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雲のかなたへ-白い金色の浄土(14)

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阿墩子古城

 9月17日朝8時40分、ホテルを2台の車で出発しました。1台は孫ドライバーの2号車で大学の3名が乗り、もう1台は壊れた1号車の代わりにラオルオがチャーターしたタクシーで、運転手はチベット人の女性です。こちらには会長さんのほか、何さん、ラオルオも乗り込みました。9時には「阿墩子古城」に到着。古い町並みを残す集落ですが、城(城壁のある都市)というには大げさであり、鎮(まち)という規模にふさわしくて、「古城」ではなく「古鎮」という表現が適切だと教授はおっしゃいますが、バス停や標識などの表記はみな「古城」となっています。


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 いちばん極端な反応をしたのは何さんで、「ここは最近映画セットのために作った街だ(から訪れても意味はない)」と会長に言われたそうです。実際には古い建物と新しい建物が混ざり合った生活感溢れる場所であり、小路に沿う住宅の前で牛の乳搾りをしているおじいさんがいて(↑)、なんだかほっこりしました。


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 教授の見立てによると、軒を連ねる町家等は清末~民国時期のものだろうとのことです。町家は2階が石畳の小路側にせりだす「跳楼」形式の二階建で、垂花柱(吊束)で二階の庇を支えています。北京の四合院住宅の中門で常用される宙に浮いた短い柱でして、下端に花や蕾の紋様を彫りこむことから「垂花柱」の名があるそうです。この装飾的な吊束は江南を中心に南中国漢族地域の跳楼形式の町家で多用されるようで、阿墩子もそうした江南型の都市住宅を受容したものであろうと教わりました。とすれば、チベット族の領土に生まれた中華的世界であり、ナシ族の麗江、ペー族の大理に匹敵する場所と言えますが、年代は新しく、規模は小さいです。敢えて言うなら、徳欽の「小麗江」というところでしょうか。


モスク 0917mosque000sam.jpg


 集落の入口は宗教のるつぼです。町並み端部の角地には薄緑色の大きなモスク「徳欽清真寺」が建っています。雲南には回族(ムスリム)が多いそうですが、徳欽のような奥地までその分布が及んでいることが分かりました。再び教授によると、回族は一定の民族集団ではなく、イスラム教を信じる複数の民族から構成され、他の少数民族とはちがって都市部に住み、回民食堂でおもに生計を維持し、清真寺(モスク)を心の拠り所としているそうです。あるいは阿墩子古城は回族が主体となっている街なのかもしれません。いずれにしても、チベット仏教との衝突は避けられないところですが、果たして、モスクが面する大きな広場の中心部にはチョルテン(ストゥーパ)が鎮座しています。この広場は回教と仏教がせめぎ合う前線でもあるのです。チョルテンの近くには、木造の仏堂らしき建築もありましたが、近づいてみるとかなり新しい建物であることが分かりました。
 

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ラオルオとの別れ

 阿墩子見学後は、車で一路シャングリラをめざしました。途中、土砂崩れの通行止めがあり、またトラブルかとも思われましたが、午後1時にはシャングリラに着き、2日前に宿泊した中甸古城の「源鑫閣」客桟の中庭で昼食をとりました。マダム得意の東北水餃子がテーブルに並び、調味料は好きなものを取りに行くスタイルで、教授から黒酢がおいしいと聞いていたので、醤油と黒酢で食べました。おいしかったので、この後スーパーで、家族へのお土産として黒酢を買いました。
 各々お土産を手に入れた私たちは、シャングリラ空港に向かいます。ここで、運転手としてお世話になったラオルオや孫さんたちとはお別れです。長距離の運転お疲れ様でした。ラオルオはタクシーに乗って徳欽に帰り、事故でボンネットをぐしゃぐしゃにされた車の修理にあたります。まだまだ大変な日々を過ごすわけです。



0917ビール02 0917ビール01餃子01 シャングリラ 昼食


初日の巻き戻し

 さて、シャングリラ16時発MU5940便に乗って昆明の長水空港に無事着陸しました。ところが、またトラブル発生。17時に空港に着いたのですが、スーツケースなどのラゲッジが出てこないのです。まもなく係員から呼び出されました。MU5940便の荷物が多すぎたため、我々の荷物は次の便に載せたので空港に届くのは午後8時以降になるとの通達です。MU5940便はラサ発シャングリラ経由昆明着のフライトなのですが、どうやらシャングリラで下りる人が少なかったようで、新たな荷物を積み込めなかった模様です。
 教授は言います。「こういうことは日本ではおこらない」。何さんは答えます。「そんな、おこらないでくださいよ」。だれも怒っていないのに・・・
 何さんはいったん大学に戻り、自家用車でわたしたちを向かえに来てくれることになりました。わたしたちは、少し高級なレストランを探そうとしました。すでに雲南の料理に飽きていて、できればスパゲティか何か洋食を食べたいと思ったのですが、洋食屋さんがみつからないので、空港の縁にあるスタバ(星巴克)に入りました。スタバでも洋食レストランのことを聞いたのですが、ないという返事しか返ってきません。昆明の長水空港は国際空港だというのに外国料理のレストランがない。仕方ないので、フードコートで麺を食べることにしました。私はワンタン麺、教授たちは担々麺を注文したのですが、塩気がきつくて、あんまりおいしくないので、みんな残してしまいました。もったいない…。
 午後8時が近づいてきて、指示されたゲートAの前にあるオープンカフェに陣取りました。12日夜の到着日に抹茶パフェを食べたお店です。予定の時間になっても何さんがあらわれないので、また会長さんの動きがせわしくなっていきます。初日と同じ場所で同じ展開なのですが、今回はトランシーバーを何さんにわたしているので連絡がとれないわけではありません。しかし何度呼び出しても全く通じず…。それはほんとうに初日の巻き戻しのようだったのですが、20分ばかり遅れて何さんがあらわれ、わたしたち4名のスーツケースを運び出してくれて事なきを得ました。その後は大学地区のホテルに直行、残された仕事は眠るだけです。
 この日もちょっとしたトラブルはありましたが、朝焼けの梅里雪山を見ることができたので、結果良い一日であったと思います。 (あやかめ)


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【連載情報】
雲のかなたへ-白い金色の浄土(1)
雲のかなたへ-白い金色の浄土(2)
雲のかなたへ-白い金色の浄土(3)
雲のかなたへ-白い金色の浄土(4)
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二人の感想-ブータンから西北雲南の旧チベット領まで
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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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