2018年楊鴻勛先生建築史国際学術シンポジウム招聘講演(1)
3月末のこと、2年ぶりに奈良のリーさんから連絡があった。2年前は我が師、楊鴻勛先生の訃報をお知らせただいた。なんだかとても恐ろしくて、何もできないままでいた。淡さん、町田さん、楊先生が次々と旅立っていかれる。チャイナロビーとまで呼ばれたあのころ-敢えて平城全盛期と呼ぼうか-が海辺の砂の城のように音も立てずに崩れ去っていくように思えた。中国に対する気持ちも尖閣以降ますます萎えていっていたのだが、そうした心理が少しだけ和らぎ始めたのは年末に家族全員で上海に遊んだことによるのかもしれない。
上海の発展と成熟に接し、この国と向き合えないことはない、となんとなく思い始めていたところだった。
リーさんは王秀蘭先生(楊先生夫人)のご依頼を手っ取り早く説明してくださった。楊先生を記念する国際シンポジウムが福建省の福州大学建築学院で開催されるので、講演してほしいという依頼であった。準備の時間がないなら出席だけでもいい、おまけに旅費はすべて先方が負担するという、至れり尽くせりの依頼である。もちろん二つ返事でお受けすることにした。シンポジウムは4月27~29日に開催される。原稿(予稿)の締切は25日。あと十日しかない。残念なことだけれども、ここしばらくは予稿と発表パワポの作成を最優先するしかない。
日本の建築考古学 -弥生・古墳時代の大型建物-
青谷上寺地の建築部材研究をベースにして、最近取り組んだ松原田中遺跡と纒向遺跡の復元を話そうと思っている。もちろん魏志倭人伝の話を絡めたい、と思っていたら、今度は京大人文研の「3世紀の東アジア」研究班から「正史東夷伝にみえる住まいの素描」の発表依頼が届いた。3年間の厄年を終えて、科研の採択など、少しずつ自分らしい姿に戻りつつあるのかもしれない。
それにしても、ブログなんか書いてる場合じゃないよね。原稿までは無理かもしれないが、綺麗なパワポにまとめて福州大学建築歴史研究所(事務局)に送信しなければ。

【開催通知】中英併記。クリックすると拡大します。
上海の発展と成熟に接し、この国と向き合えないことはない、となんとなく思い始めていたところだった。
リーさんは王秀蘭先生(楊先生夫人)のご依頼を手っ取り早く説明してくださった。楊先生を記念する国際シンポジウムが福建省の福州大学建築学院で開催されるので、講演してほしいという依頼であった。準備の時間がないなら出席だけでもいい、おまけに旅費はすべて先方が負担するという、至れり尽くせりの依頼である。もちろん二つ返事でお受けすることにした。シンポジウムは4月27~29日に開催される。原稿(予稿)の締切は25日。あと十日しかない。残念なことだけれども、ここしばらくは予稿と発表パワポの作成を最優先するしかない。
日本の建築考古学 -弥生・古墳時代の大型建物-
青谷上寺地の建築部材研究をベースにして、最近取り組んだ松原田中遺跡と纒向遺跡の復元を話そうと思っている。もちろん魏志倭人伝の話を絡めたい、と思っていたら、今度は京大人文研の「3世紀の東アジア」研究班から「正史東夷伝にみえる住まいの素描」の発表依頼が届いた。3年間の厄年を終えて、科研の採択など、少しずつ自分らしい姿に戻りつつあるのかもしれない。
それにしても、ブログなんか書いてる場合じゃないよね。原稿までは無理かもしれないが、綺麗なパワポにまとめて福州大学建築歴史研究所(事務局)に送信しなければ。



【開催通知】中英併記。クリックすると拡大します。