FCセクストン東西対抗オフサイド講座 レポート(3)

最後にトリを務めた篠田健一さんの講演要旨をお届けします。篠田さん作成の講演配布資料テキストをそのまま転載しますが、図版については一部差し替えています。
ここまでわかった! 日本人の起源
20世紀後半から始まった分子生物学の発展によって、今世紀のはじめには、われわれホモ・サピエンスがおよそ20万年前にアフリカで誕生し、10万年より新しい時代に世界に拡散したということが明らかになった。そして現在では、DNAの情報に基づいた人類の起源や拡散についての議論が、世界の各地で行われるようになっている。遺伝子の系統解析は、現生人類(ホモ・サピエンス)の起源と拡散の経路に関するシナリオを構築し、集団の遺伝的な組成の比較は、従来の化石の研究とは異なる手法で、地域集団同士の近縁関係を明らかにしつつある。
20世紀の終わりまでは、現生人類はおよそ2百万年前にアフリカを出た原人が世界の各地で独自に進化して、地域集団を形成したと考えられてきた(多地域進化説)。この学説に従えば、いわゆる「人種」は非常に長い歴史的な背景を持つことになるが、DNA分析の結果はこの学説を支持しなかった。DNA研究からは、アフリカを出たわずか数千人の人類が、数万年をかけて人間が居住可能な世界の隅々まで拡散したことが明らかとなっている(新人のアフリカ起源説)。このことは世界中に展開する現生人類は遺伝的には比較的均一な集団であるということを示している。この結果は、「全ての文化は同じ才能を起源として生まれ、基本的には同じ潜在能力を持っている」という認識の遺伝的な背景をなし、多様な社会を理解する際に重要な視点を提供することになった。
日本人の起源に関しても、これまでは特定の地域からの渡来を想定していたが、アフリカ起源説が定説化したことで、発想を根本的に変える必要があることは明らかである。

図1. DNAと考古学的な証拠から導かれた人類の世界拡散
1.日本人の起源
地域集団の由来や成立の歴史を知ることは民族のアイデンティティと直結するため、古代から人類はその答えを求めてきた。日本列島集団に関しても、その成立史を明らかにするために広い学問分野で様々な研究が行われてきたが、最近では遺伝子研究が詳細なシナリオを提供している。従来の日本人の起源に関する研究の多くは、その起源地を特定するものだった。しかし、人類がアフリカで誕生し、世界に拡散したという事実を踏まえれば、この問いは「過去10万年間に、アフリカで誕生したホモ・サピエンスが、いつの時代にどのルートを通って日本に到達したか」という設問に置き換えて考えることになる。更に言えば、日本人の起源はアフリカを出た集団のアジアにおける拡散の中に位置付けられるものであり、東アジア集団の成立の歴史の一部として捉えるべきものなのである。
2.ミトコンドリアDNAの系統
これまでに行われた集団の由来を解明するための多くのDNA研究は、ミトコンドリアDNAの系統解析をもとにしている。ミトコンドリアDNAは約16,500塩基の環状のDNAであり、1981年にはその全塩基配列が決定されている。ミトコンドリアは細胞質中に存在するので、卵子に由来するDNAが子に伝わることになり、従ってその解析は母系の系統を追求することになる。ミトコンドリアDNAは突然変異を起こす確率が核のDNAに比べて10倍以上高いと言われており、人類集団の中にも多量の変異が蓄積している。そのため、これまで世界中の集団で変異が調べられており、変異の系統関係が確立していて、集団の起源を追求するのに適している。ミトコンドリアDNAの遺伝子を記述している領域にある1塩基多型(SNPs)の組み合わせをハプログループと呼ぶが、この変異は人類が世界に拡散する過程で地域集団の中に生まれたので、ハプログループにも地域特有のものが存在し、それらの関係は人類の拡散の様子を再現するための手掛かりとなる。

図2. 日本列島及び周辺集団のミトコンドリアハプログループの頻度
3.ミトコンドリアDNAから見た日本人
図2は、日本人の持つミトコンドリアDNAのハプログループと周辺地域および縄文、弥生人と比較したものである。日本人の持つハプログループは朝鮮半島や中国東北部の集団と共通していることが分かるだろう。これらは弥生人にも共有されていることから、現代の日本人の持つ多くのハプログループは、弥生開始期以降に稲作農耕と共に列島にもたらされたものだと推測できる。現在では、現代日本人は在来の縄文集団に大陸から渡来した弥生集団が混血して成立したと考える二重構造説が主流となっているが、ミトコンドリアDNAの分析結果も概ねこの学説を支持している。ただし、最近行われた北海道集団を対象とした地域研究は、北海道の先住集団であるアイヌは沿海州の先住民と共通のDNAを持っていることを明らかにしており、列島集団の成立は単純な二重構造説では説明できていない。その由来を正確に知るためには、沖縄や北海道を本土日本の周辺地域としてみるのではなく、それぞれを独自の成立史を持った地域として捉える複眼的な視座が必要であることが指摘されている。



図3.縄文人のミトコンドリアDNAハプログループM7aの系統
4.縄文人のミトコンドリアDNA
これまでに日本列島各地から出土した縄文人のミトコンドリアDNAが解析されており、その系統には地域差があることがわかってきた。特にM7aという系統ではそれが顕著で、これまでの日本人起源論が仮定してきた、均一な縄文人像は見直す必要があることが指摘されている(図3)。
5.縄文人と弥生人のゲノム解析
2010年以降、次世代シークエンサが利用できるようになった事で、古人骨に含まれる核のDNAの分析も可能になっている。そのゲノム解析から、縄文人は現代の東アジア人と大きく異なっていることが明らかとなった。ただし、その特殊性をどう説明するかについては、まだ定説がない。特定の地域からやって来た単系統集団ではなく、日本で誕生した可能性も考えられている。この問題を解決するためには、縄文相当期の東アジアの古人骨を調べるとともに、一万年以上続いた縄文時代の各地の人骨から得られたゲノムを丹念に解析していく必要があり、今後の課題となっている。
弥生時代には、列島の中に遺伝的に異なる集団が住むようになると言われている。各地の弥生人のゲノムの解析でもその傾向が認められており、東北地方の弥生人は縄文人と変わらない遺伝子構成をしていることが明らかになっている。九州では、中期以降の渡来系弥生人は、縄文人と大陸集団との混血によって形成されていることも判明している。実際には、地域よって遺伝的に異なっていた縄文人集団の中に、稲作農耕民が進入し、両者の混血によって現代人集団が形成されたのだろうと考えられる。弥生から古墳時代にかけての遺伝的な違いの研究は、現代日本人の形成が、どのようなプロセスを経て達成されたのかを明らかにしていくことになる。【完】


2017年12月8日@公立鳥取環境大学14講義室