神社の御旅所になっていると聞きました。町並みは歴史的建造物の修理・修景だけでなく、交番などの新しい施設も伝統的な外観でデザインされていました。一般的な新しい住宅でも町家風にデザインされており、格子窓が付いていたり、表側だけ町家風で奥の方が普通の現代建築であったりしていました。国道53号線の向こうの高台にたつ介護施設まで伝統的なデザインになっています。佐用川の対岸から土蔵群など裏の町並みをみる際、巨大な介護施設は借景になるので、効果はとても大きなものだと感じました。そういえば、最初に訪れたJR平福駅も町家風のデザインにしていました。町からJR駅を望むとその背景に利神城の遺跡がみえます。伝統的なデザインにしたのは大正解だと思いました。利神城と平福の町並みの報告書が修復スタジオにあるらしいので、探すついでに大掃除をしようと思います。


↑上方往来 ↓記念撮影




取り残された鳥取県の町並み保全
最後に長屋門が目印の農村カフェ「記憶」にお邪魔しました。これについては、先生の報告にお任せします。上方往来三ヶ所の宿場を巡り、どこも整備と保全がされていることを実感できました。ただし智頭においては、石谷家住宅という超目玉の重要文化財があるものの、周辺の町並みを自治体が「制度」によって保全しているわけではありません。「岡山県町並み保存地区」の大原、「佐用町街並み保存地区」の平福は、国交省の街並み整備環境事業(街環)によって整備され、自治体による町並み保存の制度に即して町並みの維持保全が図られています。街環による整備は、「保全」よりも「景観形成」を重視するため、町家等建造物が古材を喪失するなどの問題も発生しますが、将来にむけて持続可能な歴史的景観のまちづくりが保証されています。それが鳥取県にはありません。大原・平福と唯一似ているのは、鳥取県の伝統的建造物群保存地区に選定されている智頭町の「板井原」ですが、板井原の場合、あそこまで過疎が進むと、制度のみで保護できるか不安になります。

上方往来の宿場町である智頭、用瀬、河原はすべて町並み保全が担保されていません。文化庁の重伝建に頼ってばかりいると、ゼロか百かの二者択一になります。兵庫や岡山のように、地方自治体による町並み保全の制度を鳥取も早急に導入する必要があるのではないでしょうか。
とくに用瀬と河原は大きな問題を抱えています。とりわけ河原は歴史的な町並みが危機的状況にあります。用瀬はまだ観光案内ができるくらいには力を入れていますが、河原の町並み、とくに背戸川沿いの土蔵群をどう残していくかを考えていかなければならないと思います。卒論で解決策を考えようと思います。
個人的な余談になりますが、平福で資料を手に入れられず目標としていたホルモンうどんも食べられず、雪の降らないうちにリベンジをしないといけないなと思いました。 (みひろ)

↑天神橋-私の渡良瀬橋。 1枚上の写真は天神橋から遠望した利神城