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新刊紹介-田中淡著作集1(その三)

中国語ピンイン表記の問題

 さて、以下の問題については指摘するのを憚るべきかとも悩んでいたのだが、田中淡という研究者の名誉に係ることなので、あえて記すことをお許しいただきたい。本書を冒頭から読み進めていって、とても残念なことに気がついた。中国語のカタカナ・ルビに誤りが多いのである。第1部-1だけでも以下のような誤記がある。

 5頁左から1行目:
  【誤】主屋(チョンファン) → 【正】正房(チョンファン)
 6頁右から3行目:
  【誤】院子(ユワコウ) → 【正】院子(ユァンツ) 11頁にも同じ誤りあり
 6頁右から3行目:
  【誤】一顆印(イークーメン) → 【正】一顆印(イーコイン)
 10頁右から9行目:
  【誤】巻棚(チュウニンポン) → 【正】巻棚(チュェンポン)

 こうしたミスを田中さんは犯さない。共同で何かを翻訳したり執筆したりする場合、中国語のカタカナ表記をくどいほど指示された経験がある。おそらく人文研の先達から厳密な表記法を訓練されていたのだろうと想像している。たとえば、「顆」という漢字のピンインは ke だが、この語の母音 e はアとエの中間音であって、ピンインの keはカタカナ表記の場合は「コ」と書く(軽声の場合、「ク」も可か)。こうした原則がいくつかあって、訳書①『中国の住宅』、③『中国建築の歴史』などでは一連の原則が徹底されている。
 中国語音声の誤表記だけでなく、誤字も散見される。最も目についた例だけここでは取り上げておく。第ニ部の主題が「玉座の空間」となっているのに対して、同-ニの章題が「王座の空間」となっているので、いったいどうしたことかと読み進めていくと、その章では「玉座」「王座」「宝座」の三用語が錯綜としており、あるいは意味のある使い分けかもしれないと不安になって、本論原載の『家具言語』創刊号「特集 玉座」(1992)を確認したところ、「王座」はすべて「玉座」の誤りであった。
 田中淡という著述家は非常に几帳面であり、こうした誤植がまったくないとは言わないけれども、非常に少ない方であった。藤井教授を代表者とする編集委員のみなさんが骨を折って公刊された著作集の第1巻であり、感謝こそすれ、非難などいっさいするつもりはない。藤井さんが退官事業で忙殺されていたことは疑いなく、出版助成をうけた学術振興会の締切が厳しいことを私だって身を以て知っている。校正が納得できるまで遂行しえなかったであろうことは想定の範囲として理解できる。しかしながら、本書は田中淡という突出した歴史家・文筆家の著作集なのであるから、せめて正誤表を添付していただけないものか、と老婆心ながら願う次第である。



天国のお二人へ

 田中さんがしばしば若手に語られていた教訓を思い起こす。「中国建築史を理解したいならば日本建築史を学ばなければいけないし、日本建築史を理解したいなら中国建築史を学ばなければならない」。もともと大仏様などの中世新様式研究からスタートし、そこを起点にして一気に中国建築史に雪崩を打っていった経緯もあり、田中さんは日中双方の建築史に深い関心を抱いておられた。いま日本にはこうした広い視野をもって中国建築の研究に取り組もうとする研究者が極端に少なくなっている。後継者がほとんどみあたらないのは悲しいことだが、田中さんが指摘されるように、日本建築史を学ぶ者にとっても中国建築の知識は必要不可欠である。そうした場合の入門書として本書ほど適切な概論集はないであろう。著作集と言えば、小難しくて読みにくい論文・報告類の集合をイメージしがちだが、本書は随想風の佳作が多く、一般の読者でも十分読了できる。
 また、ニーダムとの比較でも述べたように、田中さんの視野はヨーロッパにまで及んでおり、内容は東洋建築史にとどまらず、西洋建築史・都市史・考古学・科学技術史までカバーしている。中国研究者だけでなく、関連分野の専門家・学生等にぜひ読んでいただきたい好著というほかない。

 今年は田中淡さんと交流が深かった楊鴻勛先生の三回忌にあたり、この4月末に福州大学で楊先生を記念する建築考古学の国際シンポジウムが開催され、講演をする機会に恵まれた。その後、田中さんが長く在籍された京大人文研の共同研究「三世紀東アジアの研究」班でも、魏志東夷伝に関わる研究発表を依頼されていたところに、本書の新刊紹介執筆の依頼まで舞い込んできて、中国研究から遠ざかっている立場の者としては少し複雑な心境なのだが、恩人である両先生にわずかなりとも恩返しできたとすれば嬉しい限りである。 また、日本建築史を専攻される藤井恵介教授が半ば専門外の中国建築史に踏み込んで丹念に田中さんの業績を整理され、著作集の刊行を実現されたことについては頭の下がる想いしかなく、末文ながら繰り返し感謝の気持ちをあらわしたい。 【完】


《連載情報》
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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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