ヒマラヤの魔女(7)
チベット死者の書(2)
密教修行者ンガッパと49日の読経
このDVDは初め、サンフランシスコのダイイング・プロジェクトを紹介している。ダイイング・プロジェクトは、カミングホーム・ホスピスという施設のエイズ患者や末期ガン患者と死について考え話し合うものである。その中で語られる死への明るいイメージは、チベットの死者の書である『バルド・トドゥル』が元になっている。
次に舞台はラダック(西チベット)に変わり、ゴンパ村やタール村でおこなわれている死に係わる風習と考え方を紹介している。ラダックの人びとは、毎年正月に五体投地の巡礼に出る。五体投地とは、両手・両膝・額を地面に投げ伏せる礼拝方法である。五体投地は仏教の最も丁寧な礼拝方法の一つであり、この世の生命すべてが輪廻の苦悩から救われることを願う祈りの行である。仏教の根本的な立場はこの世に産まれることを苦しみと捉えている。生きている間は病や老いなどの苦痛を経験し、死ぬとまた生まれ変わる。その輪廻が苦しみの根本的な原因であると信じられている。そのため、ラダックの人びとは輪廻の輪から抜け出し、生と死を超越すること、つまり解脱することを望む。『バルド・トドゥル』は、8世紀末にインドからチベットに仏教を伝えたパドマサンババによって書き記された経典であり、一度失われたのち15世紀に再発見された埋蔵経であると伝えられている。ラダックでは人が死に臨む時、ンガッパという密教行者が死後49日間にわたり、この経典を死者に語り聞かせる。この49日の間、死者はバルド(死の瞬間から次に生まれ変わるまでの期間)の世界でさまざまな体験をする。ンガッパはバルド・トドゥルを読むことでそれらの体験の意味を解き、死者の意識を解脱に向かわせる。この経典によると、生命の本質は心であり心は純粋な光であるという。死は、その光が肉体から解放される時であり、解脱するための最大の機会でもあるのだ。
バルド・トドゥルは学者の手によってヨーロッパにも伝わり英訳版が出たことによりヨーロッパ人にも注目されることになった。後半の場面では、サンフランシスコの余命半年と宣告された末期エイズ患者がダイイング・プロジェクトと死について語り合い、死に向き合い受け入れている様子が紹介されている。チベット死者の書は、このグループができたきっかけであり拠り所にもなっている。
思い描いていた死とは真逆のイメージ
私は最近、死に関して深く考えたことは無かったが、幼いころから病弱であったため入院や手術の経験があり、その頃は死について考えたこともあった。生死にかかわるような病状になったことは今まで一度もない。それでも、病棟にいる間に死について考えて不安になっていたのは病気や病院というものが死に関係している存在であり、日常生活より死という概念を身近に感じられるものであるからだと思う。その頃の私は、死んだら意識もなくなり、何も感じることのない暗闇を漂うという悪いイメージを勝手に作り出して怯えていた。それと同時に、入院中や術後の苦痛に悶えている時は死んだほうが楽になれるのではないかと脳裏によぎったこともあり、そのような思考に至る自分を嫌うこともあった。結局、その頃の私にとって「死」は「悪」でしかなく、何故こんな概念がこの世にあるのか疑問に思っていた。しかし、このDVDの中では私が思い描いていた死とは真逆のイメージで死について語られていた。ラダックの人びとは死のイメージを悪いものではなく、生の一つであると考え、死を前向きに捉えていた。また、生前から、死を解脱するための最大の機会と捉えて修行や礼拝をしているため、死に対して恐怖心もない。死についてにこやかに語っている村人たちの映像からも、彼らにとって死とは身近なものであり、現代の日本人にとっての死とはかけ離れた概念であると感じ取れた。ラダックの人びとが信じている死に対する考え方は、「死」とは何かという問いに対する正しい答えの一つだと思った。このような考え方は今まで自分の中になかったため、衝撃を受けるとともに少し羨ましいとさえ感じられた。このDVDを見て今まで知らなかった死に対する一つの向き合い方を知ることができたため、私も数十年後に来るであろう死期が近くなったらこの考え方を思い出し、穏やかな気持ちで潔く死を迎えたいと思った。(環境学部1年SM)
【参考サイト】
・精神世界の叡智
http://spiwisdom.com/tag/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB
2018年11月14日参照
ダライラマやソクラパの生まれ変わり
アメリカのダイイングプロジェクトという死に直面した人びとがいかに死ぬかを考え実践するホスピスが最初に登場した。次に、チベット仏教で行われている「五体投地」という礼拝や『バルド・トドゥル(死者の書)』についての説明があり、タール村で亡くなった男性の49日までの祈りについて紹介があった。また、毎日100回五体投地をしているというゴンパ村のスタンジン老人が死を迎える準備をしている様子、リンポチェと呼ばれる高僧によってポワという瞑想が行われている場面があった。タール村の亡くなった男性はンベットの読経やリンポジェのポワによって死後のバルドの世界へ導かれ火葬された後、遺骨が山に置かれ、49日が経つと新しく違う人間に生まれ変わったという。また、ダライラマやソクラパの生まれ変わりとされる人物が承認された。ダイイングプロジェクトの被験者であったラム・ダスさんは死者の書の一部を聞き、死に対する恐怖が緩和され、受け入れることができたという。
人は何かにすがり、自分の道標に依存して生きていく
私はかなり生まれ変わりや、輪廻転生を信じていますが、必ずしも人間に生まれ変わることや、前世で生まれ育った土地にもう一度生まれることは信じていません。したがって、このビデオを見て、その部分は信じがたいと思いました。また、私は生まれてから18年しかたっておらず、まだまだ様々な経験をし、成長したいと考えています。だから、死が怖いので、チベット仏教徒のように怖くないと言い切れるのはもっと先になると思います。加えて、このビデオを見て、人は何かにすがり、祈り、自分の道標のようなものに頼って、信じて生きていくのだと考えました。これは一種の依存であると考えます。私は宗教に属していませんが、尊敬している人がいます。一人の人を敬い、その人の言葉や行動からたくさんの生き方を学び吸収し、自分もそうなるよう意識して毎日を過ごしています。このような行動と宗教に対する信仰心は、敬愛し、依存しているという点で大差ないと思いました。信仰心というものは実際に感じたことはありませんが、このビデオを通して宗教への筆舌に尽くしがたい情熱のようなものを感じました。(経営学部1年SA)
密教修行者ンガッパと49日の読経
このDVDは初め、サンフランシスコのダイイング・プロジェクトを紹介している。ダイイング・プロジェクトは、カミングホーム・ホスピスという施設のエイズ患者や末期ガン患者と死について考え話し合うものである。その中で語られる死への明るいイメージは、チベットの死者の書である『バルド・トドゥル』が元になっている。
次に舞台はラダック(西チベット)に変わり、ゴンパ村やタール村でおこなわれている死に係わる風習と考え方を紹介している。ラダックの人びとは、毎年正月に五体投地の巡礼に出る。五体投地とは、両手・両膝・額を地面に投げ伏せる礼拝方法である。五体投地は仏教の最も丁寧な礼拝方法の一つであり、この世の生命すべてが輪廻の苦悩から救われることを願う祈りの行である。仏教の根本的な立場はこの世に産まれることを苦しみと捉えている。生きている間は病や老いなどの苦痛を経験し、死ぬとまた生まれ変わる。その輪廻が苦しみの根本的な原因であると信じられている。そのため、ラダックの人びとは輪廻の輪から抜け出し、生と死を超越すること、つまり解脱することを望む。『バルド・トドゥル』は、8世紀末にインドからチベットに仏教を伝えたパドマサンババによって書き記された経典であり、一度失われたのち15世紀に再発見された埋蔵経であると伝えられている。ラダックでは人が死に臨む時、ンガッパという密教行者が死後49日間にわたり、この経典を死者に語り聞かせる。この49日の間、死者はバルド(死の瞬間から次に生まれ変わるまでの期間)の世界でさまざまな体験をする。ンガッパはバルド・トドゥルを読むことでそれらの体験の意味を解き、死者の意識を解脱に向かわせる。この経典によると、生命の本質は心であり心は純粋な光であるという。死は、その光が肉体から解放される時であり、解脱するための最大の機会でもあるのだ。
バルド・トドゥルは学者の手によってヨーロッパにも伝わり英訳版が出たことによりヨーロッパ人にも注目されることになった。後半の場面では、サンフランシスコの余命半年と宣告された末期エイズ患者がダイイング・プロジェクトと死について語り合い、死に向き合い受け入れている様子が紹介されている。チベット死者の書は、このグループができたきっかけであり拠り所にもなっている。
思い描いていた死とは真逆のイメージ
私は最近、死に関して深く考えたことは無かったが、幼いころから病弱であったため入院や手術の経験があり、その頃は死について考えたこともあった。生死にかかわるような病状になったことは今まで一度もない。それでも、病棟にいる間に死について考えて不安になっていたのは病気や病院というものが死に関係している存在であり、日常生活より死という概念を身近に感じられるものであるからだと思う。その頃の私は、死んだら意識もなくなり、何も感じることのない暗闇を漂うという悪いイメージを勝手に作り出して怯えていた。それと同時に、入院中や術後の苦痛に悶えている時は死んだほうが楽になれるのではないかと脳裏によぎったこともあり、そのような思考に至る自分を嫌うこともあった。結局、その頃の私にとって「死」は「悪」でしかなく、何故こんな概念がこの世にあるのか疑問に思っていた。しかし、このDVDの中では私が思い描いていた死とは真逆のイメージで死について語られていた。ラダックの人びとは死のイメージを悪いものではなく、生の一つであると考え、死を前向きに捉えていた。また、生前から、死を解脱するための最大の機会と捉えて修行や礼拝をしているため、死に対して恐怖心もない。死についてにこやかに語っている村人たちの映像からも、彼らにとって死とは身近なものであり、現代の日本人にとっての死とはかけ離れた概念であると感じ取れた。ラダックの人びとが信じている死に対する考え方は、「死」とは何かという問いに対する正しい答えの一つだと思った。このような考え方は今まで自分の中になかったため、衝撃を受けるとともに少し羨ましいとさえ感じられた。このDVDを見て今まで知らなかった死に対する一つの向き合い方を知ることができたため、私も数十年後に来るであろう死期が近くなったらこの考え方を思い出し、穏やかな気持ちで潔く死を迎えたいと思った。(環境学部1年SM)
【参考サイト】
・精神世界の叡智
http://spiwisdom.com/tag/%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%AB
2018年11月14日参照
ダライラマやソクラパの生まれ変わり
アメリカのダイイングプロジェクトという死に直面した人びとがいかに死ぬかを考え実践するホスピスが最初に登場した。次に、チベット仏教で行われている「五体投地」という礼拝や『バルド・トドゥル(死者の書)』についての説明があり、タール村で亡くなった男性の49日までの祈りについて紹介があった。また、毎日100回五体投地をしているというゴンパ村のスタンジン老人が死を迎える準備をしている様子、リンポチェと呼ばれる高僧によってポワという瞑想が行われている場面があった。タール村の亡くなった男性はンベットの読経やリンポジェのポワによって死後のバルドの世界へ導かれ火葬された後、遺骨が山に置かれ、49日が経つと新しく違う人間に生まれ変わったという。また、ダライラマやソクラパの生まれ変わりとされる人物が承認された。ダイイングプロジェクトの被験者であったラム・ダスさんは死者の書の一部を聞き、死に対する恐怖が緩和され、受け入れることができたという。
人は何かにすがり、自分の道標に依存して生きていく
私はかなり生まれ変わりや、輪廻転生を信じていますが、必ずしも人間に生まれ変わることや、前世で生まれ育った土地にもう一度生まれることは信じていません。したがって、このビデオを見て、その部分は信じがたいと思いました。また、私は生まれてから18年しかたっておらず、まだまだ様々な経験をし、成長したいと考えています。だから、死が怖いので、チベット仏教徒のように怖くないと言い切れるのはもっと先になると思います。加えて、このビデオを見て、人は何かにすがり、祈り、自分の道標のようなものに頼って、信じて生きていくのだと考えました。これは一種の依存であると考えます。私は宗教に属していませんが、尊敬している人がいます。一人の人を敬い、その人の言葉や行動からたくさんの生き方を学び吸収し、自分もそうなるよう意識して毎日を過ごしています。このような行動と宗教に対する信仰心は、敬愛し、依存しているという点で大差ないと思いました。信仰心というものは実際に感じたことはありませんが、このビデオを通して宗教への筆舌に尽くしがたい情熱のようなものを感じました。(経営学部1年SA)