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男はつらいよ-冬の地蔵祭(1)

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QO家所見-主屋

 QO家住宅は倉吉旧市街地西端の河原町に所在する。東隣の鍛冶町2丁目は職人街、河原町は商家街として賑わったが、近年人口減少が著しい。河原町と鍛冶町2丁目の境域には中世城下町時代に掘削された外濠(鉢屋川)の清流が南北に流れる。この小川に交差して通る八橋往来の屈曲点に3本の小路が合流することで「五叉路」が形成されており、その辻の一角に等身大の石造地蔵菩薩立像を祀る。地蔵石仏には安永2年(1773)の銘が残り、古くから地域コミュニティの核であり、現在もなお毎年8月23日に地蔵盆を開催している。旧小倉家住宅は八橋往来に北面して主屋を構え、その背面に土蔵を構える(ハナレもあるが外からみえない)。主屋の側面と土蔵の正面は鉢屋川に沿う小路に面しており、主屋妻壁に接する路肩の膨らみに地蔵を安置する。小倉家は地蔵・鉢屋川・八橋往来と不可分に結びついた町並みのランドマークとして重要な役割を担っている。

 昭和初期、当住宅の所有者の曽祖父が河原町の別の場所から現在地に移転し、乾物商を開業した。店を町外に移転した昭和47年(1972)以降は専用住宅になり、十数年前から空き家と化している。主屋は木造切妻造二階建平入の町家形式で、棟札添木に昭和11年(1936)上棟と記されている。屋根は赤褐色の桟瓦葺で棟に来待石をのせる。1・2階の表裏とも四間間口全体を開口する。表の建具はアルミサッシに変更しているが、裏は板ガラス戸のままである。2階は、表で外側、裏で内側に手すりを付け、板ガラス窓を入れる。側面は西側が焼杉板縦目板張り、東側は亜鉛板波板トタン張壁とする。


0108小倉家復元平面図_01 0108小倉家復元平面図_02
↑(左)当初復元図  (右)現状平面図
*1月14日に最終調査をおこない、復元図を更新した。 こちら を参照。


冬DSC03768


 1階の内部は昭和50年代後半に改造されているが、当初は間口4間×奥行6間の規模で、片側に土間を通す一列3室型の素朴な平面であり(角屋風に増改築された台所と風呂・便所棟を除く)、長方形平面の間口中央で土間と揚床に分ける。西半は前から2間をミセ、その奥2間をミセオクとする。大引・根太天井を誇示する土間領域である。ミセオクの奥はイマと呼ぶフローリング部屋だが、当初は土間であった。東半は前側半間のみ土間、その奥の一間半をナカミセ、その奥二間をナカノマ、最奥を八畳座敷オクノマとする。オクノマは半間土間側に食い込んでおり、イマ(旧土間)との境を木舞壁で隔てる。

 2階は当初と変わらない。表から①平書院付本床を設えた座敷、②次の間、③付書院付本床を設えた座敷を縦に並べ、奥に縁を通す。①と③の座敷はよく似ているが、床と床脇、欄間、天井板等の意匠を変えて差別化している。以上の3室に加えて、ナカノマから上がる階段の正面に洋室の小部屋を造る。天井は漆喰を塗りで中央にメダリオン(中心飾)を配している。昭和初期の建築であるけれども、江戸期以来の倉吉商家建築の伝統を引き継いぎながら、2階に洋室を設けるなど新しい要素を取り入れており、この地の居住建築史を知る上で欠かせない建造物である。また、地域住民の集う地蔵の辻の背景となる景観上きわめて重要な建造物でもある。


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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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