風に吹かれて-第7次ブータン調査(4)

リンチェンガン-インド職人がつくった村
8月28日(火)午後、レストラン(BOBEE RESTAURANT)で昼食を済ませ、ガイドのウタムさんの勧めで、ワンデュ・ポダン(WANGDUE PHODRANG)谷に位置するリンチェンガン(RINCHENGANG)村に向かいました。リンチェンガン村は、谷の対岸に位置するワンデュ・ポダン城(1638年建築)を建設するため、16世紀にインドより移住してきた人たちが作った村ですが、今はブータン人が住んでいます。ただし、ときどきインド人の顔に似た村人にも出会いました。
ブータンの建国が17世紀なので、建国前16世紀の土着信仰が民家の内部にみられるかもしれない!とASALAB一向の胸が高鳴ります。また、ブータン政府はこのリンチェンガン村を集落保存地区(日本でいう伝統的建造物群)にする計画にあるとのことです。16世紀で伝建クラスの村となると、行政職員である私自身も興味津々です。


到着すると山腹にへばりつくように木造三階建ての古民家がひしめき合って建っており、たしかにこれは圧巻です。これら民家の合間を縫うように石段や露地が絡みあっており、これまで移動中に車窓から眺めた山腹の村落とは少し印象が異なります。また、教授よりブータンの古民家のほとんどは、版築壁と木部の複合で田の字型平面をとるとうかがっていましたが、リンチェンガン村の古民家は日干し煉瓦壁と木部で構築されており、L字型平面の間取りを多く確認できました。やはり16世紀のインド移民の影響なのか、地形の影響なのは定かではありませんが、一般的なブータン村落にみられない特徴を備えるのは間違いなく、民家の保存度も高いので、なるほど保存地区としては相応しいでしょう。


さて、民家の仏間調査については、ウタムさんを通して候補を絞っていったのですが、平日の昼間で外出している人が多く、扉は施錠されていて、なかなか対象が定まりません。何軒か回ったなかで、ようやくDさんさんのお宅に入ることができました。ブータンの民家は1階を家畜小屋とし、2階又は3階に居室を構えます。屋上を物置とて使用することから、束を立ち上げて屋根を架けるので、全体的にものすごく背が高い印象を受けます。D家は木造切妻三階建(一部二階建)で二階に居室を設け、今は寝間として使っている部屋の一部に仏壇を設けていました。仏壇は高さ900㎜の祭壇の中央に木製三ツ窓の仏龕を配し、そのまわりをぐるりとタンカ(仏画)が囲むというシンプルな構成になっています。
仏龕の中には本尊サンゲ(釈迦)を中央に、左に千手観音(CHENRIGJI)、右に釈迦(SANGAY)を配し、中央の釈迦の前にシャブドゥン(ZHABDRUNG:高僧ガワン・ナムゲル)を据えています。仏龕のまわりを囲むタンカは、左下から時計回りにグルリンポチェ(GURURINPOCHE)、左上:千手観音)、中央左:釈迦、中央:金剛薩埵(VAJRAPANI)、中央右:シャブドゥン、右上:文殊菩薩(JAMPELYANG)、右下:千手観音という配列でした。残念ながら、私たちが望むボン教悪霊から変化した「護法尊」は祀られておりません。

地霊を封じ込めるルー
しかしながら、まったく成果がなかったわけではありません。このリンチェンガン村には、いたるところに小型で飾り気のないブータン式チョルテン(ストゥーパ)があり、なかには建物の外壁をくりぬいてまでチョルテンを祀るものもありました。じつはこの小型のチョルテンはルー(Lu)と呼ばれており、仏舎利を祀る一般的なストゥーパとは異なり、地下世界を支配するボン教の地霊を封じ込めるキャップのような役割を果たしています。その点、チメラカンの黒いチョルテンの役割と似ていますね。ルーは原則として世帯もしくはリネージごとに一基存在し、よく見ると玄関近くや軒下など屋内外の境界領域に築かれています。悪霊が侵入してくると予想される場所に設置されていました。

梯子の編年についても教えられました。木階のうち最も古いのが下のものです。梯子と手すりを一木で刳り貫く形式であり(↓)、時代が下るにしたがって手すりが梯子から離れて構造的に独立していくようです。弥生の板船が構造船に変わっていくようなものですね。

↑↓古い梯子


プナカ城のルモとルー
いったんホテルに帰ってチャイで休憩し、プナカ城へ。プナカ城は1637年の建築です。男川と女川が合流する中洲に巨大なゾンが建っています。ゾンといえば山城のイメージが強いですが、プナカ城の場合、河川流の方位された環濠集落のような趣きのある特殊なゾンと言えるでしょう。風景は素晴らしい。
プナカ城でも2ヶ所で地霊の祭祀施設を発見しました。大きなチベット式チョルテンと菩提樹の大木が植わる中庭の一角に小さな祭壇と祠堂があり、ルモ(LUMO)という女神が祀られています(↓)。祠堂内に偶像はありませんが、顔面が描かれています。また、祭りの際には竹編みのフレームに塗土して高さ2.5m程度のルゥモの塑像を作り祀るそうです。そのフレームをみせていただきました(一番下の写真)。


↑プナカ城内の祠堂に祀られるルモ。↓祭りの際にのみ偶像化するルモのフレーム

リンチェンガン村の民家の仏間では偶像化した護法尊は確認できませんでしたが、世帯もしくはリネージでルーを設け地下の支配者を封じたり、プナカ城においては魔女ルゥモを祀るなど、やはりボン教と仏教の繋がりがひろくみとめられます。今後のブータン調査において「ルー」はキーワードになりそうです。(ガキオ)


↑祠堂に納まるルー。色彩はあでやかだが、形は村でみるものと同じでシンプル。ブータン式チョルテンの簡素化したものである。
【余論】雲の紋様
テインプーの文化省で待機している間やることがないので、壁紙の模様をぼんやり眺めていた。それはシンプルな渦紋様の壁紙であるが、モチーフは渦(水流)ではなく雲であることがよく分かる絵柄であった。同じ壁紙を民家でもみた。
日本の近世社寺建築で年代判定に使う虹梁の「渦(と若葉)」の渦も、じつは雲であろうことがブータン建築の絵様彩色から十分想像される。下はすべてプナカ城で撮影したものだが、肘木下端の繰形や頭貫(台輪というべきか)側面の紋様など、柱頭より高い位置にある水平材に雲が反復的に表現されている。
雲とは仏教における「天」の象徴である。かつて3世紀に遡るクチャのキジル千仏洞でアーチ式天井の一面にレリーフを確認した記憶がある。天の象徴であるからこそ、高い位置の水平材に表現されるのであろうと思われる。日本建築の紋様について思い浮かぶことを書き連ねておきたい。
1)日本の近世社寺建築で虹梁・木鼻などに表現される「渦」は雲を表現している。
2)意味の分からぬ大仏様繰形の造形も「雲の流れ」を表現したものであり、法隆寺金堂・五重塔・中門および玉虫厨子等に表現された雲斗雲肘木と意味するところは変わらない。
3)神魂神社本殿の天井に表現された「八雲」もまた仏教に起源する概念ではないか。「出雲」という地名の「雲」自体が天空を象徴する仏教の概念であり、出雲大社の成立には仏教が影を落としている。

↑大仏様繰形に似た肘木下面の雲模様

↑同上

↑手先方向にのびる梁?の側面にも雲紋様

↑柱上頭貫(もしくは台輪)側面の雲紋様

↑↓同上

【連載情報】風に吹かれて-第7次ブータン調査
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