西北雲南(旧チベット領カム地方)の密教系仏教遺産に関わる調査
旧友とカム地方を探検
昨年はアムド(青海省)から青蔵鉄道に乗ってチベットの首都ラサに至り、さらにソンツェンガンポの故郷ツェタンで吐蕃王陵などを見学しましたが、今年は春(正月)から雲南経由でのチベット入りを夢見て、雲南在住の知人に連絡をとっていました。その人は羅さんという運転手です。かつて1993~94年ころ西北雲南チベット・ビルマ語族の住居集落を調査していた際、受入機関の雲南省社会科学院(何耀華院長)で運転手をしていた方で、ずいぶんお世話になりました。フィールドでは、研究者よりはるかに役に立つ。日常知のレベルが非情に高い人で、日本から参加した女子研究者も「素敵」と顔を赤らめていたりしましてね。羅さんとは以前からメールでやりとりしていまして、「雲南に来い、来い」とうるさかったのですが、尖閣以後の政治状況の悪化で二の足を踏んでおりました。ミャンマー訪問の際、2013年末にいちどニアミスしたのですが、我が社長は旅の疫病神でして、霧で昆明に降りれなかった。
しかし、昨年あたりから日中関係も好転の兆しをみせ始めています。さらにまた西北雲南の境域が以前はチベット領カム地方であったことの重要性を再認識するに至り、雲南からチベットをめざすルートの踏査を構想するようになったのです。ブータンの国教であるチベット仏教ドゥク派の信仰を最初に布教したパジョ・ドゥゴム・シクポはカム地方の出身なのです。
ただし、現在のチベット(西蔵)自治区内に入るには国内ビザが必要であるため、初年度は無茶するのを控え、まずは西北雲南の北端までで折り返すことにしました。もう一人重要な人物がいます。何耀華元院長の息子の何大勇さんです。何さんは90年代の我々の調査に同行された後、日本に留学し、総合研究大学院大学で博士号をとって、いまは雲南民族大学の教授として活躍しています。おまけにどうした縁なのか、能海寛研究会と交流があり、今は中国における能海と河口慧海の研究者としても知られているのます。いままさに『能海寛遺稿』を漢訳しようとしているようですが、これについてわたしはちょっと意見があるので、昆明で話しあおうとも思っています。それはさておき、能海最期の地は西北雲南であり、このたびの調査にも同行していただくことになりました。
そのスケジュールは以下のとおりでありました。
9月09日(日)関空16:55→昆明24:45 MU748(出国→上海で入国)
9月17日(月)昆明07:30→関空15:40 MU747(上海で出国→帰国)
新潟から昆明へ
台風から二日経って、岡山空港からの代替渡航願望は無残にも打ち砕かれました。旅行社が中国東方航空公司と交渉して、なんとかキャンセル料も上積み料もなしで勝ち取ったフライトは「12日新潟空港発」でした。わたしも会長も真剣に調査の中止を検討しました。参加する2名の学生のうち1名の女子学生は卒論を能海で書くことが決まっているため雲南調査に参加することになったのですが、彼女の負担を和らげるのはどうしたらよいのか、心を痛めました。結局、4人で行きます。スケジュールを書き残しておきましょう。
9月11日(火)東京へむけて出発
9月12日(水)東京→新潟 MU296便 新潟14:00発/上海浦東15:55着
MU9716便 上海浦東17:45発/昆明22:30着
9月13日(木)昆明→大理 大理古城と洱海
9月14日(金)大理→香格里(シャングリラ) ゲルク派総本山ソンツェリン寺(帰化寺)
9月15日(土)香格里→徳欽(ジョル) チベット族民家仏間の調査
9月16日(日)徳欽 飛来寺参観、チベット族民家調査。
9月17日(月)阿東 梅里雪山、屏風岩の撮影。
MU5940便 シャングリラ15:55発/昆明16:55着
9月18日(火)午前: 雲南民族大学等
午後: MU5438便 昆明15:20発/上海浦東20:15着
9月19日(水)MU529便 上海浦東09:30発/名古屋12:35着
昨年はアムド(青海省)から青蔵鉄道に乗ってチベットの首都ラサに至り、さらにソンツェンガンポの故郷ツェタンで吐蕃王陵などを見学しましたが、今年は春(正月)から雲南経由でのチベット入りを夢見て、雲南在住の知人に連絡をとっていました。その人は羅さんという運転手です。かつて1993~94年ころ西北雲南チベット・ビルマ語族の住居集落を調査していた際、受入機関の雲南省社会科学院(何耀華院長)で運転手をしていた方で、ずいぶんお世話になりました。フィールドでは、研究者よりはるかに役に立つ。日常知のレベルが非情に高い人で、日本から参加した女子研究者も「素敵」と顔を赤らめていたりしましてね。羅さんとは以前からメールでやりとりしていまして、「雲南に来い、来い」とうるさかったのですが、尖閣以後の政治状況の悪化で二の足を踏んでおりました。ミャンマー訪問の際、2013年末にいちどニアミスしたのですが、我が社長は旅の疫病神でして、霧で昆明に降りれなかった。
しかし、昨年あたりから日中関係も好転の兆しをみせ始めています。さらにまた西北雲南の境域が以前はチベット領カム地方であったことの重要性を再認識するに至り、雲南からチベットをめざすルートの踏査を構想するようになったのです。ブータンの国教であるチベット仏教ドゥク派の信仰を最初に布教したパジョ・ドゥゴム・シクポはカム地方の出身なのです。
ただし、現在のチベット(西蔵)自治区内に入るには国内ビザが必要であるため、初年度は無茶するのを控え、まずは西北雲南の北端までで折り返すことにしました。もう一人重要な人物がいます。何耀華元院長の息子の何大勇さんです。何さんは90年代の我々の調査に同行された後、日本に留学し、総合研究大学院大学で博士号をとって、いまは雲南民族大学の教授として活躍しています。おまけにどうした縁なのか、能海寛研究会と交流があり、今は中国における能海と河口慧海の研究者としても知られているのます。いままさに『能海寛遺稿』を漢訳しようとしているようですが、これについてわたしはちょっと意見があるので、昆明で話しあおうとも思っています。それはさておき、能海最期の地は西北雲南であり、このたびの調査にも同行していただくことになりました。
そのスケジュールは以下のとおりでありました。
9月09日(日)関空16:55→昆明24:45 MU748(出国→上海で入国)
9月17日(月)昆明07:30→関空15:40 MU747(上海で出国→帰国)
新潟から昆明へ
台風から二日経って、岡山空港からの代替渡航願望は無残にも打ち砕かれました。旅行社が中国東方航空公司と交渉して、なんとかキャンセル料も上積み料もなしで勝ち取ったフライトは「12日新潟空港発」でした。わたしも会長も真剣に調査の中止を検討しました。参加する2名の学生のうち1名の女子学生は卒論を能海で書くことが決まっているため雲南調査に参加することになったのですが、彼女の負担を和らげるのはどうしたらよいのか、心を痛めました。結局、4人で行きます。スケジュールを書き残しておきましょう。
9月11日(火)東京へむけて出発
9月12日(水)東京→新潟 MU296便 新潟14:00発/上海浦東15:55着
MU9716便 上海浦東17:45発/昆明22:30着
9月13日(木)昆明→大理 大理古城と洱海
9月14日(金)大理→香格里(シャングリラ) ゲルク派総本山ソンツェリン寺(帰化寺)
9月15日(土)香格里→徳欽(ジョル) チベット族民家仏間の調査
9月16日(日)徳欽 飛来寺参観、チベット族民家調査。
9月17日(月)阿東 梅里雪山、屏風岩の撮影。
MU5940便 シャングリラ15:55発/昆明16:55着
9月18日(火)午前: 雲南民族大学等
午後: MU5438便 昆明15:20発/上海浦東20:15着
9月19日(水)MU529便 上海浦東09:30発/名古屋12:35着