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奇跡の雪山-ブータンとチベットの七年間(1)

1 投入堂からブータンへ

 三徳山三仏寺投入堂  鳥取県中部の三朝町に三仏寺投入堂という建造物があります。凝灰岩層と玄武岩層が積み重なる絶壁の境界に深い岩陰があり、そこに小さな木造の仏堂が組み上げられていて、得も言われぬ緊張感と神秘性を醸し出しており、多くの参拝者を集めています(写真1)。投入堂は平安時代後期(西暦1100年頃)まで遡る年代の古さに加えて、アクロバティックな立地の特異性が評価され、県内唯一の国宝建造物に指定されています。鳥取県は2006~07年に投入堂を中心とする史跡名勝「三徳山」の世界文化遺産暫定リスト入りをめざして活動しましたが、結果はあえなく落選。その理由は「顕著な普遍的価値の証明ができていない」というものでした。日本国内はさておき、世界的にみた場合の抜きん出た文化財価値を証明せよ、というわけです。とてもいじわるな政府からの要求ではありましたが、他の関係者に比べればはるかに多くの海外フィールドワークをこなしてきたわたしは、この課題に応えるべく、投入堂を「日本の石窟寺院」と定義しつつ中国、中央アジア、西インドなどに類例を探し求め、気がつけばブータン高地に行き着いて、今に至ります。


sam写真1(34頁)三仏寺投入堂記念写真(2008年11月) 写真1 三仏寺投入堂記念写真(2008年11月)

 自然と溶け合う仏国土  ブータンはチベット仏教ドゥク派を国教とするヒマラヤ山脈南麓の小王国です。国民総幸福量(GNH)の高い「幸せの国」としてのイメージが強いでしょう。たしかに経済力は低いですが、国民の民度は日本以上に高いと感心させられることがままあります。それは国民のほぼすべてが敬虔(けいけん)な仏教徒であることと決して無関係ではないでしょう。そこはまさに「仏国土」と呼ぶべき聖地ですが、金色(こんじき)の煌びやかな伽藍にまぶしさを覚えることはありません。僧院の多くは渓水に面した山の斜面に穏やかなたたずまいをみせています。とくに岩崖に修行場を設ける崖寺(ドラク・ゴンパ)が多く、境内のなかで最も重要な施設はドラフと呼ばれる瞑想洞穴です。
 さて、瞑想とは何でしょうか。仏像の姿を思い起こしてください。胡坐(あぐら)のような坐り方をして目を半開き(半眼)にし、手のひらと指で印を組み、内面の平穏をあらわそうとしています。あれこそ高僧が瞑想する姿を写し取ったものです。瞑想は今でも東南アジアやチベット・ブータンの仏教の根幹をなす修行です。ブータンの場合、若い学僧は三年三月三日に及ぶ瞑想修行を洞穴の中で成し遂げることで一人前の僧侶とみなされます。修行の場となるドラフには洞穴をふさぐ木造の掛屋(かけや)を築くのですが、岩陰・岩窟と掛屋の複合する姿だけみると、三仏寺投入堂とよく似ています。しかし、その利用法は異なっています。ブータンのドラフはあくまで人が修行する場であるのに対して、日本の岩窟・岩陰仏堂は仏像をまつる祀堂です。石窟寺院の用語を借りるならば、前者は僧坊窟(あるいは瞑想窟)、後者は礼拝窟であり、礼拝窟は僧坊窟から展開したものとみられますので、ブータンの方が圧倒的に古式を残していると言えるでしょう。




2 タイガーズネスト ―2012年9月

 スージャを飲みながら  ブータンを初めて訪れたのは2012年のことです。パロ空港に一人降り立った瞬間、わたしの体は何か特殊な空気を感じ取りました。海抜2,200メートルの高地にあるからというだけでは説明しきれない「地霊のオーラ」のような感触です。この国は何かがちがう。
 専用車に一時間ばかり揺られ、車窓の風景に目を奪われては車を停めてもらい、何度も写真を撮りました。そうしてガイドのウタムさんに導かれ、首都ティンプーにある中級クラスのホテルにチェックインしたのですが、ホテルは清潔で、スタッフは礼儀正しく、客人をもてなす心をしっかり身につけています。日本人からみれば当たり前のことかもしれませんが、欧米などの先進国でさえ必ずしもこのようではないのです。
 パロ郊外の農家を訪ねて居間でバター茶(スージャ)をふるまわれ、くつろいでいたとき、アジア人の男女のグループが入ってきて同席することになりました。さてどこの国の人たちだろうか、と思って問いかけると、香港の旅行雑誌社の取材クルーだと言います。当時、尖閣問題がピークを迎えており、香港とも緊張関係に陥っていて、リーダーらしき男性記者に仄めかしてみたのですが、まったく意に介していない、と言うので一安心。それはさておき、ブータンの民族衣装を身にまとう容姿端麗な女性が一人含まれていたものですから、写真を撮りたいという欲求を抑えきれず、「君のガールフレンドの衣装を撮影してもいいかい?」と訊ねたところ、黒眼鏡をかけた男性記者は驚いたような顔をして首を横に振り、「ガールフレンドじゃない、モデルさんだよ」と即答します。そのモデルさんは大学三年生だと自己紹介し、笑顔で撮影を快諾してくれました。
 タクツァン僧院登拝  香港側も私に関心を示しました。1980年代に中国留学験のある建築研究者であり、1992年にチベットを一週間だけ訪問したことがあるという発言に敏感に反応したのです。雑談気味ではありましたが、「チベットとブータンの建築様式の違い」などについては結構真面目に受け答えしました。そのときの対話内容は、帰国後、香港の旅行雑誌『新假期』 のブータン特集( 2012年11月5日号:pp.70-98)にきっちり掲載されています。
 二日後、標高3,050mの崖に建つタクツァン僧院に登拝しました(写真2)。八世紀、北インドからチベットを経由して二度ブータンを訪れ密教を伝えたパドマ・サンバヴァ(後のグルリンポチェ)が瞑想したという岩陰洞穴が現存し、一七世紀末に大きな僧院が建設されています。それは、あたかも巨大化した投入堂のような趣きがあり、繊細かつ壮大な風景に圧倒されます。虎に乗ってパドマ・サンバヴァが飛来したという伝説とともに、洞穴下側の裂け目に虎が巣くっていたことから、タイガーズネスト(虎の巣)の異名があり、ブータン仏教発祥の地として、王国随一の観光地として国内外の観光客を集めています。
 当時55歳のわたしにとって、タクツァン僧院への登山は決して楽なものではなく、途中からからへとへとになっていましたが、僧院より下山を始めた直後、香港クルーが上がってくるのがみえ、まるで昔の戦友に出会ったような気分になって元気を取り戻し、モデルさんを真ん中において記念写真を撮りました。長く生きてきていると、たまには良いことがあるものですね。ブータンは本当によいところです。【続】


sam写真2(37頁)タイガーズネスト(2012年9月) 写真2 タイガーズネスト(2012年9月)

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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