紅葉の摩尼山トレック-「賽の河原」石積み塔づくり(7)
チラシが完成して摩尼寺を訪れた際、住職代理から「西院(さい)の河原和讃」本をご提供いただきました。和讃とは、仏や菩薩などの偉業をたたえる賛歌です。この場合の「和」とは日本語を意味します。仏教では声明(しょうみょう)の曲種の一つとされますが、民俗学的には口訣あるいは歌訣の類と考えられるでしょう。文字を読めない人たちが、技能や神話を伝承するために覚えやすい歌にしたものであり、後にそれが文章化されたということです。11月10日のイベントと係わりが深いので、3年生にデータ化してもらいました。
[凡例] ①繁体字については、現行の簡体字に改めて転載します。
②平仮名も現行の表記に改めています。③振り仮名は原本においてほぼすべての漢字に
振られていますが、ここでは難読文字のみ( )付きの送り仮名としています。④冊子のページに即して
パラグラフを分けていますが、文章が分断されているわけではありません。
西院の河原和讃
帝釋天王出現霊場・中国観音特別霊場 摩尼寺
是(これ)は此世(このよ)の事ならず
しでの山路(やまぢ)の裾野なる
さいの河原の物語り
聞くにつけても憐れなり
二っや三っや四っ五っ
十(とお)にもたらぬ嬰子(みどりご)が *嬰子:乳飲み子。十歳ならば童子(わらべ)が相応しい?
さいの河原に集りて
父こいし母こいし
恋し恋しとなく声は
現世(このよ)の声とは事変(ことかわ)り *事変わり:様子が違っている
悲しさ骨身を通す也
彼(かの)嬰子(みどりご)の所作として *所作:身・口・意の三業(さんごう)が発動すること。
川原の石をとり集め
是にて回向(えこう)の塔を組み *回向:自らの徳を他者に転回すること。あるいは追善供養。
一重(いちじゅう)くんでは父の為
二重(にじゅう)くんでは母の為
三重(さんじゅう)くんでは古里の
兄弟我身と回向して
昼は独(ひと)りで遊べども
日も入相(いりあい)の其のころは *入相:陽が山の端に入るころ。黄昏(たそがれ)時。
地獄の鬼が現われて
やれ汝等(なんぢら)は何をする
娑婆(しゃば)に残りし父母(ちちはは)は
追善(ついぜん)ざぜんの勤(つとめ)なく
只あけくれの歎(なげき)には *あけくれ:明けても暮れても(何かに)専念する
惨(むご)や可愛や不愍(ふびん)やと
おやの歎きは汝(なんぢ)らが
苦患(くげん)を受くる種となる *地獄におちて受ける苦しみ
我を恨むる事勿(ことなか)れと
くろがねの棒をのべ *くろがねの棒:地獄で使う焼けた鉄の棒。尻から頭まで串刺しにされ業火であぶられる。
積みたる塔を押崩す
また積々(つめつめ)と責めければ
稚子(ちご)余りの悲しさに *稚子:6歳くらいまでの幼子(おさなご)。「ちのみご」の略か。
実(まこと)優しき手を合わせ
宥(ゆる)し給(たま)へと伏(ふ)し拝む
汝等(なんぢら)罪なく思うかや
母の乳房(ちぶさ)が出(いで)ざれば
泣々(なくなく)胸を打つときは
八万地獄に響くなり
母は終日(ひねもす)つかれにて
父が抱かんとする時は
母を放れず泣く声は
天地奈落に響くなり *奈落=地獄
云いつつ鬼は消失せる
みねの嵐の音すれば
父かと思うて走登(はせのぼ)り
谷の流れを聞く時は
母かと思うて走下(はせくだ)り
四辺(あたり)を見れども母も無し
誰(たれ)とて添乳(そいぢ)を為可(なすべき)や *誰も添い乳をすることなんてできない
西や東にかけまわり
石や木の根に躓(つまづ)いて
手足は血潮に染乍(そめなが)ら
幼な心のあじきなや *あぢきなし:はかない。無常な。
砂をしきつついし枕
泣々(なくなく)寝入る折からに
又清涼のかぜふけば
皆一同に起きあがり
此処(ここ)や彼処(かしこ)と泣き歩く
其時(そのとき)能化(のうげ)の地蔵尊 能化:衆生を教化する指導者。「化」とは「教える」の意。
動(ゆる)き出でさせ給(たま)ひつつ
何をか歎(なげ)く幼な児よ
なんぢら命短(いのちみぢ)かくて
冥途の旅に来たるなり
汝(なんぢ)が父母娑婆(しゃば)にあり
娑婆と冥途は程遠い
吾(われ)を冥途の父ははと
思うて明暮(あけくれ)頼めよと
幼なきものを御衣(みころも)の
裳(もすそ)の内に掻きいれて
愍(あわ)れみ給(たま)ふぞ有難(ありがた)き
未だ歩まず幼な子を
錫杖(しゃくじょう)の柄に取付(とりつか)せ
忍辱(にんにく)慈悲の御膚(みはだ)へに *忍辱:種々の侮辱や苦しみを耐え忍び心を動かさないこと
抱(いだ)きかかへて撫擦(なでさす)り
大悲の乳房を与(あたえ)つつ *大悲:大いなる菩薩の慈悲
泣々(なくなく)寝入る憐れさは
譬(たと)え難(がた)き御(おん)なみだ
袈裟や衣(ころも)に浸(ひた)しつつ
助け給ふぞ地蔵そん
[凡例] ①繁体字については、現行の簡体字に改めて転載します。
②平仮名も現行の表記に改めています。③振り仮名は原本においてほぼすべての漢字に
振られていますが、ここでは難読文字のみ( )付きの送り仮名としています。④冊子のページに即して
パラグラフを分けていますが、文章が分断されているわけではありません。
西院の河原和讃
帝釋天王出現霊場・中国観音特別霊場 摩尼寺
是(これ)は此世(このよ)の事ならず
しでの山路(やまぢ)の裾野なる
さいの河原の物語り
聞くにつけても憐れなり
二っや三っや四っ五っ
十(とお)にもたらぬ嬰子(みどりご)が *嬰子:乳飲み子。十歳ならば童子(わらべ)が相応しい?
さいの河原に集りて
父こいし母こいし
恋し恋しとなく声は
現世(このよ)の声とは事変(ことかわ)り *事変わり:様子が違っている
悲しさ骨身を通す也
彼(かの)嬰子(みどりご)の所作として *所作:身・口・意の三業(さんごう)が発動すること。
川原の石をとり集め
是にて回向(えこう)の塔を組み *回向:自らの徳を他者に転回すること。あるいは追善供養。
一重(いちじゅう)くんでは父の為
二重(にじゅう)くんでは母の為
三重(さんじゅう)くんでは古里の
兄弟我身と回向して
昼は独(ひと)りで遊べども
日も入相(いりあい)の其のころは *入相:陽が山の端に入るころ。黄昏(たそがれ)時。
地獄の鬼が現われて
やれ汝等(なんぢら)は何をする
娑婆(しゃば)に残りし父母(ちちはは)は
追善(ついぜん)ざぜんの勤(つとめ)なく
只あけくれの歎(なげき)には *あけくれ:明けても暮れても(何かに)専念する
惨(むご)や可愛や不愍(ふびん)やと
おやの歎きは汝(なんぢ)らが
苦患(くげん)を受くる種となる *地獄におちて受ける苦しみ
我を恨むる事勿(ことなか)れと
くろがねの棒をのべ *くろがねの棒:地獄で使う焼けた鉄の棒。尻から頭まで串刺しにされ業火であぶられる。
積みたる塔を押崩す
また積々(つめつめ)と責めければ
稚子(ちご)余りの悲しさに *稚子:6歳くらいまでの幼子(おさなご)。「ちのみご」の略か。
実(まこと)優しき手を合わせ
宥(ゆる)し給(たま)へと伏(ふ)し拝む
汝等(なんぢら)罪なく思うかや
母の乳房(ちぶさ)が出(いで)ざれば
泣々(なくなく)胸を打つときは
八万地獄に響くなり
母は終日(ひねもす)つかれにて
父が抱かんとする時は
母を放れず泣く声は
天地奈落に響くなり *奈落=地獄
云いつつ鬼は消失せる
みねの嵐の音すれば
父かと思うて走登(はせのぼ)り
谷の流れを聞く時は
母かと思うて走下(はせくだ)り
四辺(あたり)を見れども母も無し
誰(たれ)とて添乳(そいぢ)を為可(なすべき)や *誰も添い乳をすることなんてできない
西や東にかけまわり
石や木の根に躓(つまづ)いて
手足は血潮に染乍(そめなが)ら
幼な心のあじきなや *あぢきなし:はかない。無常な。
砂をしきつついし枕
泣々(なくなく)寝入る折からに
又清涼のかぜふけば
皆一同に起きあがり
此処(ここ)や彼処(かしこ)と泣き歩く
其時(そのとき)能化(のうげ)の地蔵尊 能化:衆生を教化する指導者。「化」とは「教える」の意。
動(ゆる)き出でさせ給(たま)ひつつ
何をか歎(なげ)く幼な児よ
なんぢら命短(いのちみぢ)かくて
冥途の旅に来たるなり
汝(なんぢ)が父母娑婆(しゃば)にあり
娑婆と冥途は程遠い
吾(われ)を冥途の父ははと
思うて明暮(あけくれ)頼めよと
幼なきものを御衣(みころも)の
裳(もすそ)の内に掻きいれて
愍(あわ)れみ給(たま)ふぞ有難(ありがた)き
未だ歩まず幼な子を
錫杖(しゃくじょう)の柄に取付(とりつか)せ
忍辱(にんにく)慈悲の御膚(みはだ)へに *忍辱:種々の侮辱や苦しみを耐え忍び心を動かさないこと
抱(いだ)きかかへて撫擦(なでさす)り
大悲の乳房を与(あたえ)つつ *大悲:大いなる菩薩の慈悲
泣々(なくなく)寝入る憐れさは
譬(たと)え難(がた)き御(おん)なみだ
袈裟や衣(ころも)に浸(ひた)しつつ
助け給ふぞ地蔵そん