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青蔵鉄道-吐蕃の道(2)

0825日月峠峠01 日月峠


日月峠から青海湖へ

 昨年8月24日(木)から31日(木)まで青蔵高原を旅していました。いちばんの目的は古代チベット王朝「吐蕃」の創始者ソンツェンガンポの故郷ツェタン(澤当)を訪ねることです。出発にあたっていちどスケジュールを書き残しています。24日に関空を発ち、成都経由で青海省の省都西寧に入り、息つく暇なく日月峠から青海湖をめざしました。日月峠は唐より吐蕃に降嫁した文成公主が立ち寄った場所としてよく知られていますが、その経路は伝承にすぎず、じつは別のルートを辿ったのではないか、という新しい見方も出てきています。また、文成公主はソンツェンガンポの后ではなく、ソンツェンガンポの息子の后であったこともわかってきています。


0825青海湖01 0825青海湖02


 その後、青海湖へ(↑)。青海湖は2年前にケントと訪れた懐かしい景勝地です。あとで知ったのですが、ダライ・ラマのダライとはモンゴル帝国の王がチベット仏教ゲルク派の座主に贈った称号で「海」を意味し、具体的には青海湖をさすそうです。モンゴル政権との交渉の場として青海湖畔が使われたことに因むのではなかったかな。ちなみにダライラマ14世は青海省(アムド)の出身です。地元旅行社の手配には驚きました。遊覧船のチケットを買いながら、開発された人工的な港を歩くだけで船にも乗らず、洲浜のような湖岸を歩くでもなく、峠に上って湖景のパノラマを眺めるでもなければ、お土産を買う時間もない。少々先行きが不安になりました。
 夜になって都蘭のホテルに到着。都蘭は吐谷渾(とよくこん)の遺跡で有名ですが、あたり一面は草原で遊牧民が点々と宿営地を営んでいます。前泊した成都との比高は2,500メートル以上あり、早くも後頭部に鈍痛を感じ始めていました。通信状態のわるい高地なんですがネットに繋がり、あろうことか訃報を受信します。学長が亡くなられたというメールでした。そのとき同僚に送信したメールを転載しておきます。

  仰天しました。いま中国青海省の都蘭というところにいます。標高3200m、あたりは
  なだらかな草原で、遊牧以外はなんの生産力もありません。チベット族がヤクと羊を
  放牧しています。明日、青蔵鉄道でラサに向かいます。夜行列車なので、WiFiに接続
  するのは不可能であり、大学からの葬儀会場通知メールを受信できるのは26日の
  午後になります。なんとしてでも弔電を打ちたいと思っています。


0826ゴルムドに至る道02 0826ゴルムドに至る道01
↑高速道路の車窓に映る風力発電。再生エネルギーは「砂漠システム」とも呼ばれており、中国も力を入れています。中国人ガイドが走行中の高速道路を「必要なものか!?」とアナウンスし始め、驚きました。たしかに一般道路が平行して走っており、車両・スピードに変わりはありません。どこの国でも同じなのです。 ↓反日感情が露骨だった鉄道博物館


0826ゴルムド02鉄道博物館01 鉄道博物館(ゴルムド)


青蔵鉄道

 26日は都蘭からゴルムドまでひたすらバスで北上し、夜の9時に青蔵鉄道のコンパートメントに乗り込みました。ゴルムドでは時間に余裕があったので鉄道博物館を見学しました。写真撮影厳禁とのことでしたが、日本人2名が展示品のスケッチをしたところ、元軍人の職員が怒鳴り始めてとまらなくなってしまった。地図とか地形模型のスケッチをしたということで怒り狂ったのです。反日感情の根強さを思い知らされました。青蔵鉄道は西寧からでも乗車できるのですが、わざわざゴルムドまで北上したのは高地順応のためです。かつて西寧からラサまで乗車したツアーの大半の参加者が高山病で倒れてしまった。ゴルムドまでを準備時間としてラサに向かうと高山病になる人はほとんどいない、という経験からくるアイデアのようです。
 コンパートメントの寝台の枕元には酸素ボンベがついており、常に酸素を噴き出しています。標高4,000~5,500メートルの高地を走る鉄道にとって必要不可欠なんですが、ボンベのことを知らない女性がいて、一晩中頭痛に悩まされ一睡もできなかったそうです。また、あるコンパートメントでは数名が無理して日本酒を飲んでいましたが、こちらも全員頭痛で一睡もできなかったと言います。高地において飲酒は「厳禁」です。


0827ラサ直前02 大中画伯


ラサの朝

 わたしは2段ベッドの上で熟睡しました。朝おきて食堂車に行くと、みんな苦々しい顔をしている。わたし一人が食欲旺盛で粥を何杯もお代わりし、新鮮なヨーグルトに舌鼓を打ちました。
 ラサのホテルは快適で、WiFi環境が良好だったので、ただちに弔電を打ちました。ラサの標高は3,650メートル。後頭部に鈍痛を感じてはいましたが、少し休むと体調は上向いてきたので、夕方には門前のバザールで土産物を漁り、売店で水やヨーグルトを買い込みました。わたしはラサに至るまで、ともかくよく食べました。同行していた先輩たちから「デブだけのことはあってよく食べる」と揶揄されましたが、高地に来てるのに血糖値をあげなくてどうするんですか。普段は摂取を控えている澱粉・糖分を極力とるようにしてポタラ宮の参拝に備えたのです。


0827食堂車01 


 ちなみに、1992年に初めてラサを訪問した際は2日めにポタラ登頂に挑み、みごと失敗しています。成都から飛行機で直接ラサにとび、比高3000メートル以上の高地で初夜から頭に激痛があり、平常の体に戻るまで3日を要しました。ポタラ宮登頂に成功したのは4日めだったのです(5日めには民家調査をしました)。
 夜になって、若い医者がホテルにやってきて参加者全員の脈を測りました。一定の脈に達していない者は治療を受ける必要があるというのですが、吸入にせよ点滴にせよ、あまりに治療費が高いので「詐欺ではないか」という疑念が巻き起こり、全員受診を拒否しました。わたしは例外的に食欲旺盛であり、体力の回復に自信をもっていました。ただし、会長がどうだったのかは知りません。
 以上をイントロとして、会長にバトンタッチします。


0827ラサ03 
↑ラサのホテル  
0827ラサ05大中02 0827ラサ05大中01
↑河童もまっ青、大中画伯のスケッチ作品

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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