雲のかなたへ-白い金色の浄土(1)

雪山の麓で
帰国して六日経ち、黄昏の散歩道を周回した。3週間ぶりのことである。少し足をのばせば畦に彼岸花の咲く季節になっている。初秋の空気は気持ちよく、ようやく人並みの体調に戻りつつあることを体感した。
ただでさえ中国のフィールドワークはきついのに、関空水没の影響でスケジュールは乱れまくり、日々のストレスは東レパンパシ決勝の大坂なおみレベルまで溜まり続け、ある日限界値に達した。
9月16日(日)、阿東というチベット族の山村でわたし(たち)は交通事故に遭った。その日の夜、ただちに大学の関係者に報告したし、帰国後あちこちで話もした。原因はいずれ別に詳述するが、だれも怪我したわけではない。いまは面倒くさいので、ある外国人研究者に送信した下手な英文を転載しておく。
One day in the Tibetan farm village, we stopped our car on the road. A truck of the Tibetan
farmer which stopped in front of our car went back suddenly. As cornstalks more than 3 meters
in height were piled up on the carrier, the Tibetan driver could not watch the rear and could not
hear the sound of the horn. The truck just hit our car and destroyed its bonnet, but as cornstalk
bunches became the cushion, the front window was not broken. I sat in the seat next to our
driver, but there was no injury miraculously.
On the mountain path of the way home, there were traffic jams more than two hours by
the rockfall. So It was a terrible day, but Mainri Snow Mountains(Min gling gangs ri) which
hid in the heavy clouds appeared when I came back to the town. It seems to be three months
since the holy mountain for Tibetan people having exposed the whole view last really.
We succeeded in praying the holy mountains of a sunset and the morning glow from a distance,
which made us feel that trouble was rewarded and we were very lucky and happy.

後半のパラグラフに注目いただきたい。関空水没によって行程をぐしゃぐしゃにされた我々は、阿東で交通事故に遭い、その帰途、落石の山道で二時間以上の渋滞に悩まされた。艱難辛苦の途を歩み金沙江を越えて旧チベット領カム地方までやってきた意義ははたしてあったのか否か。関空の水没はこの地に「行くな、行ってもろくなことはない」という自然界からの警鐘であったのだろうと思いたくなるほど忸怩とした時間を過ごしていた。
そんな事情が夕刻に一変する。調査団は徳欽の飛来寺に近く、屋上から梅里雪山(海抜6740m)の全貌を遠望できるホテルに陣取っている。日本側の4名は早めにホテルに帰り、2階レストランで手淹れの雲南珈琲に舌鼓を打っていた。とても美味しい珈琲なのに、「メニューにない飲物だから代金は要らない」と言われ、とても驚いた。ちょっとした吉兆ではないか。そこに、事故処理で阿東に残っていた中国側の2名が戻ってきた。さらなる朗報がもたらされる。二人はにこやかに我々に告げた。
「梅里雪山がみえるよ!」


魔女と女神
全員が屋上に駆け上がった。早朝七時前の日の出の時間に山を隠していた雲は風に吹き飛ばされている。これがチベット族の「神の山」だ。いまだ未踏峰の雪山連峰である。わたしが初めてチベット入りしたのは1992年のことだが、その前年正月、日中合同の学術登山隊17名が梅里雪山の初登頂をめざし、主峰カワクボに近い第3キャンプ地で雪崩の直撃を受け全滅した。山麓のチベット族は「神の山」への登山に強く抵抗しており、聖山を汚す者は死に至ると予言していたという。結果はそのとおりになったのである。
今回同行した中国側の研究者やドライバーは「運がよければ雪山の姿をみることができる」と口を揃えた。しかしたとえば、雲南省の省長(知事)は3度この地を訪問し、北京在住のトライバーの友人は4回訪問して、いずれも一度とて雪山をみていない。そういう情報を耳にするにつけ、半ば諦めムードが漂っていたのは事実である。しかし、じつはその一方で、わたしは妙に自信めいた感覚を内に秘めていた。その根拠については口にしないほうがよいであろう。


我々はホテルの屋上で夕暮れの梅里雪山(↑)を遥拝し、その翌朝には朝焼けを反射する金色(こんじき)の連峰をシャッターでとらえることに成功した。ホテルのマネージャーによれば、この2~3ヶ月のあいだ隠れていた雪山が例外的に姿をあらわした朝なのだそうである。我々の労苦は報われた。前日までは何が成果なのか分からぬ旅だと思っていたが、なんのことはない、このために厳しい旅程を耐えてきたのである。金色に輝く朝焼けの雪山の写真は、後日たっぷり掲載いたします。
チベットの魔女は我々に試練を与え続けた。ほんとうに意地悪な女だ。つくづくそう思う。我々は体調を崩しながらも、繰り返し障壁を乗り越えていくしかなかった。そのご褒美として魔女は女神に戻り、本来の清らかな姿をみせてくれたのだろう。じつは、このツアーはわたし個人にとってもう一つ別の願いを込めたものであった。そのため少し気負いすぎていたようで、魔女はこれにもお灸を据え正しい方向に導いてくれた。
9月19日(水)に帰国して、まる二日間昏睡に近い眠りに落ちた。3日めに風邪の症状を自覚して通院し、たんと薬をもらってさらに一日休養し、5日めの23日(日)、神戸からの訪問者を迎えた。私学時代の1期生、岡村がめでたく11月に結婚することになり、新婦ともども挨拶にやってきたのだ。幸せそうな二人に頬が緩む。
こうしてようやく魔女の支配から開放され、日常の生活に戻りつつある。後期が始まる。

↑↓12月1日シンポジウム関係者(左端が雲南民族大学・何大勇研究員)

【連載情報】
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二人の感想-ブータンから西北雲南の旧チベット領まで
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