大根島-仏のクリスマス(4)


仏ほっとけ、クリスマス
12月24日(日)、大根島の中村元記念館で第12回中村元思想文化カフェに参加し、「21世紀において医療と仏教の協働は可能か」という講演を聴いた。
会場入りするとクリスマスイブ一色で、館のスタッフはみなサンタさんの装いをしているし、式次第のペーパーはクリスマス・カードのよう。サンタさんや雪だるまの人形が壁に貼り付けてある。畏れ多くも、日本を代表する仏教学者の記念館をかくもキリスト教的に飾ってよいものか、と案じたわけではありませんが、中村元先生の奥様は敬虔なクリスチャンだそうで、愛読されていた聖書が展示されておりました。べつに全然よいと思っています。仏ほっとけ、と申しますしな(寅)、みんな楽しいのがなによりです。


さて、仏教学と生命倫理学を専攻する講師によれば、「医療者も仏教者もともに<死の臨床>の傍らにいつづける人」であり、医療も仏教もともに「人生を深める為という共通性がある」という。アメリカのチャプレン(病院・介護施設・軍などで働く聖職者)を引き合いにだし、日本の仏教者が病院でメンタルケアしたっていいじゃないか、という発言をされたが、正直、私個人としては違和感を拭えなかった。日本の仏教は「葬式仏教」に傾斜しすぎてますからね。死んだ直後の葬儀を仕切る住職(的人材)に病院をうろうろされても不吉でしかないから。お坊さんが似合うのは、お寺と仏壇とお墓であって病院ではありません。病院にはメンタルケアの専門家がいてやさしく話を聴いてくれればそれでいいんじゃないか、と。ちなみに、昨年の母の葬儀は無宗教の家族密葬であり、そういうこじんまりとして暖かいやり方を支持し、選択する日本人が増えています。



オカリナのクリスマスソング
さて、この日も楽しい打ち上げがありました。謎のモンゴル人、オーリン・サルヒさんのオカリナ演奏です(電脳伴奏は崑秀麗さん)。その風貌はなぜかソバリエひで吉さんに似ているんだけど、人類学的には不自然ではありません。新モンゴロイドの代表格であるモンゴル人と現代山陰人に共通するミトコンドリアDNAは確実に存在するから。さて、オカリナ演奏曲には記念館にふさわしいテーマがある。ずばり「カフェで楽しむ The 仏教観 JPOP」。仏教を感じさせる日本の歌謡曲をオカリナで演奏しようというわけです。昨年からのシリーズだそうでして、今年は坂本九「みあげてごらん夜の星を」、美空ひばり「愛燦燦」、さだまさし「防人の歌」の3曲が演じられ、会場は大盛り上がりとなりました。


はじめのバンドとサムゲタン
ここから歌はキリスト教に転じ、クリスマスソングが吹奏されます。画面には歌詞が映し出され、英語・日本語入り乱れて、ついついわたしも声を出して口ずさんでしまいました。一方、会場の後ろ側ではトントントントン音がする。サムゲタンの調理が大急ぎで進んでおりました。ステージの演奏が一段落したところで、ほかほかのサムゲタンに一同舌鼓を打った次第です。この昼食会にもBGMが流れました。館のスタッフ3名がおもちゃのキーボードや打楽器でクリスマスソングのメドレーを演奏してくれたのです。この楽団の名前は「はじめのバンド」。うちの大学でも「はじめのバンド」やれたのになぁ・・・天に召されて残念です。
わずか一時間の昼食タイムではありましたが、「人生を深める」とはこういうことなんじゃないか、としみじみ感じ入りました。意味の分からないお経を唱えたり、難しい哲学書を読んでいるだけでは、こういう幸福感は味わえません。
さて、この日わたしはもうひとつの課題を抱えていました。摩尼山の「賽の河原」脇に建っていた地蔵堂の復元資料とするため、南部町の龍門寺を訪問しなければならなかったのです。サムゲタンをたいらげ、記念館に来場されていた南部町の赤井さんとともに会場をあとにしました。

↑はじめのバンド ↓滞在証明(中村元記念館)
