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奇跡の雪山-ブータンとチベットの七年間(2)

3 ダカルポ僧院のミルクティ ―2013年9月
 
 学生とともに初調査  こうしてブータンに魅了されたわたしは、翌13年に十名の学生と二名の教員を引きつれてブータンを再訪しました。これが実質上、ブータン調査の始まりです。プナカ、パロ、ティンプーのの僧院/崖寺で測量や写真撮影などに取り組んだのです。学生のリーダー格は大学院修士課程の白帯くんと四年次のケント君であり、わたしはかれらとともに調査地に先行して乗り込んでいました。ブータンの僧院では、仏堂内部の撮影や実測が原則として許可されていません。そのため、調査の重心は建物の外回りになります。山の崖に建ち並ぶ本堂(ラカン)、瞑想場(ドラフ/ツァムカン)、僧坊長屋(ジムカン)などの施設配置を周囲の山水や境内の植栽とともにすばやくスケッチし、レーザー距離計・方位計で基準点(BM)からの距離と方位を読み取り、図面の余白に書き込んでいきます。白帯くんとケントくんはこうした図面作業に長けていました(写真3)。


sam写真3(38頁)ゾンドラカ寺での測量風景(2013年9月) 写真3 ゾンドラカ寺での測量風景(2013年9月)


 輪廻転生の教え  パロの山嶺中腹(海抜二五〇〇メートル前後)にダカルポ僧院群と呼ばれる一連の崖寺が点在しています。国教ドゥク派の開祖、パジョ・ドゥゴム・シクポが十三世紀に開山したと伝える修行場ですが、本堂が築かれたのは国家形成の十七世紀以降と思われます。2013年はシャバ村の真上にあるダカルポ―ゴムドラ寺を調査しました。ごく普通の鄙びた山寺です。この日は二山めの訪問であり、一時間の山登りにふらふらになってしまったのですが、魔法瓶に入った暖かいミルクティーで全員がもてなしを受けました。脂っこくて塩辛いバター茶ではなく、ほんのりとした甘みのある薄味の紅茶に体が癒されます。
 驚いたことに、一人の尼僧がツァムカンと呼ばれる施設で瞑想中であり、できるだけ静かに行動することを指示されました。コロツェマと呼ばれる別の施設もあります。チベット仏教では死者の書「バルド・ドドゥル」がよく知られています。死にゆく人に対して輪廻転生の方法を諭す経典であり、これにより信者は死を怖れることなく往生していくのです。ブータンでも輪廻転生の考えは息づいています。浮世をリタイアした老人たちは、山寺のコロツェマに籠もって読経三昧の生活を送ります。そうして徳を積み、再び人間に生まれ変わると信じているのです。
 ゴムドラ寺の子どもたち  住職は四十過ぎの穏やかな方でした。不思議なことに、お子さんが二人いる。妻帯を認めないブータン仏教で僧侶に子どもがいるのは異例のことです。事情を訊ねてみると、その二人は住職の姉の子であることが分かりました。姉一家は大変な過疎地に住んでいて、子どもを小学校に通わせられない。だから預かって、山下の小学校に通学させているですが、寺から学校まで片道一時間半以上かかるといいます。目の前にいる二人の子どもは毎日往復三~四時間かけて寺と学校を往復しているのです。そして、崖に建つ山寺には水道がないことに気づきました。大勢の日本人客にふるまわれた紅茶の水は住職や子どもたちが山下の湧水地から運んできたものだったのです。なんだか、ものすごく恥ずかしい気持ちになりました。
 帰国を翌日に控えた日の午後、わたしたちはこの寺を再訪しました。大瓶のペットボトルを男子は二本、女子は一本抱えて山を登り、お菓子とともに仏壇に寄進したのです。寺には二人の子どもの友だちが続々と集まってきます。寄進と補足調査を終えて山を下りるとき、集まった子どもたちはみな道路の近くまで見送ってくれました。忘れがたい想い出です(写真4)。
 さて、初めてのブータン調査は楽しいものでしたが、参加者数の多さには反省するところもありました。フィールドワークにはその中身にふさわしい調査者の数を設定すべきであり、この年の調査は数名で十分だったのです。人数が多いと、交通手段も面倒になります。大型のバスでは山道を走り難いし、小型の車だと何台か用意する必要があり、経費が増してしまいます。さらに男女混合で大人数の場合、ときに「恋愛問題」が発生し、他の参加者を混乱させることにもなりかねません。その後の調査はわたし以外の参加者を3名以内に限定し、一台のヴァンで移動できるようにしました。


sam写真4(39頁) さよならゴムドラ寺(2013年9月) 写真4 さよならゴムドラ寺(2013年9月)




4 魔女とファルス―2018年8月

 黒い壁の瞑想洞穴  調査を始めて数年間、わたしたちは一貫して「ブータンの崖寺と瞑想洞穴」を主題としていました。そして、2014年までの成果はケント君、15~16年の成果はくらのすけ君が卒論でまとめています。ここまでの成果は、おもに本堂(ラカン)と瞑想洞穴(ドラフ)を対象としていましたが、若干の葛藤を抱えていたのも事実です。本堂については、写真撮影などの詳細調査が禁じられていたので、神仏の名称と性格に対して理解を深めることができないでいました。これを補うため、2017年から民家の仏間を調査することにしたのです。民家では撮影や実測が自由にでき、多くの情報を集めることに成功しました(写真5)。


浅川新sam【図5】民家屋根裏での科学的年代測定サンプル採取(シャリ村T家) 写真5(新) 民家屋根裏での科学的年代測定サンプル採取(シャリ村T家)


 一方、瞑想洞穴については、ある時期、白い壁のドラフ以上に、黒い壁のドラフが多いことに気づきました。ブータンでは、白(カルポ)は「善」、黒(ナグポ)は「悪」を象徴する色彩です。僧院の場合、白壁の洞穴で悟りに至る瞑想修行、黒壁の洞穴で悪霊(あくりょう)を浄化・再生するための瞑想修行をおこないます。
 魔女のはりつけ  ここにいう「悪霊」とはいったい何なのでしょうか。仏教が伝道される以前、ヒマラヤ周辺は自然崇拝に重きをおくボン教が浸透していました。ボン教には「もののけ姫」を思わせるような多くの精霊や、その主(ぬし)たる女神が存在します。遅れて伝道され国教となった仏教はボン教を邪教とみなし、その精霊や女神を「悪霊」「魔女」として位置づけ、災害や不幸の原因であるとして仏法による浄化を試みます。七世紀、チベット最初の王朝「吐蕃(とばん)」を建国したソンツェンガンポ王はネパールから妃をむかえて仏教に帰依し、ボン教の魔女を封じ込めるため、ヒマラヤの地に十二の僧院を築き、魔女を地面に磔(はりつけ)にして動けなくしました。ブータンではパロのキチュラカン寺とブンタンのジャンバラカン寺がソンツェンガンポ王の創建と伝承されています。
 女たらしの瘋狂僧  吐蕃王創建の十二寺により封殺された「魔女」ではありますが、全滅したわけではありません。ヒマラヤには谷筋の数だけ魔女がいるとも考えられており、中世の怪僧ドゥクパ・クンレーは多くの谷筋を旅しては、その地の魔女を次々と篭絡していきました。一般の僧侶とドゥクパ・クンレーの説法はまったく異なります。不条理な固定観念やみせかけの情緒の安定を忌みきらい、型破りの生き方をすることで、仏教の悟りにおける「瘋狂の智恵」を得ることができると考えたのです。実際、ドゥクパ・クンレーは酒飲みの女たらしでした。金剛杵(こんごうしょ)に譬えられるほど立派なファルスによって次々と魔女を骨抜きにし、仏教側の守護神(護法尊)に加えていったのです。ちなみに、邪教の悪霊を護法尊に変換する修法を「調伏(ちょうぶく)」と読んでいます。
 チメラカン寺の魔女  2018年夏の第七次調査に参加したのは、研究室OBで市教委に勤務するガキオ君、大学院生のザキオ君、ゼミに参加したばかりの三年女子バレーさんです。わたしを含む四名がまず訪ねたのはプナカのチメラカン寺でした。瘋狂僧ドゥクパ・クンレー縁りの僧院で、魔女を地下に閉じ込めたとされるストゥーパ(宝塔)が今も本堂の横に残っています。また、本堂の仏壇には釈迦やグルリンポチェなどの仏像がずらりと並んでいますが、前方の隅にそれらとは明らかに異質な立像があり、ガイドのウタムさんに「魔女か?」と問えば、そうだと答えます。悪霊や魔女を調伏した護法尊は数限りなく存在しますが、それを偶像化することは例外的です。チメラカン以外では、第五次調査(2016)でハ地区の民家仏間の側壁側に赤鬼ジョーと青鬼チュンドゥの等身大の像が祀られているのを学生が発見して驚いた記憶がある程度です。
 チメラカンの魔女の姿はブータンの女性となんら変わるところはなく、一枚布のスカート(キラ)の上に上着(テュゴ)を羽織っています。こうしたブータン女性の着物はインドのサリーの影響だそうですが、どこか和服と通じるところもあり、バレーさんはすっかり気に入って、帰国の前日、自分用のキラとテュゴを買ってしまいました。


sam写真5(41頁)ファルス三昧のロベサ村(2018年8月 プナカ) 写真6 ファルス三昧のロベサ村(2018年8月 プナカ)

 バレーさんは、調査の処女地となったチメラカンの訪問後、参道脇の土産物屋で目をシロクロさせることになります。どの店の壁にも写実的で極彩色のファルスが大描きしてあり、店内はファルスのグッズが溢れかえっているのです。しかし、すでに彼女は「無知」ではありません。仏教に染み込んだボン教の影響をチメラカンで理解したばかりなので、溢れんばかりのファルスに接してもうろたえることはありませんでした(写真6)。帰国後、一・二年生を対象にした「ヒマラヤの魔女」と題する演習をおこなうにあたって、ファルス信仰に触れないわけにはいかなくなった際、彼女に説明を委ねたところ、「偏見をもたず、この地域の宗教文化を冷静に理解してほしい」と訴えてくれました。見事な演説に惚れ惚れした次第です。
 もう一度ブータンへ  バレーさんはブータンを離れて帰国の経由地となったバンコクの屋台の席で、「また来年もブータンに行きたいです」と告白し、わたしを喜ばせてくれました。再訪を希望する理由は、風景の素晴らしさとブータン人の無欲な優しさに触れたからだと言います。彼女が最も印象に残ったのはゾンドラカというパロの崖寺でした(写真7)。境内から望むパロの風景は絶景であり、そんな景色に見とれながら崖縁を歩いていると、三歳くらいの男の子が泣きながら歩いてきます。幼児ではありますが、袈裟を着ており、父母から離れて僧侶見習いをしているのだろうと想像されます。なにやら「賽の河原」で父恋し母恋しと泣きじゃくる嬰児(みどりご)のようで胸を締め付けられたのですが、それをみた我がドライバー(三十代)は飛んで行って幼児を抱きかかえ、あやしては涙と鼻水をふき取り、またあやします。バレーさんも近づいてそっと飴玉を手渡します。まもなく子どもは泣き止み、笑顔を取り戻しました。日本の男たちはただみとれているだけです。親族でもない子どもを自分の子のように扱う姿をすでに日本でみることはなくなっているのですから。みな無口ではありましたが、ブータン青年の見事な対応に心を奪われてしまったのです。【続】


浅川新sam【図7】幼年僧と運転手(ゾンドラカ寺) 写真7 幼年僧と運転手(ゾンドラカ寺)

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魯班13世

Author:魯班13世
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魯班(ルパン)は大工の神様や棟梁を表す中国語。魯搬とも書く。古代の日本は百済から「露盤博士」を迎えて本格的な寺院の造営に着手した。魯班=露盤です。研究室は保存修復スタジオと自称してますが、OBを含む別働隊「魯班営造学社(アトリエ・ド・ルパン)」を緩やかに組織しています。13は謎の数字、、、ぐふふ。

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