エドウィン・アーノルド詩-世界に於ける仏教徒(2)


昨朝、無事ブータンより帰国しました。実り多い調査であり、ティンプ-では今枝先生ご夫妻に素晴らしい夕食会を開いていただきました。そうした成果については、参加した3名がおいおいブログで公開してくれるはずです。そうそう、今回も関空に内蔵助があらわれました。別れ際、バレーさんと握手したのでヒヤヒヤしましたよ。病が怖い・・・
驚いたことに、今夕、秋田にいるTaskから能海寛『世界に於ける仏教徒』第5章「歴史上の仏教」の口語訳が届きました。「歴史上の仏教」という章題に対して、あまりにも内容は薄っぺらです。仏教はキリスト教とちがって戦争とは無縁の宗教であることを説きたいわけですが、ご存知のように、古代から日本においても宗教戦争はいくらもありました。しかし、それは仏教を信じる者ではなく、嫌々仏門に入った武勇の輩がやったことで、仏教と戦争は本質的にはまったく無縁だと能海は説きます。今を生きる我々は宗教と戦争が表裏一体の現象であることを知っています。自分の信じる神仏こそが真の神格であり、他の宗教は邪教であり認められないという暗黙の意識を背景にして戦争がおこる。そういう事実に能海は気づいていない。仏教だけは他の宗教とはちがうと能海は強調するのですが、そういう考え方が戦争の種になっていることがまったく分かっていないのです。なにより能海が聖域視するチベットや南アジアにおいて宗派間の戦争は断続的に続いてきましたし、チベットと中国共産党の衝突にしても、ブディズムとマオイズムという二つの宗教の戦いだとみることができるでしょう。
下は例外的におもしろい部分です。仏説無量寿経の内容を能海が英国の詩人に教えた。その経文にインスパイアされて、エドウィン・アーノルドが英語の詩を書いた。誤訳かもしれませんが、どうぞ読んでみてください。

五悪五痛五焼-『仏説無量寿経』巻下之二
従来の経歴に照らして仏教を考えるとき、仏教は東洋諸国の平和の中心となって、人心を柔和で大人しく、温厚で誠実な良き人格にし、ただ人類だけでなく、生きとし生けるものを保護してくれます。東洋の食べ物についてみても、菜食中心で、残忍に切り刻む肉食を改めたように、ブッダ至上の大慈悲の仏法を説き、それに従って東洋順良の風格を養成してきました。欧米におけるキリスト教のように、戦争とともに発達した流血的・殺伐的仏教(宗教の間違い?)に代わって、現在の欧米の大戦国に入り込み、ブッダの慈悲を普及させようとするなら、いっそう宗教や過去の経歴に照らして事をなすべきなのです。『大無量寿経』曰く、「仏のめぐり歩きなさる場所は都や大集落(丘聚)になるという恩恵を授かり、天下は和順(穏やか)、日月は清明、時に風雨あるけれども、災害はおこりません。国は豊かで民の気持ちは安らか、武器を用いることもなく、徳を敬い、仁(思いやり)を生じさせ、礼儀正しく謙虚な態度を務めて身につけさせます」と。仏曰く、「私があなたたち天下の民を愛し憐れむ気持ちは、父母の子を(P.32)思うより強いものです。今日、私はこの世間で仏となり、五悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒)を鎮め、五痛(五悪を犯すことで受ける刑罰)を消し去り、五焼(五悪を犯して受ける地獄の罰)を残らず絶やし、善をもって悪を攻め、生死の苦しみを除き、五徳(敬・愛・和・譲・施)を獲得し、至上の安らぎに昇らせましょう」と。私は以前、この経文を英訳して、かのイギリスの大詩人エドウィン・アーノルド氏に示したことがあります。エドウィン氏は私に一篇の詩を書いてくださいました。
Peace beginning to be,
Deep as the sleep of the sea,
When the strs*1 their faces plass*2
In the blue tranquility,
Hearts of men upon earth,
From the first to the second birth,
To rest as the wild warters rest
With colours of Heaven on tneir*3 breast
眠る海のように深い
平穏が訪れようとしている
青い海の静けさに星が映るとき
この世に生きる人びとの心は
生まれてから死んでいくまで
荒海が凪いでいくように安らぐ
人びとの吐息の上にある天国の色とともに
*1 strs: stars の略語か脱字でしょう
*2 plass: place もしくは plaza の中世英語?
*3 tneir: their の誤植でしょう

↑HOTEL LOBESA with Po