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風に吹かれて-第7次ブータン調査(6)

0829ロベサ村03チョデン家03外観01 0829ロベサ村02チョデン家03ルゥ01 ルー


スージャと米粉パン

 8月29日(水)。2日間お世話になったロベサ・ホテルを離れ、少し谷側に下ってロベサ村の民家調査をしようということになりました。目的の集落付近に着いて車から下りると、壁に見事なファルスが描かれた土産物屋を発見。ひやかしてみることにしました。チメラカン以来、すっかり滑稽なファルスにはまっていたため、土産物を買いあさってしまいました。また、この店の横では職人がタンカ(掛軸仏画)を描いており、そのタンカを実際に売っていましたが、値段を聞いておののきました。
 ロベサ村で調査したのはC家です。この日はご主人が腹痛で通院中のため、乳飲み子を抱えた若いお嫁さんとお姑さんの二人でもてなしてくださいました。ブータンでの接客はスージャ(バター茶)3杯が基本です。2回おかわりしなければならないのです。同じ南インドでも、熱い低地で茶摘するスリランカや南インドでは砂糖をたっぷりいれた淹れた甘いチャイを何杯も飲み、チベットなどの遊牧民は低地に塩分とカルシウムを補給するため紅茶にミルクとバターと塩をたっぷり混ぜたバター茶を頻繁に飲むそうです。チェデン家では、米粉を焼いたカリカリのパンをあわせていただきました。


0829ロベサ村02チョデン家01バター茶01 0829ロベサ村02チョデン家01バターチャ02


 私とガキオさんはバター茶が苦手でした。私は3杯飲み終えたところで、少し気持ち悪くなってしまいました。バター茶が不味いと二人でぶつぶつ言っていましたが、そういう態度が教授は気に入らなかったようです。「舌が保守的だ」と批判されます。バター茶は日本人にとっての味噌汁のような遊牧民のソウルフードであり、そういう食文化を理解しないフィールドワーカーを軽蔑しておられたののかもしれません。たとえ不味くでも、調査中にもてなしていただいて「不味い、不味い」と繰り返す私たちのことを呆れておられたようです。二度と連れてくるのをやめよう、と思われたとしたら大失態ですね・・・


0829ロベサ村02チョデン家02仏間01 0829ロベサ村02チョデン家02仏間03


仏間とアムチュキム祭

 C家仏間は内陣(仏壇の間)と外陣(控えの間)からなる本格的なものです。祭壇は釈迦を中心とし、その上に左から文殊菩薩(JAMPELYANG)、グルリンポチェ(GURU RINPOCHE)、ドゥクパ・クンレー(DOUKPA KUENLEY)の像が並びます。両脇には、ジェケンポ(JE KHENPO)や国王などの写真やトルマ供え飾りが置かれ、壁にも写真や仏画が貼られています。非常に立派な仏壇なのですが、肝心のボン教系護法尊は祀られていませんでした(ファルスは片隅にありましたが)。
 ロベサ村の護法尊はチメラカンに祀られていた魔女アムチュキム(AUM CHUKIM)です。AUMは年長の女性を意味します。元々はこの村を支配していたポン教の神であり、ドゥクパ・クンレーに調伏されて村の守り神となったのです。村の正式な祭りは先日訪れたチメラカンで行われますが、魔女から浄化されたアムチュキムの祭りは別の場所で2月15日ころに行われるそうです。


0829ロベサ村02チョデン家02仏間04
↑外陣 ↓仏壇脇のファルスと内陣の全景
0829ロベサ村01チョデン家01ファルス01 0829ロベサ村02チョデン家02仏間02



パロ地区シャヴァ村版築壁跡02 パロ地区シャヴァ村版築壁跡01


シャヴァ村建物跡(南側)の調査

 昼食後、ウタムさんから宿泊予定にしていたプナカ農村のホームステイ先で病人がでたため、家には主人ひとりしかいないという情報を知らされます。いろいろ検討したのですが、風呂やトイレの設備を完備しているパロの民宿に宿泊先を変更することになり、再び霧のドチュラ峠越えとなりました。
 途中、ティンプー市街地のアンビエントカフェで休憩をはさみ、パロ地区シャヴァ村の建物跡に立ち寄りました。2年前(2016)、この場所の南側にある大きな建物跡(↑右)の壁土から炭化木片(辺材型)を採取し帰国後放射性炭素年代測定(AMS法)したところ、以下の結果を得ました。

 試料No.3 シャヴァ村農家 サンプルA
  1420-1460 cal AD (信頼限界95.4%) →15世紀前半~中頃
 試料No.4 シャヴァ村農家 サンプルB
  1490-1603 cal AD (信頼限界75.3%)、1612-1644 cal AD (同20.1%)
  →15世紀末~17世紀中頃

 ほんの半世紀前まで、ブータンの高山地域では遊牧民が各地を遊動するか、放牧民が素朴な小屋に住んでいました。そうした草原的世界のなかにぽつんぽつんと仏教僧院が境内を構えていたのです。これが15~16世紀に遡るとなれば、さらに遊牧的世界が純粋化しているでしょうから、こうした大型の建物跡が農民の住まいであったとは考えにくく、仏教僧院の一部であった可能性が高いと思われます。昨年も報告しましたが、この廃墟の版築壁を活かして新たに建物を築いており、その工事はなおも進行中でした。ウタムさんによると、シンガポール?に住むラマがこの事業を進めているというのですが、定かではありません。さらに、楼閣式にみえる壁跡の側面には天井根太列のような痕跡を確認できるので、当初はこの部分までの高さであったろうとも彼は言います。だとすれば、当初の建物は平屋建か、中2階程度の高さであったことになり、「中世」にふさわしいと思いました。
 今まで気づかなかったのですが、レストラン改装中の建物の南側約50メートルのところにも小さな建物跡が残っています(↑左)。さっそく壁土の奥部に有機物を探しました。帰国後、どのような成果がでるか楽しみです。


パロ地区シャヴァ村版築壁跡02サンプル採取01 パロ地区シャヴァ村版築壁跡03配置図01


パロの民宿

 パロの民宿に到着すると、再びバター茶のもてなしです。なんとか飲み干し、アラックで口直し?し、夕食をいただきました。しかし、オカズは2~3種類しかなく、物足りないので、パロの街にでて毎年恒例のトムヤムクンヌードルを食べようということになりました。
 教授がはじめて2012年にブータンを訪問された際、この民家を訪問し、香港のメディアと同席して、後に雑誌に掲載ました。当時は感じのいいマダムが対応してくださったそうですが、今は代替わりしていて、若奥様が宿の主人になっています。ところが、その娘さんがややぶっきらぼうで口数が多く、いまひとつくつろげません。その後、ストーンボイリングの風呂に入りましたが、ハ地区のソナムジンカファームハウスのお風呂と比べるとまったく物足りず、入浴後もまったくパワーが湧いてきません。ソナムジンカを恋しく思いました。(ザキオ)


0829シャリ村ツェリン家01アラック01 アラック
↑現マダム  ↓先代マダム(5年ぶりの再会。落ち着きます)
0830ツェリン家の老マダム


【連載情報】風に吹かれて-第7次ブータン調査
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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