2018人間環境実習・演習B期末発表会(2)

第八章「サンスクリット」概要
中間報告では『世界に於ける仏教徒』冒頭の第1~2章を読んだが、その後は 本書の中核部分である第8~9章を読んだ。第8章では章全体を通してサンスクリット語で書かれた原典がなぜ必要か書かれている。

初めに能海はサンスクリット語を学ぶことがなぜ必要か述べている。
【原文】漢文読み下し調の文語体
予は先きに歴史に於ける仏教の探考、並に比較仏教学の必要を論じたるが、此等緊要なる考究に於て、最も欠くべからざるは梵学の研究なり。梵語は是れ仏教の言語なり。誰れか此言語を学ぶを不要と考えるものあらんや。
【口語訳】
私は先ほど歴史上における仏教の考察、そして比較仏教学の必要を論じましたが、これらの差し迫った考究において最も必要であるのはサンスクリットの研究です。サンスクリット語は仏教の原語です。この原語を学ぶことを不要だと考える者など一人もいません。

次に仏典の外国語翻訳の現状について述べる。
【原文】漢文読み下し調の文語体
過去に於ては、仏典は只支那訳になしたるまでにして、其外は殆ど異文の国語 に翻訳なし。而るに今日之を欧州文に訳せんと欲せば、是非原本に由ること必要なり。又原本を失いて、支那訳のみ存するもの多し。之を又訳するに於ても、亦梵学の力を借らざるべからず。
【口語訳】
過去においては、仏典はただ漢語訳になったにとどまり、それ以外ほとんどの外国語での翻訳はありません。しかしながら今日これをヨーロッパ諸語に訳そう と思うのなら、必ずサンスクリット語の原本に基づくことが必要となります。また、サンスクリット語の原本を失って漢語訳のみが存在するものも多いです。これを訳すのにも必ずサンスクリット語学の力を借りなければなりません。

さらに能海は原文翻訳の必要性についても説いている。
【原文】漢文読み下し調の文語体
今日の急務はいまだ欧人も着手せざる支那訳の経文をば、其原本を求めて之に照し、充分なる考証を遂げ数十の専門学者をして、正確なる翻訳を成就し、欧人が経文に対する疑点に解答をなすべきなり。
【口語訳】
今日の急務は、いまだにヨーロッパ人も着手していない漢語訳の経典について、そのサンスクリットの原本を探し出し、これと対照し、十分な考証をおこなうことで す。そして、数十の専門家をもって、正確な翻訳を完成させ、ヨーロッパ人が漢語仏典に対してもつ疑問点に解答すべきです。
この時代、ヨーロッパの仏教学者はすでに一部の古代インド仏典を英訳していたが、その分量は限定的であり、能海はもっと多くの仏典英訳に挑もうとしていたのである。


口語訳を進めます。
【原文】漢文読み下し調の文語体
欧人が原本を学びて支那訳を評するに於ては、勢い支那訳の価いを落すに至るべし。寧ろ我先じて原本を研究し、支那訳の経文に照して正意を伝えざるべから ず。先んずれば人を制すの道理なり。
【口語訳】
ヨーロッパ人がサスクリットの原本を学んで漢語訳を批評すれば、漢語訳の価値は一気に下落してしまうでしょう。それならむしろ、私は先に原本を研究し、漢語訳の経典と対照させ、本来の意味を伝えないわけにはいきません。先んずれば人を制すの道理です。
西洋の仏教学者が古代インド仏典の翻訳をどんどん進め、その成果をもとに漢訳仏典を 批判するようになれば大変なので、我々東洋人が先にサンスクリットの仏典をできるだけたくさん翻訳してしまおうという狙いをもっていたわけである。

第8章の最後に能海はこれからの仏教伝道について言及している。ここも訳 してみよう。
【原文】漢文読み下し調の文語体
英国の大儒マクスミユーラー氏の如きは、深く梵学を研究し、多く梵本の経典を出版して翻訳し、仏学上に於ても其功蹟至大なり。仏教徒は彼に勲章を贈りて可也。然るに尚お大乗非仏説を懐かるるやに聞く。此問題や仏教徒の最も膽を甞めて、探求を凝すべきものにして、此等の疑難を明かに解かずんば、将来欧米仏教の伝道は期すべからざるなり。
【口語訳】
イギリスの大学者マックスミューラー氏などは、サンスクリット学を深く研究 し、多くのサンスクリット本の経典を出版・翻訳しており、仏教学上においてもその功績ははなだ大きいものです。仏教徒は彼に勲章を贈ってもよいくらいです。ところが、マックスミューラー氏はいまだに大乗非仏説を心に抱いていると聞きます。この問題は仏教徒が臥薪嘗胆して探求を凝らすべきものであり、これらの疑問と非難に明白に解答しなければ、将来欧米に対する仏教の伝道は期待できないでしょう。

ここで先程から話題になっている大乗(仏教)非仏説について簡単に説明しておこう。紀元前6~5世紀に北インドで誕生した仏教はインドでは衰退していくが、まず はセイロン島(スリランカ)に伝播して盛んになり、そこから東南アジア各国に伝播していく。 この南伝仏教を上座部仏教(テラワーダ)と呼び、仏教の原型をよくとどめていると言われている。
一方、北伝の仏教はブッダの死後数世紀経ってから、中央アジア、中国、朝 鮮、日本にひろがっていった宗派であり、修行者だけでなく大衆を救うことを目的としていることから大乗仏教(マハーヤーナ)と呼ばれている。
西洋の学者は大乗仏教をブッダの思想から遠く離れたものとみなしており、そうした考えを「大乗非仏説」と呼ぶのである。能海はこの説に反発しており、臥薪嘗胆してサンスクリット文献を収集・研究し、ブッダの思想と大乗仏教を結びつけたいという野心を心に秘めていた。(TM)

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