上方往来-峠をこえて(3)

上方往来-蕎麦の道
寝床でグダグダしていて喫茶モーニングの時間が過ぎてしまった。まぁ、いいさ。帰り道で「みちくさの駅」に寄って蕎麦の大盛をたくろう。ということで、国道53号線を南下した。鳥取道の事故渋滞もあり、この日もまたのんびり地道を走る。ところが、駒帰りの木造建物に着くと、「3月28日まで冬季休業」の看板が下げてあり、がっくり来た。蕎麦は人生の生甲斐のひとつですからね。
腹も減っているし、峠を跨いで一足の「あわくらんど」でいったん高速を下りることにした。鳥取道未開通のころは必ず立ち寄って休憩していた「道の駅」だが、開通後はとんと無縁になっている(いちど茅葺き民家撮影のため高速を下りているのだがその時の記事を検索できない)。
まず土産物売り場の奥にあるレストランを覗いてみる。がらがら過ぎて、坐る気にならず、表の簡易食堂に戻ってきつね蕎麦を注文した。「うちの蕎麦も美味しいよ」とマダムは言う。
せっかくなので、マダムと話をした。
「鳥取道が通ってから、お客さんは減りましたか?」
「いえ、前と変わりませんよ。高速はタダですけぇ、下りてもお金はかからんし、
バスの団体さんがちょうどトイレ休憩にええとこや、ちうことで使われますしな」
「へぇぇ、そうなんだ・・・他の街道沿いじゃぁ、喫茶・レストラン・ガソリンスタンド・コンビニ等
みんな影響受けてますよ~」
奥のレストランはたしかに人がいなかったが、野菜・果物売り場はあいかわらず賑わっているし、「旬の里」や国民宿舎など近隣の施設も好調に営業しているという。
「人口はどうなんですか?」
「それが増えとるですよ」
「えっ、どうして!?」
「都会から移住者が多てねぇ」
「何してるんですか?」
「森の学校でいろんなこと」
「森の学校?」
「ほら、その割り箸も森の学校で作ったもんですよ。
森以外なんにもないところですからねぇ」

西粟倉村の人口増加
岡山県西粟倉村の「森の学校」についてはまったく知らないので、http://morinogakko.jp/work/ を参照してください。
驚いたことに、幼稚園や小学校低学年の幼児・生徒数がV字恢復の兆しをみせていることです。なんでも定員オーバーで入園できない子が出始めているという。とすれば、西粟倉村は隠岐の海士町に匹敵する成果を上げつつあることになります。
ひるがえって思うに、2005年の市町村合併に抗い、「村」としての独立性を維持したことが運気を上昇させている。佐治村が鳥取市佐治町となってどうなったか、あるいはまた遺跡の町「常呂」が北見市に合併されどうなったか、その結果をわたしは承知しているつもりです。
志戸坂峠を挟んで鳥取側では智頭町、岡山側では西粟倉村が行政区としての独立性を維持し、それぞれ地域に根ざした活性化の取り組みを続けている。ただし個人的な感想で述べるならば、少々西粟倉の側に分があるように思われる。豪雪地帯ではありますが、やはり岡山側のほうが積雪量は少なく、距離的にも関西中心圏に近いからです。つまり、移住しやすい条件が整っているように思います。飲食業・売店の多さから比較しても、大原・平福よりも西粟倉のほうに活力を感じられる。


大原古町 写真帖
西粟倉から地道(国道373号線)をさらに南下し、大原へ。昨年11月、女子学生2名が訪問した際にわたしは講義中で、大原は省略し、平福で合流した。このたびはなんの予定も立てていなかったが、あまりに天気が良い機ので訪ねてみることにした。岡山県町並み保全地区「大原古町」は何年ぶりだろうか。しっとりとした良い町ですね。以前に比べて印象がいい。街環よりも伝建の匂いが強いような気がした。写真を撮影していると、お年寄りの方から「綺麗なとこ、ありますか?」と声をかけられた。「町並みが良いですね」と答える。
ただし、休む施設がない。そういう施設を設けても、利用客がいないのだろう。仕方がないので、平福まで下ることにした。平福には蕎麦屋があったはずだ。上方往来を練り走り、ようやく「お休み処 瓜生原」 にたどり着いたのだが、店はすでに閉まっていた。平日は午後3時で閉店だと書いてある(4時に到着)。あとでネット検索したところ、レビュー4★の高評価。再挑戦するしかありませんね。









