登録記念物-摩尼山の歴史性と景観の回復(14)

西国三十三観音霊場石仏覆屋
鷲ヶ峰の地蔵堂と鐘楼のあいだには大谷文次郎が寄進した西国三十三観音霊場石仏33体のうちの第1群11体(第1~11札所)が置かれていた。11体の石仏群の下には基壇状の高まりが残っており、上下の写真を見比べてみても、現在の位置は明治期と変わっていないと考えられよう。最後に石仏11体の覆屋について復元的な考察を加えてみよう。


覆屋の構造は単純なようで結構複雑である。基本構造形式は平屋建切妻造桟瓦葺平入。棟に来待石をのせる。基壇は崩れかかっているので寸法が微妙だが、復元的には間口17尺(5,151mm)×奥行5尺(1,515mm)と推定する。基礎は土台建。古写真をみる限り、間口の柱間は3スパンあり、中央の柱間が両脇間に比べてやや長い。これについては、中央間=7尺(2,121mm)、両脇間=5尺(1,515)と仮定する。両側の妻壁は棟通りに対称に2本の柱を配して柱間を土壁とし、その安定を図るため土台を前後にのばし、筋交状のつっかい棒で柱を支えている。

↑明治古写真にみる石仏覆屋 ↓石仏群の配置(現状)
