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2018年楊鴻勛先生建築史国際学術シンポジウム招聘講演(3)

20180428福建永泰県塞堡_01愛荊荘01 愛荊荘


 大学HPのTUESレポートでシンポジウムの報告がアップされました。

http://www.kankyo-u.ac.jp/tuesreport/2018nendo/20180506/


客家とは何か

 福建省を代表する、というよりも福建が世界に誇る特異な住宅として、閩南の客家(ハッカ)土楼がよく知られている。閩(びん/ミン)とは福建の古名であり、中原華北の民からみて南方海岸側に雑居する「百越」のなかの「閩越」と呼ばれる民族集団の居地であった。ところが、一口に閩といっても多様であり、閩江以北の閩北と以南の閩南では方言と文化に大きな違いがある。北京語と広東語の差がフランス語とスペイン語よりも遠いものだということを学生時代に教わったが、隣接する閩北と閩南でまったく言語が通じないという状況は、オーストロネシア語の源流地として想定される台湾高砂族の方言差を彷彿とさせる。すなわち、福建に入り込んだ南方古モンゴロイド集団の定住年代は非常に古く、北方漢族に征服されるはるか以前から言語分裂が始まっていて、漢族の文化と言語に被覆されてもなお、その変差を埋めきることができなかったということではなかろうか。


20180428福建永泰県塞堡_01愛荊荘02 20180428福建永泰県塞堡_01愛荊荘03図面01


 一方、客家(ハッカ)とは、最近NHK-BS2の「桃源紀行」でも解説されていたが、元の時代に北方から侵略してくるモンゴルの騎馬民族を怖れ、北寄りにいた人びとが集団で南下し、防御性の強い集合住宅として住まう「土楼」を造営するようになったと考えられている。問題は、その「北寄り」の地がどこか、ということであろう。居住者の家譜などに従うと、その地は中原にあたり、遠い祖先に秦の始皇帝がいたりするのだが、私の記憶がたしかならば、客家語は閩南語と贛語の融合・発展としてとらえるべきとする方言学の説を読んだことがある。贛(ガン)とは江西省の古名である。この説に従うならば、客家の故郷たりうる「北寄り」の地とは長江南岸側の華中-鄱陽平原あたりであり、福建からそう遠くない北側の位置であって、確たる根拠を知らないけれども、何気に納得したくなる場所だと思っている。鄱陽湖周辺にいた楚の国の末裔たちが、モンゴル騎兵におびえて南下し、福建・広東境の山間部に逃げ込んで土楼を築いた。そうした移住者を土着の閩南人や広東人が「客家(よそ者)」と呼んだ・・・なかなか良い推理じゃありませんか?


20180428福建永泰県塞堡_01愛荊荘06猫01 愛荊荘



20180428福建永泰県塞堡_01愛荊荘04小屋組02


閩東の塞堡あるいは荘寨

 一日早く終わったシンポジウムのために二日目に自由時間ができて、残った日本人たちは29日(日)、エクスカーションにでかけた。めざすは閩江上流域の永泰県である。もっと大ざっぱに言えば、閩東地区。閩東の方言もまた閩北・閩南と全然ちがうのだという。昼食をともにした土地のおじさん(私と同世代)の話がさっぱり分からないのだが、同行していた福州大学の先生の通訳もさっぱりで、やはり聞き取れていないようだった。閩東に客家の土楼に対比すべき超大型の住宅が点在している。
 会話のなかでは「塞堡」という用語がひんぱんに使われた。「塞」も「堡」も砦という意味であり、その象徴は宅地の西南と東北の対角に配した角楼(隅やぐら)である。3年前期の講義「地域生活文化論」は、「中国とは何か」という大上段に構えたイントロを第1講とし、第2講「要塞の宇宙-北京四合院のコスモロジー」に続く。ここで言いたいことは、四合院住宅こそが地上世界あるいは都市の圧縮であるということだが、その空間全体の防御性がきわめて強く、ヴェルナー・ブレイザーの表現を借りるならば、住宅と砦の機能を兼ね備えている。そうした四合院の城砦性を閩東の塞堡はみごとに表現している。



20180428福建永泰県塞堡_01愛荊荘04小屋組01


 一方、パンフなどの印刷物では「荘寨」という名称が使われている。「荘」も「寨」も村を意味するが、寨の場合、柵塀などに囲まれた防御性の高い村ということだと思う。大型住宅は「村」でもあるということだ。「荘寨」には多くの同族が住んでいた。曹雪芹の『紅樓夢』が思い起こされる一方で、姓と祖先をおなじうする人びとが砦のような大邸宅の中に村落的コミュニティを形成していた点、ますます土楼との類似点を感じ取れる。客家土楼の場合、元代に始まり、現存遺構の最古のものは明末ころまで遡るという。「塞堡」=「荘寨」の現存遺構は清代後半~民国期のものが多いようだ。
 建築的にみると、挿肘木と貫の多用はきわめて福建的であり、時代が下れば装飾性はおおいに増す。一方、庁・堂の中心を占めるべき八仙卓がみすぼらしい。福州の都市住宅と比べれば、雲泥の差である。【続】


20180428福建永泰県塞堡_01愛荊荘04小屋組03軒01
↑↓愛荊荘の軒(上)と背面(下)
20180428福建永泰県塞堡_01愛荊荘05外観01背面01 20180428福建永泰県塞堡_02同安鎮01看板01

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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