青蔵鉄道-吐蕃の道(4)

ラサの大昭寺とポタラ宮
8月28日(月)。朝8時半にホテルを出て、大昭寺(ジョカン)に向かう。大通りでバスを降り大昭寺への小路に入る。賑やかな通だ。通りの両側に土産物店などの店舗が並ぶ。店舗の外観は中国の都市にみられる形式だが、教授が訪れた1990年代はチベット特有の石造の高僧都市住宅が軒を連ねていたとの説明を受けた。
7世紀、チベットを統一した吐蕃王ソンシェンガンポは、ネパールからティツゥン妃を迎えた(唐の文成公主妃はソンツェンガンポの息子の嫁として迎えた)。大昭寺はティツゥン妃によって7世紀中頃に建立されたと伝えられる寺院で、ラサ巡礼に訪れる人々の第一の目的地だという。われわれが訪れた時も大昭寺の門前は参拝者でごった返し、門の周辺では大勢の巡礼者が五体投地をおこなっていた。門前の「唐蕃会盟碑」はチベット史上とくに有名な史料である。


寺院の門はネパールの方向あたる西を向くという。この門を潜ると石畳の内庭があり、正面に方形三層の主殿が建つ。主殿の内部は薄暗い。中央部が礼拝空間の広間となり、その回りが回廊状になっている。そして、回廊に面して観音や薬師、阿弥陀などの仏像を安置する小部屋(堂)が並ぶ。チベットではこれらの堂を時計回りに巡り仏像を拝していくのが習慣という。主殿の正面の奥の堂に祀られる釈迦牟尼像は、チベットで最も権威ある仏像という。参拝者が多く、ゆっくり拝することができない。ブータンでも感じたが日本の仏像とあまりにも異なる像容に少々戸惑う。

大昭寺の拝観後、隣接する八角街(バルコル)のバザールで買物し、八角街の街路を見下ろす茶館「マキェアメ」でお茶を楽しみ、ポタラ宮に向かう。ポタラ宮は観音菩薩の化身として、また僧形の王としてチベットに君臨した歴代ダライ・ラマの居宮である。「東洋の法王庁」と称される豪壮華麗な建造物だ。17世紀、ダライ・ラマ5世の創建と伝える。ポタラ宮の見学は事前予約制で、入場する時刻が定められており、遅れることができない。昼食抜きで宮殿のゲートを潜る。宮殿内部への入口は建物群の最高所に近く、それまで長い階段が続く。

空気が薄い。昨日ホテルで購入した圧縮酸素は持ち込めない。体力が続くか不安を感じながらゆっくりと上る。教授は異常に元気。何とか遅れずに観劇場だったという広場「デヤン・シャル」にたどり着く。ここからダライ・ラマ13世と14世が暮らした白宮に入り、そこを抜けてポタラ宮の中心となる紅宮の第4層に至る。薄暗い中、右回りに弥勒仏殿や各世代のダライ・ラマを祀る霊塔を拝観しながら第3層、第1層と降る。各層の仏殿に祀られる金色に輝く仏像や彩色豊かな壁画に圧倒される。中でも第1層のダライ・ラマ5世の霊塔は多数の瑠璃やダイヤモンドなどの宝石をちりばめたもので、その荘厳さに圧倒された。紅宮全体が立体曼陀羅の世界を表現しているというが、まさしく仏の世界を体感した思いだ。カルチャーショックを感じながら、建物の外に出て、余韻に浸りながら長い階段を下る。

↑ポタラ宮白宮入口 ↓ポタラ宮白宮入口



セラ寺と小昭寺
遅い昼食後、セラ寺に向かう。チベット仏教最大宗派であるゲルク派の大寺院で、1419年に創建されたという。学問寺として知られており、明治時代、日本人として初めてチベットに入国した河口慧海も当寺で学んだという。砂曼荼羅を拝観し、ガイドブックに紹介されている問答修行がおこなわれる中庭に向かう。問答修行は独特なジェスチャーを交えて問答するもの。残念ながら、当日は多数の僧侶による読経だった。それにしても見学者が多い。会場の中庭は写真撮影禁止。見学者がカメラを構えると係員が注意する。帰国してから写真データーを整理していると、いい写真ではないが、その読経の風景が写り込んでいるコマを発見する(↓右)。いつシャッターが落ちたのだろうか・・・。なお、セラ寺の裏山は巨岩が露出しているが、かつては鳥葬場だったと説明を受ける。ブータンを思い出した。


18時ごろホテルに入るが夕食まで時間があるため、教授と近くに所在する小昭寺(ラモチェ)を見学する。唐から降嫁した文成公主が建立したしたと伝えられる寺院である。規模も小さく、夕方だったためか参拝者も少ない。仏堂内に入り、尊像群と壁画を拝観する。説明(看視?)のため僧侶が一人付くが、教授が相手をされている。見学後、昨日と同じく路地に並ぶ屋台をひやかしながらホテルに向かう。途中、高山病対策のためミネラルウォーターと酸素缶を購入した。 【続】

↑小昭寺本堂 ↓小昭寺回廊の壁画
