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2018人間環境実習・演習B中間発表会(1)

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能海寛『世界に於ける仏教徒』の口語訳

 能海寛(のうみ ゆたか)が明治26年に著した『世界に於ける仏教徒』第1・2章の口語訳を輪読形式で進めてきましたが、その最初の成果を5月30日(水)、3年次の人間環境実習・演習B中間発表会で報告しました。あらかじめ申し上げておきたいのは、いつものことですが、学部3年次・4年次・大学院生の有志が共同で作業を進めてきており、輪読の分量(行数)は4年・院生が多く、3年生4名は一人あたりの担当を15~20行程度にとどめています。これは決して大きな負担ではありません。
 口語訳については、上手にこなす人もいれば、苦手の人もおり、また病気のため輪読を欠席する人も2名でたりして、反応はさまざまでしたが、おもしろかったのは、最初「英語の方がマシ」だと言って明治の文語体を嫌っていた男子学生が結果としてみれば、非常に良い仕上がりになったことです。また、ばらつきのある訳文を整理して、全体の編集作業を担当したのは4年生のあやかめさんです。均一ではない訳文をうまく調整し、注釈をつけてくれたと思います。

 むしろ問題は能海自身の文章でした。輪読している段階では、さほど気にならなかったのですが、1・2章通して整理された訳文をまとめて読み直した結果、学生の一部にアレルギー症状がでてしまったのです。なにぶん能海の思想は尊王攘夷の志士たちのように過激であり、キリスト教に対する攻撃の已むことがありません。冒頭において「キリスト教も同じ宗教なので、私たちは決してこれを排斥する理由がなく、なるべく従来の信仰を継続してもらうことを祈ります」と但し書きしているものの、それからあとはキリスト教批判のオンパレードになっていて、仏教の寛容さとはかけ離れた排他的筆致の反復にいささか辟易してしまいます。じつはクリスチャンの家庭で育った学生が1名参加しているのですが、その心情が穏やかであったはずはありません。第1章「宗教の革新」から例をあげてみましょう。

  欧米の従来の宗教は唯一のものがキリスト教であって、キリスト教以外の宗教はほとんどない
  と認識されている有様です。しかし、そのキリスト教がきわめて偏った、浅はかなものならば、
  宗教とは言えないものとなり、かれら文明人の宗教が仮になくなってしまうとすれば、
  必ず不満を抱き物足りなさが生まれます。

  キリスト教は哲学に反しています。西洋の学者はキリスト教を証明すべく神の存在やキリストの
  教理を学理上考究しながらも、その結論といえば、ついに無神論を説き、あるいは(一切の存在
  は神であるとする)汎神論となって、キリスト教にいう神とは全く相反する神の存在を説いて
  しまうに至りました。(略)また、キリスト教は科学とも衝突しています。生物学の研究、
  生理学の発達あるいは天文学・航海術などの科学に対立し、文明の害となって進歩を妨げて
  きた事例は枚挙にいとまがありません。

  西洋の政治家がはたしてキリスト教を信じているかと問えば、決してそういうことはあり
  ません。国王をはじめとする政治家たちは、一般にキリスト教会に属する者が多いとは
  いえ、彼らの信仰はたいてい政略上の信仰です。(略)とくに欧州のようなあの狭い地域
  においてすら、二十前後の独立国が分裂して国の城壁を高くし堀を深くして軍事力を厳重
  にし、互いに敵国の隙を狙って、弱肉強食、優勝劣敗する有様は、最も激しい戦国である
  と言わざるをえません。この激烈な戦国において、どの国もみな人民の団結を堅くしなけ
  ればなりません。宗教は国民を団結させることにおいて最も効力の高いものなので、政府は
  とりわけ政略としてキリスト教を保護し、各国独立の教会を設ける必要があるのです。
  ですから、キリスト教は宗教として存在するというよりも、政略の手段として存在するもの
  であるという方が適当ではないでしょうか。(略)キリスト教は結局のところ国家の安寧を
  維持し、平和を保つ効力のある宗教だと言われていますが、私はむしろ国家の安寧を害し、
  平和を破壊するものだと言いたいのです。


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0530中間発表02赤井さん01


 宗教戦争がキリスト教に特有なものであるというのは明らかに言い過ぎです。どの国、どの地域でも宗派相互の権力闘争は激しく、多くの血を流してきました。能海が理想郷のように憧れるチベットにしても、それは同じであり、ブータンという国家を創始したガワン・ナムゲルはチベットにおける権力闘争に敗れて西ブータンにのがれ、ドゥク派勢力と結びついて勢力を拡大し国家の形成を導きました。日本国内においても、天台宗による蓮如(浄土真宗)や禅宗の弾圧もよく知られているところです。
 また、政治家と宗教の結びつきがキリスト教だけに特有でないことは、日本の政治状況をみればあきらかなことです。新興勢力仏教組織と表裏一体の政党が政権政党と与していますが、その政権政党自体が靖国神社や伊勢神宮に参拝する神道志向をあらわにしているわけですから、日本が西洋を批判できる資格はありません。矛先をキリスト教にむけるのではなく、むしろ旧態然とした仏教の現状を嘆くべきだったと思うのです。南都仏教の体制化・俗化を批判して空海・最澄は唐に渡り日本に密教をもたらしましたが、その密教もやがて俗化し、禅宗など鎌倉仏教を派生させます。しかし、臨済宗は鎌倉・室町幕府の庇護で勢力をひろげ、密教寺院を強引に改宗させていくわけですが、権力と一体化することで宗教の本質を失っていきます。また、鎌倉仏教の多くは民衆に馴染み深いものになりましたが、妻帯・飲酒・肉食などが僧侶に許されるようになり、俗人と聖人の区別がつかなくなっています。ダライラマ14世のような教養ある魅力的な仏教のリーダーは、ついに日本にあらわれなかった。能海はまず、そうした日本国内の歴史を回顧すべきだったと思うのです。


ヤスパース選集9 歴史の起源と目標 ヤスパース


歴史の起源と目標

 学生時代の教養部で哲学の授業を受け、プラトンの『国家論』とヤスパースの『歴史の起源と目標』を輪読しました。両方とも非常に面白かったので、今でもよく記憶に残っています。宗教と関わる考察を試みているのは後者(原著1949)であり、わたしの記憶が正しいならば、ヤスパースは以下のような主張をしていたはずです。すなわち、宗教(信仰)の未来は、宗教相互が他の宗教の存在とその内容を容認しあうことによって併存可能になる。そうでない限り、宗教に未来はない、というような書き方であったと思います。つまり仏教徒は、神道・キリスト教・イスラム教・ヒンドゥ教など異教の教義と存在を認める必要があるし、逆にキリスト教は仏教やイスラム教などの有様を理解して容認する必要がある。文化人類学が説く異文化理解のメッセージそのもののような結論をヤスパースは1949年に下しているわけです。優れた思想の新仏教が低劣なキリスト教を覆い尽くすと言わんばかりの能海の主張に比べれば、ヤスパースの予見ははるかに洗練されたレベルにあると言わざるをえません。能海は欧米において「仏教を愛する知識分子が増えている」ことだけを強調すればよかった。インテリ階層における仏教への嗜好と民衆文化としてのキリスト教の継続は別次元の問題であり、キリスト教そのものに対する批判は少し抑えるべきだったと思います。

 ただし、能海の主張については時代背景を差し引いて考慮してあげなければいけないところもあります。明治維新後の産業革命の時代、欧米から先端的な技術が導入され、宗教が科学に取って代わられる時代を迎える。科学の台頭によって宗教全体が没落していくという危機があった。しかも、先端技術の輸入先である欧米社会はキリスト教の世界であり、それ自体が科学とは反するものであったとしても、日本人にとっては先端社会で信仰されている高度な宗教とみなされがちであり、上流社会を中心に流行する可能性は十分あった(実際には日本は無宗教の国になっていきましたが)。日本の宗教界にとって、科学の面でも宗教の面でも、欧米は自分たちを貶める危険な対象であったことは疑いありません。一方、国内においては王政復古にともなう神仏分離令が維新直前に発布され、そこから廃仏毀釈の激しい嵐が吹き続けたことで、仏教界は苦境に陥りました。能海の故郷である島根県でも多くの寺院が廃寺となるか、神道への改宗を余儀なくされました。能海自身、仏教徒であり続けることができるか否か、相当の危機感を抱いていたはずです。つまり、当時の仏教界は欧米からの科学技術とキリスト教の浸透、国内宗教界における神道への傾斜の両面から尋常ではない危機に陥っていた。そうした背景の中で、「世界に於ける仏教徒」という革新的な発想が生まれてきたのだと考えるしかないと思います。
 これから先は「晴耕雨読」の研究スタイルに回帰し、フィールドワークと本書輪読を併行して進める予定ですが、最終的には4年生の卒論として1冊完読してくれれば嬉しいと思っています。


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能海寛研究会から南部町の赤井さんが参加されました。


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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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