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大根島-仏のクリスマス(3)

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 日御碕を離れ、大根島の八束に向かう。23日から24日にかけて宍道湖を一周する格好になったわけだが、くどいけれども天気がよく、その穏やかな風景を堪能した。気分は最高。伯耆の大山、出雲の宍道湖は風土の核というべき自然環境であり、そのような存在に人々は畏敬の念を抱いている。神話の重要な舞台になるぐらいだからね。残念ながら、因幡には核というべき自然の名勝地が見当たらない。だから、羨ましい。

能海 寛『世界に於ける仏教徒』輪読会

 23日午後の目的は岡崎秀紀氏が主催する東方学院松江校の定期講義「能海寛『世界に於ける仏教徒』を読む」の輪読会にオブザーバーとして参加することであった。会場は八束公民館第1講義室。中村元記念館の隣の隣に建物はある。輪読の参加者は5名。偶然にも、我らが『民家のみかた 調べかた』輪読会の参加者と同数である。講義にせよ、ゼミにせよ、野外演習にせよ、少数がいい。なにより学問に集中できる。
 能海寛(1868-1903?)は島根県浜田市出身のチベット探検家、真宗大谷派の僧・仏教学者である。若いころから英語を始めとする外国語の習得に力を注ぎ、明治26年(1893)に『世界に於ける仏教徒』(哲学書院)を出版している。漢籍の素養も深く、文体は漢文の読み下し体になっていて読みやすい。能海関係の著作は他にもあって、『能海寛遺稿』(五月書房・1998)と江本嘉伸『能海寛 チベットに消えた旅人』(求龍堂・1999)を取り寄せたが、肝心要のテキスト『世界に於ける仏教徒』は入手できないので、岡崎氏の指示に従い、国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/816791)から50頁ばかりダウンロードした。23日は以下の第6~9章が4名により輪読され、わたしはそれを拝聴した。
  第6章 道徳上ノ仏教(戒律論)   第7章 比較仏教学
  第8章 サンスクリット(梵学)   第9章 仏教国ノ探検-西蔵国探検ノ必要
 内容はただただ驚くばかりである。能海は、明治中期の段階で、書名のとおり、世界に視野をひろげて仏教をとらえようとしている。それも、中国・西域・西蔵・インドなどにとどまらない。第1章「宗教ノ革新」を読むだけでも、アメリカ人宣教師ドレッパー、統計学者レラニレビ(国籍不明)、ノルマンディのフランシスカ・アラーンデル女史、ルソン島米国領事ラッセル・ウェップらを引用してキリスト教の形骸化を指摘しつつ、アメリカの神智学者オルコット、アイルランドのジョンストン女史、ドイツの哲学者ショッペンハウエルらの名を挙げて、西欧社会における仏教徒の増加と仏教の思想的影響を述べている(参考:『世界に於ける仏教徒』難解文字簡易解説)。
 能海の視野はかくも広大であったが、第9章で説くように、そのフォーカスはチベット(西蔵)に絞られている。古代インドのサンスクリット・パーリア語経典が著しく散逸した状況にあって、直訳に近いチベット語経典(蔵経)の重要性はどんなに重くとらえても重過ぎることはないからだ。能海は25歳にして『世界に於ける佛教徒』を自費出版して蔵経原典入手の意義を強く説き、明治31年(1898)に四川経由、2年後に青海経由でチベット入りを試みるが、いずれも失敗に終わる。翌34年、雲南省大理経由でチベットをめざすという手紙を投函した後、消息を絶つ。能海は明治36年(1903)ころ、チベットに近い雲南の省境で土賊に襲われ死んだらしい。これを後に現地で確認したのは建築史学の大先達、伊東忠太であった・・・と書いたら、岡崎氏より反論を頂戴した。

   能海最期に(伊東)忠太は関わっておりません。忠太の貴州・雲南省あたりの絵日記を
   調べたことがあります。大谷探検隊の一行と忠太が行き合ったことはありました。が、
   能海との関わりは資料では発見できませんでした。この件についてはいろいろ物語が
   あります。詳しくは、江本著『旅人』(P259以降)や『遺稿』(P245以降)をご覧ください。

 いやはや、ウィキペディアなんぞ信じるな、と日ごろ学生に吹いている自分がウィキに頼って伊東説を引用し、大恥をかいてしまいましたね。いま江本さんの本を読んで伊東非関与説を理解しました。
 大理は懐かしい街だ。ほんとうに綺麗だったころの、つまり80~90年代前半の大理や麗江を知る者は著しく少なくなってしまった。能海が訪れたころはさらに美しかったかもしれない。しかし、大理や麗江にはまだチベット仏教の匂いはしない。母系社会で有名な永寧モソ人の住むロコ湖畔に至ってようやくチベット仏教とポン教の空気に包まれる。
 民家の屋根にはタルチョが棚引き、チベット仏教の火神ザバラをカマドに祭る。島にはゲルク派の僧院があり、葬儀・法要の際には黄色い袈裟を着たラマたちが渡海して村を訪れ、家々をめぐり歩く。葬儀では、薪を積み上げて死体を荼毘にふすあいだ僧侶は読経を永々と続け、女たちは泣き続ける。
 こうした空気を能海は吸って死んだのか否か、気になるところだ。


1223八束公民館01輪読02 1223八束公民館01輪読01

チベット仏教求法僧・能海 寛(1868-1901)生誕150周年 記念事業
  日時 平成30年7月7日(土)~8日(日)   会場 島根県浜田市金城町波佐 ときわ会館
第1日  第24回年次大会 & 第6回チベットセミナー
 13:00~14:00 年次総会  14:00~16:30 会員研究発表
第2日  記念式典 & 記念シンポジウム
 10:00~11:30 式典  13:00~14:00 基調講演(江本嘉伸)
 14:00~16:30 シンポジウム テーマ「能海寛が描いた世界平和」
http://hazaway.com./culture/noumi-yutaka/



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蕎麦工房 ひで吉

 輪読会の打ち上げは、十割蕎麦の昼食会。じつは「八雲庵」の昼食(ざる蕎麦)の後の出雲駅前での夕食も割子蕎麦であり、じつに3回めの蕎麦とあいなったが、ともかく蕎麦を食べていれば機嫌がよいのでウキウキしている。ソバリエはひで吉さん。自ら打った十割蕎麦を手早く茹でてくださった。メニューはシンプルながら個性的な「ベジ蕎麦」と「蕎麦しゃぶ」。ベジ蕎麦のベジとはベジタブル(野菜)のことで、大根・人参・キウリ・水菜のスライスがトッピングとして用意されていた。キウリが苦手なことを隠しつつ、大根や水菜を割子にのせて何杯もいただいた。蕎麦しゃぶのほうは、釜揚げに近い食感だが、汁がどろどろにならないところが良いのだとひで吉シェフは力説された。
 ほんとに美味しうございました。腹いっぱいになって、もう夕食は要らないぐらいだったんだけど、夕方には山村カメラマンと合流してちょっとした探検にでかけることになっており、まもなく大根島をあとにした。


1223八束公民館02蕎麦02
↑十割蕎麦を茹でては冷やし・・・水は切らずに割子にのせる
1223八束公民館02蕎麦03
↑ベジ蕎麦
1223八束公民館02蕎麦04しゃぶ
↑太極鍋で蕎麦しゃぶ
1223八束公民館01輪読03滞在証明01
↑滞在証明(八束公民館)

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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