懐かしい、青谷の豆腐


川六を訪ねて(1)
「寅さんの風景」講演会で、わたしは軽はずみにも稲常や河原樋口神社の石灯籠を川六かもしれないという可能性を示唆した。ところが、講演においでになった財団の氷下魚さんは、わざわざ先々回の校正(松原田中)の際、あおや郷土館の図録『没後150年記念 川六-因州が誇る幕末の名石工-』(2016)をお持ちになり、河原や稲常の石灯籠に署名がないことから、川六とはちがう別の石工の作ではないか、と仰るのであった。
図録をざっとみせていただいて、たしかに川六の作風は異才の趣きがあり、樋口神社などとはちがうのかもしれないと思い始めた。ただ、多様な石造物のなかで石灯籠だけは、自然石を多用する河原、稲常、紙子谷のそれに似ていないことはなく、いかんせん署名の刻印がないところに憾みがある。それにしても、なぜ氷下魚さんはこれほど石造物に詳しいのか、その理由はきっちりお聞かせいただいたが、ここでは書かないことにする。


週末、わたしは青谷まで車を走らせ、郷土館で図録を入手した。さっそく付近の川六作品をみてまわろうと思ったのだが、霰の飛び散る厳冬のような日で、潮津神社の狛犬と専念寺の地蔵尊だけみて早くもリタイアし、ようこそ館にしけ込んで珈琲を啜りつつ校正を終えた。そして、青谷の豆腐を2丁買った。こんにゃくや味噌も買った。そしてそして、夕食は湯豆腐になった。こんにゃくはその日で3日めの煮物にぶっこんだ。少し痩せたような気がする。

懐かしいよね・・・「青谷の豆腐」、そして「続・青谷の豆腐」。倉庫番をしていたキャッツアイの森三中は、いまや岐阜在住で、様式的には復元的傾向が認められるという微かな情報もえているが、その実態は詳らかでない。




